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<ネタにできる古典(14)>夕暮れについて対話する古典(和歌、連歌、枕草子より)
和歌を軸とした「秋」そして「夕暮れ」にかかわる言葉たちが織りなす、数百年をかけた対話を集めてみます。最初は平安中期に生きた藤原義孝の歌。
秋は尚夕まぐれこそただならね荻の上風萩の下露
秋はやはり
薄暗くなる夕暮れの頃合いが
どうにも気になるよ
萩の上を吹く風
荻から滴り落ちる露
義孝は夭逝の歌人。百人一首の「君がため 惜しからざりし 命さへ ながくもがなと 思ひけるかな」でも知られています。「秋は尚」歌は『和漢朗詠集』(秋興・229)にも選ばれました。後の時代には後鳥羽院の命令で、藤原定家がこの歌の31字を歌頭に置いた三十一首の和歌を詠んでいます。勅撰集にこそ入りませんでしたが、愛唱されていた一首だったのでしょう。説話化もされていて、そこではこの歌は連歌だったということになっています。「秋は尚夕まぐれこそただならね」と詠まれた上句に対し、12歳の義孝少年が「荻の上風萩の下露」を付け、喝采を浴びたとか。
それから数十年後。義孝と同様の秋を味わったのが清少納言です。
秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、からすの寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音虫の音などいとあはれなり。
秋と言えば、夕暮れ。夕日が沈んでいき、山の端に触れそうにまでになった頃に、カラスが寝床に飛んで行くらしくて、3羽4羽、2羽3羽と急いでいるのも良いものでしょう。羽を連ねた雁たちがほんの少し見えているのなんて、なおさらお気に入り。夕日が沈んでしまって、風の音や虫の声が聞こえてくると、心がうごいてしまうわ。
それから150年ほど経った平安末期の藤原清輔の歌。
薄霧のまがきの花の朝じめり秋は夕べとたれかいひけん
薄霧のたちこめる
垣に咲いた花は
朝、しっとりと湿っている。
秋は夕べが良いなどと
誰がいったのだろうか
清輔は義孝や『枕草子』が秋の夕暮れを賞賛したのに対して秋の朝の美しさを歌いました。
次は清輔から数十年後の後鳥羽天皇の歌。
見渡せば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋となに思ひけむ
遥か遠くまで見渡してみると
山の麓は霞み
水無瀬川は流れる
夕べは秋が良いだなどと
どうして思ったのだろうか
そして後鳥羽院から250年。連歌師宗祇らが歌います。
雪ながら山もと霞む夕べかな 宗祇
行く水とほく梅にほふ里 肖柏
川風に一むら柳春見えて 宗長
対話し、ことばを紡ぎ、思いを重ねる。
こうして文化は味わい深くなっていきます
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