【玉葉集】21 R4.2.10 後鳥羽院詠と卒業式
今朝は曇りました。
娘と一緒に燃えるゴミを捨てに行きます。久しぶりに次男がくっついてきました。帰りは公園で昼寝をしている雨男を起こさないようにそっと走ります。遠くに山を望む曲がり角ではドラゴンをぶっ飛ばします。久しぶりの次男は相変わらず想像力を爆発させていました。
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元気な民の姿を目にして満足げに頷いているようです。何様か?王様です。
詠んだのは後鳥羽院。詠歌時期は建保四年(1216年)。目の上のたんこぶだった源通親も亡くなって久しく、王者の貫禄もたっぷりだったことでしょう。
王者が民の竈を詠むのは『万葉集』以来の伝統です。『万葉集』はその2首目に次の歌を載せていました。
土地のあちらこちらから竈の煙が立っているのは民の暮らしが豊かなあかしであり、世が治まっている証左です。竈の煙は王が歌うべき主題なのです。
後鳥羽院の歌に直接関わっているのは仁徳天皇の歌のようです。
こちらは竈の賑わいまで言葉にしていて、ずいぶん説明が丁寧です。
さて、後鳥羽院の歌は舒明天皇や仁徳天皇の歌に比べて何か新しい所はあったでしょうか。もう一度掲げます。
比べてみると後鳥羽院歌には霞が詠まれていることに気がつきます。霞のはずですが、四句で竈が登場することで竈の煙と一体化してしまいました。
こうした煙と霞の混じり合いは『堀河百首』あたりから流行り始めたのかもしれません。源国信に次の歌があります。
またその影響下に詠まれた可能性のある歌が、これ。
これらの歌を経て、後鳥羽院の頃にはもう煙→霞の発想は類型化されていたことでしょう。
後鳥羽院は煙と霞の混じり合いを詠嘆も感嘆も無く詠じています。院はその混じり合いを発見ではなく確認として詠んだのです。そして広がる煙の向こう側に想像される民の暮らしの安寧に目を向けたのです。
こんなふうに整理してみると、風格ある王者の歌としてふさわしい詠みぶりに見えてきませんか。
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今日は勤務校の卒業式でした。コロナ禍で在校生は参列できず、保護者の入場も制限されます。ですがそこで交わされた言葉の数々は、生徒と保護者の教員が確かな信頼で結ばれた学年だったことを感じさせてくれました。その学年に関わることの無かった自分がちょっと嫉妬しちゃうくらいには。
卒業生代表の格調高い答辞が心に残っています。高校を卒業するにあたり、世のリーダーとなることを引き受けた覚悟有る者の言葉でした。印象的だったのは、その覚悟を持つ者の主語を、彼個人としなかった点です。彼は、彼と共に時間を過ごした学年の仲間達全員が、いずれ各分野でリーダーになると言い切ったのです。
何という視線の高さでしょう。何という仲間達への信頼でしょう。その言葉を聞いた保護者と教員は、どれほど胸を熱くしたことでしょう。
心に響く答辞でした。願わくは視野を広く、人の話に耳を傾け、蹂躙に怒りを燃やす心優しいリーダーとなってくれますように。
見渡せば 学徒の視線は 空を行く
文読む日を経 春に逢う頃
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