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1月31日 僕の憎しみと良経の春海

 数日ぶりに暖かい一日だった。海に行った。

 風もほとんど無く、子ども達は上着と靴下を脱ぎ、手足の先を波に洗わせていた。凧を揚げ、貝殻を拾い、砂遊びを楽しんだ。肌を傷つけないほどの優しい砂と無限の海水がある。砂浜は理想的な砂場だ。

ボード屋の値段表だけ確認しシーグラスのこと少し憎んでる

 シーグラスは、海に落ちているガラスの破片。転がされて角が丸くなっている。水槽などにいれる。子どもは見つけると大喜びする。大人を巻き込んでシーグラス探しが始まる。

 穂村弘が『短歌という爆弾』(小学館)の中で

沢田   世間の人は『 24 時間 テレビ』の感動とかが好きなんですよね。でもあの感動をそのまま歌うだけでは詩にならないわけですね。
穂村   世界には明らかにもう半分があって、そこには不吉な暗いものが満ちているんだっていうことを同時に感じさせる詩がやはり本物だと思います。

と言っているのに深く共感し、詠んだ。

☆     ☆     ☆

 勅撰和歌集に子育ての歌は出てこないので、春の海の歌を『千載和歌集』から探した。昨日も月と海の歌だったけど。

霞しく春の潮路を見渡せばみどりを分くる沖つ白浪(8 摂政前右大臣)

 古典和歌の霞は浅緑。桜と組み合わせると色が詩的にまとまるので、両者は仲良しな歌材だ。

 その霞は今、空と溶け合い海に立ち込める。霞は浅緑、春の空も碧で、空を映す海もまた碧。全体がみどりに染まる中、沖の白浪が世界を切り分ける。

霞が一面に広がる
春の海原を
一望すると
海も霞も空も全てが緑に融けあっている。その緑を一筋分けるのは
沖に見える白い筋、あれは波の色

 詠み手の摂政前右大臣は藤原良経のこと。その祖父の藤原忠通は

わたの原漕ぎ出でて見れば久かたの 雲ゐにまがふ沖つ白波

を詠み『詞花和歌集』に入集した。『小倉百人一首』にも選ばれているので、有名歌の一つだろう。

 祖父の歌が青と白のコントラストを描いたのに対し、孫の良経は不分明な緑一色の世界を切断する白線を詠んだ。

 それぞれに鮮やかな作品だ。

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