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肖像画

 二学期もあと少しで終わるという頃──
 藍染川学園3年、室山美加は、美術準備室を整頓していた。
 学園祭も終わり、美加たち3年生は先月いっぱいで美術部を引退していた。
 後輩たちのためにも、部屋の何割かを占領している私物は持って帰らないと。そう思ってはいたのだが、あまりの私物の多さに、少しずつ持って帰ることにした美加だった。
 すでに他の部員たちは私物をすべて片付けていて、残るは美加の私物ばかりなり、といった様相だ。
「もう、計画性ってものがないんだから……」
 手伝いに来てくれた平坂いずみがあきれて言う。
「すんません……。帰りになんか奢ってやるから許して、いずみ」
 美加は悪びれることなく肩をすくめ、画材をまとめた。
 結局、3年間、いずみには世話になりっぱなしだな、と心の隅でちょこっとだけ反省する。
「あれ?」
 美加は、棚の中に一枚のカンバスを見つけた。
「なんだこれ? 絵か? 私んのじゃないぞ」
 棚から取り出してみる。
 カンバスには、若い男の肖像画が描かれていた。男は、まだ少年と言ってもいいほどのあどけなさを残しており、憂いをおびた瞳で虚空を見つめている。宗教画に出てくる聖者のように襤褸をまとい、何故か巨大な鎌を持っている。
 死神──のようだった。
「なぁんだ……」
 美加はその肖像画に見覚えがあった。
「いずみの絵じゃん……」
 間違いない。平坂いずみが学園祭用に描いた絵だった。
 荒々しいながらも繊細なタッチ。いずみならではの感性を感じる絵だ。美加は、いずみの突出した感性に、たまに嫉妬することもあった。
 いずみはこんなに良い絵を描くくせに、専門的な美術の道へは進まないらしい。私立藍染と雲雀山大を受験をするのだと聞いている。どちらもレベルの高い学校ではあったが、美大への指定校推薦を受けている美加にとって、それはとても残念なことのように思えてならなかった。
「いずみ……。あんた、この絵持って帰んないの?」
「え?」
 いずみが、きょとんとした顔で振り向く。
 美加は、いずみの描いた絵を彼女に指し示した。
「ああ、その絵?」
「いつまでもここに置いといたら、後輩に迷惑かかるよ。こういうのは捨てるに捨てらんないんだからさ」
「ああ、うん」
 言いながら、いずみは絵を受け取る。
「でもね、この絵は持って帰らないつもりなんだ」
「は?」
 自分の描いた絵を見つめるいずみの瞳は、少し淋しそうに美加には見えた。
「この絵にはね、モデルがいるの。言わなかったっけ?」
「ああ……」
 直接いずみ本人から聞いたわけではなかったが、その話なら同じクラスの美術部員・丸山亜希子から聞いたことがあった。
 いずみが学園祭の展示用に描いた絵は、彼女の同じクラスにいる元サッカー部の男子がモデルになっているらしい。平坂いずみが、その幼馴染のことを憎からず想っているということは、もはや学年中の常識である。美加が思うに、そのことを知らないのは元サッカー部の幼馴染君本人のみではないか、という気がしている。
 あのニブちんの夏梅栄寿ですら、二人の微妙な関係に気を使っているというのだから、末恐ろしい。
 ともあれ、いずみは、その絵を学園祭で彼に見せるつもりだったらしい。
 それをキッカケに告白でもするつもりだったか? 美加は余計なことを考えた。
 しかし、それはかなわなかったのだ。
 当の幼馴染君本人が学園祭をサボってしまったのだから。
 あの時はあまり気にしていなかったけど、その日のいずみの消沈具合は今、思い出しても尋常じゃなかったな。
 サイアクなヤローだな。美加は心の中で毒づいた。
 どんな事情があるにせよ、カワユイ私のいずみタンを哀しませるヤツは、いつか成敗してやらなきゃいかん。
 今度、その幼馴染に会ったら蹴りの一発でもくれてやろう、と美加は心に固く決めた。
「で、どうするの? これ。美術室の肥やしにでもしておくつもり」
「ううん」
 いずみは首を横に振る。
「できればね、卒業式の日に、そのモデルになってくれたヤツにプレゼントしようと思ってるの。だから、それまでは、部室に置いておこうと思って……」
「ああ、なるほどね」
 彼のことを話すときは、いつも元気ないずみが、驚くほどしおらしい表情を見せることがあることを美加たちは知っている。今も、彼女の表情に、一瞬気を取られてしまった。美加は、今度、いずみをモデルにした絵を描いてみよう、と思った。思っただけで、忘れてしまう可能性もあったけれど。
「じゃあ、これはしまっておくよ」
 美加は、いずみの絵を紙袋に入れて、綺麗に梱包した。
「わあ……」
 その手つきを見て、いずみが驚く。
「何さ?」
「ううん……。美加、普段はがさつなくせに……、絵の扱いだけは丁寧だなぁと思ってさ……」
「まあね」
 美加は、ふんと鼻を鳴らしてみせた。得意げに。
「これでも絵の道を志すものの端くれですから。それに、この絵、大事なんでしょ?」
「うん……」
 そして、美加はPPC用紙を一枚取り出し綺麗な字で「大事な絵。後輩どもは触れるな。いずみ様の卒業式の日にいただきに参上する」と書いて、紙袋に貼り付ける。
「これで良しっと」
 美加は、絵の入った紙袋を丁寧に棚の中へ戻した。
「美加……」
「ん?」
「あの……、ありがとう」
 そう言って笑ういずみの顔は、美加が知っている三年間のいずみの笑顔の中でもとびっきりの笑顔だった。

 美術準備室を出て下駄箱へ向かうと、丁度、いずみのクラスの男子2人が帰るところだった。
 美加たちのカラオケ仲間・夏梅栄寿と、いずみの幼馴染の御崎大悟だ。
「よぉ、お前らも帰るところか?」
 夏梅栄寿がカラカラと高笑いしながら、手を振った。
「うん、そだよ~」
「じゃ、途中まで一緒に帰ろうぜ。それともカラオケでもしてくか?」
「私は別に構わないけど、あんたたちまだ受験ベンキョー、残ってるんでしょ? 特に夏梅君は帰って勉強しないとマズいんじゃないの?」
「く、嫌味なヤツめ……。室山ぁ、今にぎゃふんと言わせてやるからな」
「ぎゃふんくらい、リクエストがあれば、何度でも言ってあげるけど?」
「じゃ、帰ろうか……」
 美加が夏梅とくだらないやりとりをしていた脇で、いずみが遠慮がちに言う。御崎がそれにうなずき、二人並んで歩き出した。
 美加の目には、それが恋人同士のように映って見えた。実際にそうでないことに、ちょっとだけムカつく。
「あ、そうだ……」
 美加は思い出し、そっと二人の後ろをつけた。そして、スラっとしたカタチの良い脚を思い切りを振り上げる。
「お、おい、室山、何するつもりだよ……。ぱ、パンツ見えてるぞ……」
 夏梅の制止を無視して、美加は御崎の尻に照準を定めた。
「たあ!」
 ヒュ!
 空気が鳴る。数瞬の後、あざやかな手ごたえ。
「んごぁ!?」
「きゃあ、美加、何するの!?」
「ぎゃはははははは、室山、お前の蹴り、現役サッカー部顔負けだな。サイコー」
「正義の鉄槌よ……」
 その蹴りは、美加が学園生活の三年間にはなった72発の蹴りの中で、最も強力な蹴りだった。


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