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止まらない、でも泊まらないイケメン 伊勢物語10

1,はじめに

 「母なむ藤原なりける」。このフレーズが衝撃的な第十段です。
 「藤原」。もはや姓の一つという理解の範疇には収まりません。鎌足・不比等の藤原家から房前に始まる北家が確立していき、九条流、そして御堂流・五摂家へ。時を重ねる間に、主流でない貴族達ですら「藤原」が占める割合が増していきました。日本文化の基礎のだいたいは、皇族と藤原さんちで作られています。
 今回はそんな「藤原」さんちの人だから鼻息が荒くなっちゃう、と言うお話。

 むかし、男、武蔵の国までまどひ歩きけり。さてその国にある女をよばひけり。父はこと人にあはせむといひけるを、母なむあてなる人に心つけたりける。父はなほ人にて、母なむ藤原なりける。さてなむあてなる人にと思ひける。このむこがねによみておこせたりける。すむ所なむ入間の郡、みよしのの里なりける。
   みよしののたのむの雁もひたぶるに君が方にぞよると鳴くなる
むこがね、返し、
   わが方によると鳴くなるみよしののたのむの雁をいつか忘れむ
となむ。人の国にても、なほかかることなむやまざりける。

 第九段までの話は無かったことになっているのか、「武蔵」という土地が重なっているから続きとして読むべきなのか、迷う段です。ま、前段にあった友達とのイチャイチャ雰囲気がまったくありませんので、ここは第九段とも、また文才の臭いを感じない第七段、八段とも物語の進行上は関わりが無いとみて、読みましょう。
 それでは訳を。今回は片桐洋一氏の、何というか、雄々しいというかどっしりというか、うん、まあ、そんな感じの訳をご紹介します。

 昔、男がいたのである。その男は、武蔵の国まで試行錯誤しながら歩き廻っていたのである。そのように歩き廻って、その武蔵の国にいる女を求めたのである。その女の父は娘を他の普通の男と結婚させたいと言っていたのだが、母が高貴な人に執心していたのである。父は普通の家柄の人であって、母の方が藤原氏なのであった。そうであるゆえに、高貴な人に婚わせたいと思っていたのである。その母が、この婿の候補者に歌を詠んで贈って来たのである。女たちの住んでいる所は、入間郡三芳野の里なのであった。
   三芳野の田の面の雁もひたすらにあなたの方に寄ると言って鳴いて
  いるようでありますよーあなたを信じる我が娘も、あなたのおそばに
  いたいと言っているようでありますよ。
婿の候補者が返した歌、
   私の方に寄ると言っては鳴いているようである三芳野の田の面の雁
  をいつ忘れようか、いつまでも忘れはしませんよ、お嬢さんのことは
  ずっと忘れませんよ。
と詠んだのである。他国においても、やはりこのようなことはやまなかったのである。

 いや文句付けるわけじゃありませんけどね、「のである」すぎません?片桐先生。文句付けるわけじゃないんですけどね? 

2、あてなる人に

 さて「藤原」さん。どのポジションの人か、分かりましたでしょうか。武蔵国の官人の家の、奥さんです。業平さんは貴賤を問わず食い散らかす系貴公子なので、身分は分かりません。ただ「藤原」の女性が刀自を務めるほどですから、受領レベルと見ても良いのでは無いかと思います。
 受領の奥さんと言えば、藤原為頼の

  后がねもししからずはよき国の若き受領の妻がねならし(為頼集)

が思い出されます。自分の娘のキャリアとして「天皇の后に。もしそうならなかったとしたら、優良国の若い受領の妻候補になってほしい」と詠まれた「受領の妻」。天皇の奥さんとまでは言いませんが、受領の奥さんという立場は、藤原氏の一人である為頼から見ても「勝ち組」であったんですね。

 さてこの奥さん、あんまり乗り気じゃない旦那さんを差し置いて、ノリノリで「あてなる人」へのラブコールを送っています。ノリノリなのはもちろん娘に降ってわいた縁談(?)に、です。不倫じゃないです。
 このラブコールの理由が「藤原なりける」です。藤原だから、鼻息が荒いんです。藤原だから…。
 藤原、何なんだよ!

 と言うわけでLessonです。

Lesson12 「藤原なりける」奥さんが「あてなる人」に熱心になったのはなぜだと考えますか。妥当な理由を考えてみてください。

 「藤原」の娘としてかしずかれていた頃を忘れられないため?
 都との縁を持ちたいから?
 田舎豪族の息子を婿に迎えるのがガマン出来なかったから?
 娘の将来が期待できそうだから?

 納得のいく「藤原」的理由を、思いつくだけ挙げてみてくださいね。矛盾が無い限りその答えは全て正解ですし、正解の数が多いだけこの場面のイメージは色づくことでしょう。
 バラエティに富んだ理由を言語化し、この第十段を納得を持って消化してみてください。


3、男の視点で

 さて、改めて男の視点で物語を整理してみましょう。
 都から長い時間をかけて旅をし、武蔵国にたどりつきました。おそらく縁故を頼って住まいを見つけていることでしょう。漢文は苦手な業平様ですから、宮中の作法や和歌などを教える住み込みの家庭教師的な存在として居場所を確保していた、と読者には想像されていたのかも知れません。
 そしてこの男、「よばひ」ます。「よばふ」は求婚する、という訳し方をすることが多いですが、「ふ」が「反復・継続を表す助動詞」だったという点を強調して考えるともっと面白いです。

 2日、または3日連続して男は通っている、と。

 その上でこの男、女を振ってます。「お嬢さんのことは
ずっと忘れませんよ。」と。これがどういう意味を持っているか。

 2日連続して通った後だとします。
 すると一日目に情を交わし、その結果に特に不満も無かったから2日目も通う。そこで女の母ちゃんは期待した。明日も来てくれれば披露宴!ぜひぜひ待ってるで!と。だけど男は重めの手紙を貰って面倒くさくなり、バイバイと手を切った、という話の流れになります。

 3日連続して通った後だとします。
 すると露顕後です。親戚及び関係者一同にお披露目し、この先もよろしく娘もべた惚れよ!というメッセージを貰い、ポイ。
 
 いずれにしろこの男、鬼畜です。そりゃあ語り手に、「このようなこと」なんてまとめられちゃうわけです。闇落ち系貴公子は食い散らし道中を驀進中です。

 どうでしょう。「よばふ」の意味。「求婚する」の方が良いですか?

(参考:各注釈書の「よばふ」訳)
「ちょっかいをだした」(俵万智氏)
「求婚したのだ」(鈴木日出男氏『評解』)
「言い寄ったのだ」(川上弘美氏)
「求婚しました」(竹岡正夫氏『全評釈』)
「求婚した」(新全集)

 講談社学術文庫が無い・・・。娘よどこに持っていった。

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