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【玉葉集】24 旅行く舟と松浦佐用姫伝説の歌

 夜、遊び続けてちっとも歯磨きを始めない子ども達をこらしめるため,
即興で怖い話を語り出しました。すると子ども達はきゃあきゃあ叫びながらあっちこっちに逃げ出しますが、しまいには3人そろってソファの上でくっついて、真冬の猿団子みたいになっていました。
 これはクセになりそう。

 子どもたちが反省したあとに、妻がキッチンの影からノソッと立ち上がって「怖いマンガ読んでるとこだからやめて」と言ったのがハイライト。

☆ ☆ ☆

海辺春望といふ事を  伏見院
霞みゆく波路の舟もほのかなり
松浦が沖の春の曙

霞んでゆく中を進む
波の上の舟も
その姿はわずかにそれと分かるばかりだ
ここは松浦の沖 その
春の曙

玉葉集・春歌上・24・伏見院 

 別れの悲しみが場を覆う中、舟は霞をまとい、唐土へ向かいます。
 良い絵を出してきます。やりますね伏見院。

 なんで別れの悲しみが出てくるのでしょう?その納得には伝説を知っておく必要があります。
 「松浦」。こちらは現在の佐賀県付近にあたる場所です。その地は松浦佐用姫伝説の現場なのです。

 松浦佐用姫伝説は日本中に広がっています。その古い形の1つが万葉集の871番歌の序にあります。紹介がてら、現代語訳だけ載せましょう。

 大伴佐提比古さでひこの郎子は特別に朝命を頂いて朝鮮の蕃国への使いをつとめた。船団を整えてここに出発、次第に青海原に遠ざかった。特に一人の女性、松浦――名を佐用姫といった――は、忽ちに別れ再びは会い難いことを嘆いた。すぐに高山の頂に登り遠く去りゆく船を望んでは、失意のあまりに肝を絶ち、目の前も暗く魂を失うほどであった。ついに首にかけた領巾をとって振った。見る者、一人として涙しないものはなかった。(以下略)。

中西進『万葉集㈠』講談社文庫

 伏見院は霞に消え行く舟という作中現実に、松浦佐用姫伝説のイメージを重ねてきました。作中主体は霞に消え行く船を見ていますが、その光景には佐用姫の悲しみが重ねられているのです。

 もしかしたら、この伏見院の歌には後鳥羽院の次の歌が影響しているのかも知れません。

朝霞もろこしかけて立ちぬらし
松浦が沖の春の曙


朝霞は
唐をめがけて
立ち渡ったようだ
何せここは松浦の沖 その
春の曙

後鳥羽院御集・209

 朝霞が立っているんですが、「たつ」というなら唐まで行くだろう、というのです。なぜならここは船が「発ち」、唐土まで行く松浦なのだからと。
 言葉遊びっぽいですね。ですがこうした歌を通じて松浦の地に発つ霞は佐用姫伝説を彩る道具として定着したのでしょう。
 そして、その上で伏見院が舟に焦点を当てて詠んだのが今回の歌というわけです。

 唐土まで広がる後鳥羽院の霞も雄大で良いと思います。ですが、その霞を舞台の一部として利用しつつ、別れのイメージを背負った悲しい舟を詠んだ伏見院の舟は、いっそう味わい深い歌に仕上がっているのではないでしょうか。


 



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