見出し画像

再考 オートポイエーシス理論

先日、
京都の法然院さんというお寺に、スマートニュースの鈴木健さんがやってくるというのをtwitterで発見しまして、サインをもらうべく、
約10年前に購入した「なめらかな社会とその敵」を握りしめてイベントに行ってきました♪(サインもいただけました♪)

後半の仮想通貨の構想の部分は、普段、数学をしない自分には非常に難しい内容なのですが、前半のエッセイの部分や、オートポイエーシス理論の部分がとても面白いと思っていました。


オートポイエーシス理論は何かというと、

「生命システムの固有性を記述するために提唱された概念で、1972年にウンベルト・マトゥラーナとフランシスコ・バレーラによって提唱された。1984年にニクラス・ルーマンがオートポイエーシス理論を社会科学の社会システム理論に導入した理論」
ということらしいんですね。

「なめらかな社会とその敵」では、
国家というものを細胞の代謝システムになぞらえて説明することが可能なのではないか、という思考実験が行われています。


イベントでお話を伺っている限り、健さんご自身は、原理主義的な発想とは真逆にいらっしゃって、おそらくオートポイエーシス理論も、実際に起きている事象を理解するための、いち手段だったのかなという感じがしました。


ということで、ここでオートポイエーシス理論に関して、疑問etcがあったので、メモしておきたいと思います。

まず、物理のハッシー君こと、橋元淳一郎先生が、オートポイエーシス理論について記載されていましたので、そちらを書かせていただきます。
橋元先生によると、
「オートポイエーシス理論には、時間の概念がない」
ということでした。
詳しくは、新刊「空間は実在するか」をお読みいただくとよいかと思いますが、とにかく、オートポイエーシス理論が、細胞という生命そのものを用いて、モデル化を行っているのに、生命の持ちうる生き生きとした感覚がまるでないということでした。(時間的感覚ではなく、視覚的感覚を中心に理論展開されているためではないかという分析です。)


せっかくなので、私が感じた疑問もメモさせていただきますが、
オートポイエーシス理論を全部読んだわけではないので、
もしかしたら、どこかで言及されていたかもしれないのですが、
解説書などを読んだ限りどこにも出てこない概念があってきになっていました。

それは「ウィルス」です。

コロナ騒動のせいで、
いろいろ細胞の働きについて復習せざるを得ない状況でしたが、
やはり細胞や生命に不可欠な存在として、ウィルスが浮かび上がってきます。

しかし、オートポイエーシス理論では、
ウィルスの存在を示していません。

これは、うがち過ぎかもしれませんが、

オートポイエーシス理論を社会システム論として展開するときに、
ウィルスという存在を示すことに
何か不都合があったのではないか、

という気さえしてきます。
考えすぎでしょうか??

でも、もしオートポイエーシス理論が、
ウィルスの存在を強調していたならば、
もっと社会はいろいろなものに気づけていたのではないでしょうか。
考えすぎかもしれませんが!!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?