見出し画像

妖怪ハンター

 妖怪は確かに存在する。妖怪、それは闇に蠢く異形の者たち。
 妖怪の中には、欲望に溺れ、あるいは憎悪に捕われ、人に仇なす者たちがいる。
 そんな妖怪たちを人知れず成敗する者たちがいた。
 人は彼らのことを「妖怪ハンター」と呼ぶ。

「え?」
 あまりに突拍子もない依頼だったので、天羽悠紀は思わず耳を疑ってしまった。
 前羽根市内にある不動産関連企業・コスモコーポ前羽根支社の応接室でのことである。
 悠紀の座るソファの対面に腰掛けた依頼人は、悠紀の反応に右側の眉を少し動かしただけだった。秘書だと名乗ったその男は、高級そうなスーツにサングラスを身につけた、ちょっと俗世離れしたような人物だった。
「あの、今、何とおっしゃったのでしょうか?」
「ですから……」
 依頼人の男は、先程と同じように淡々とした口調で告げた。
「死神を退治して欲しいのです」
「死神……ですか」
「ええ、死神です」
 私だってそんなものの存在を信じているわけではありません、と一言断った上で男は説明を続けた。
 秘書が言うには、彼のボスにあたるコスモコーポ前羽根支社の支社長が、死神に命を狙われているというのだ。

 コスモコーポが前羽根に支社を作ったのはまだ最近のことである。都内でも、郊外に当たる前羽根市には、まだ開発の余地があると社の上層部が判断したのだ。
 適度に広々としており、まだ自然も充分に残っている上、都心へのアクセスは比較的容易である。前羽根市は、まさに格好の開発地であった。
 前羽根支社の支社長は、本社でもトップクラスの業績を持つ野心家で、この進出計画を聞き自ら前羽根行きを望んだのだという。
 支社長は、現場主義者であったので、マンション開発現場にもよく顔を出しており、人望も厚かった。
 今回の開発計画に関しても、みずから開発候補地を視察してまわっており、現在建設予定地となっている場所も、自分の直感で選んだのだという。
 異変が起きたのは、マンション「コモエスタ前羽根」建設が本決まりになり、建設予定地の山が切り崩され始めてからだ。ある夜から、突然、彼の枕もとに「死神」と名乗る男が現われるようになったのだという。
 死神は、毎夜、彼の首筋に大鎌をあてながら「このマンション建築によって多くの生命の住処が失われる。今すぐ、開発を中止しろ。中止しなければ、汝に惨たらしい死が訪れるだろう」と告げて消えるのだそうだ。

「おわかりになりましたでしょうか?」
「はあ……」
 曖昧に頷いてみたものの悠紀は、その話を信じていなかった。
 彼女が「死神」という言葉から連想するイメージは、黒い長衣をまとう骸骨で、大きな鎌を持ち、その鎌で人間の魂を刈りとるというものだ。その「死神」が人間の生き死にを管理する存在として、一部の人間たちに存在を信じられているということは、悠紀も知ってはいた。
 しかし、そんな妖怪は存在しないはずである。
 妖怪は、人間の生活の中に、あるいは自然現象の中に、たしかに存在するものではあるが、動物や植物と同じく世界の内部に存在する俗物にすぎず、生死などの世界の法則を管理するようなものではない。
 この世の理を司るのは妖怪ではなく、八百万の神々の役目なのだから。
 悠紀や、彼女の妹の悠加は、その神々からほんの少しだけ力を借りることによって、人に仇なす妖怪たちを退治している。
 しかし、死神という名の神を悠紀は知らなかった。もちろん、悠紀が知らないからといって死神という神が存在しないとは言い切れない。だが、死神が神々の仲間だとするなら、そんなに簡単に人間の前に顕現したりはしないだろう。
 死を管理する立場にあるはずの死神が、個人の「命を狙う」というのも考えにくい話である。
(この殿方のお話、どこまで信じれば良いのでしょうか……?)
 悠紀は考え込んだ。
「そんなわけでして、この話の真偽はさておき、うちの支社長が寝込んでしまっているのは事実なのですよ」
 お恥ずかしい話です、と秘書は自虐的に笑った。
「以来、開発事業も滞っておりまして、何とか解決しなければと思ったところ、さる筋より貴女がた妖怪ハンターの噂を聞きつけたという次第なのです」
 そうなのだ。悠紀たち妖怪ハンターの仕事は裏稼業。別に雑誌に広告を出しているわけではないし、インターネットに噂が流れているというわけでもない。なのに、こうやって妖怪ハンターの噂を聞きつけ、事件の解決を依頼してくる者たちは跡を絶たない。
 それが何故なのか、悠紀も妹も、まったく知らなかった。その件に関して悠紀が思いつくことはといえば、インターネットにも報道にも不自然なほど、一切、妖怪の話も妖怪ハンターの話も出てこないということくらいである。
 まるで、誰かが情報を操作しているようにも見える。そういえば、日本の政財界には、祖母の大ファンがいるという話をどこかで聞いたことがあった。
 まだまだ、この社会には悠紀たちのあずかり知らぬ闇の部分が存在するということだけは、容易に想像がついた。
 まったく、妖怪よりも人間の方がよっぽど怖いみたいですわ。悠紀は、軽くため息をついた。
「……なるほど。では、私は、何とかして御社の支社長を『死神』の呪縛から解放すれば良い、ということですね?」
「そうです。この依頼、受けてくださいますね?」
「はい、わかりました。天地神明にかけて、支社長の御命、お護りしてみせましょう」
 悠紀は静かに頷いた。
 その動作にあわせて彼女の懐にある守り刀の鈴が「ちり……ん」と鳴った。

「うわあぁああ!」
 二階の支社長の寝室から悲鳴が上がった。
 依頼を受けてから二日後の未明のことである。
 あれから毎晩、悠紀は山あいの高級住宅街にあるコスモコーポの支社長の邸宅で護衛をしていた。
 悠紀は、たすきを締めなおすと、巫女装束の緋袴をはためかせながら音もなく支社長の寝室に駆けつけた。悲鳴から二分も経っていないはずである。
「どうかしましたか!?」
 悠紀が寝室の扉を開けると、扉の隙間からかすかな邪気が流れ出てくるのがわかった。この邪気は神々のものではない、悠紀は直感的にそう感じた。
「あ、あわわわ……」
 部屋の中には、ベッドの上で怯えている支社長の他に、たしかに異形のものが存在していた。真紅の衣をまとい、巨大な鎌を持った長身の男。悠紀の想像していた姿とは微妙に違ったが、それはたしかに「死神」と呼ぶにふさわしい姿だと感じた。
「何者だ?」
 死神は、闇の中から射るような視線を悠紀に向けた。
「それはこちらの台詞です」
 悠紀は身構えると、懐から短刀を取り出した。祖母からもらった大切な霊刀である。
「私は、死神だ。この男に死をもたらすためにやって来た……。邪魔をするというのなら、お前とて許しはしない……」
 死神と名乗った男は、彼の身長よりも長い巨大な鎌を悠紀に向かって構えた。
「許さない、ですって? それもこちらの台詞です。人の営みを脅かす者を、妖怪ハンターは許しません!」
「許さなければどうだというのだ?」
「貴方がこのままそこの男性に手を出さず、帰るというのなら何もしません。しかし、あくまでその男性の命を奪おうというのなら、容赦はいたしませ……」
 死神は悠紀の台詞が終わるのを待たずに、大鎌を構えたまま彼女へ向かって突進してきた。
 鎌が空を切る音が、ぶん、と唸る。
 咄嗟に悠紀は短刀を鞘から抜き放った。明らかに鞘より長い剣が出現し、鎌の攻撃を防ぐ。守り刀を媒介にして具現化した彼女の霊力の剣である。
「はぁあ!」
 悠紀は、そのまま渾身の力を込めて剣を振りきり、鎌ごと死神を押し飛ばした。
 ガシャーン。ガラスの割れる大きな音と共に、死神の身体は寝室の窓を突き破り、そのまま外へと投げ出される。
「すみません。窓硝子は必ず天羽神社が弁償いたしますね」
 呆然としている支社長に軽く会釈をすると、悠紀は死神を追って、窓から飛び出した。
 ふわり、と風を受けて、邸宅の庭へと軽やかに着地する。
 死神と名乗った男は、鎌を杖がわりに体勢を立て直しているところだった。
「さあ、観念しなさい」
 悠紀は、死神に降伏を勧めた。しかし、死神にその気はまるでないようだった。
「く……、生命の死を司る死神に手を出すとは……貴様にも惨たらしい死が訪れることになるぞ……」
「死神? まだそんなことを言っているのですか?」
 悠紀はため息をついた。
「何が言いたい?」
「知りませんでした。最近の死神には尻尾があるのですか?」
「!」
 悠紀の台詞に、男は明らかに動揺したようだった。
 先程、死神を押し飛ばしたときに、悠紀は見逃さなかったのだ。死神と名乗るものの真紅の衣の下に、獣の尻尾のようなものが見えたのを。その瞬間に、悠紀の疑問は確信に変わった。あの死神は、何らかの獣の妖怪が化けているだけなのだ、と。
「さあ、おとなしく帰りなさい。おとなしく帰っていただけるなら、私は貴方に何もしませんよ」
「私は負けるわけにはいかないのだ……。あの男の命を奪い、開発をやめさせなければいけない……」
 妖怪は、巨大な鎌を構え、再び悠紀に突進してきた。
「仕方ありませんね……」
 悠紀は、霊力の剣を下段に構えると、すっと目を閉じる。
 途端に張り詰めたような空気が周囲を包んだ。
 流麗な動作で大鎌の太刀筋をひらりとかわすと、彼女は、妖怪の手元を狙って剣を翻す。
 瞬間のインパクトの後、妖怪の鎌だけがくるくると宙を舞っていた。そして、空中で、鎌は粉々に砕け散る。鎌を構成していた粒子が、月明かりを受けてキラキラと輝き、螺旋を描きながら、地面に降り注ぐ。
 死神と名乗っていた妖怪は、実力の差を思い知り、膝から崩れ落ちた。
「業魔調伏二之太刀……倶利伽羅落とし……」
 悠紀はそう呟いて、刀を鞘に収めた。刀の柄についた鈴がまた「ちり……ん」と鳴った。

「大丈夫ですか!?」
 やがて、悠紀と一緒に待機していた秘書が駆けつけてきた。悠紀が無事なのを確認すると、彼はキョロキョロと周囲を見回した。
「あの死神は……?」
「逃げましたよ。もう大丈夫です、二度とここへはやってこないでしょう」
「結局、何だったのです? あれは……」
「狐狗狸の類でしょう。死神の姿に化けていたのです」
「こくり? それは妖怪……なんですか?」
「ええ。狐や狸の仲間だと思いますよ。あるいは鼬、とか……」
「キツネ? キツネが妖怪なのですか?」
 秘書は目を丸くして聞き返す。
「ええ。昔から人を化かすと言うでしょう?」
 悠紀は、懐に刀をしまうと、襟を正してにっこり微笑んだ。
「はあ……」
 秘書は理解しかねるといった感じで、あいまいに頷いた。
「でも、なぜそのキツネだかタヌキだかが支社長を?」
「キツネやタヌキが人を化かすのは愉快犯みたいなものですからね。理由はわかりませんわ。でも、あるいは……」
「あるいは?」
「……マンションの建設予定地の山を住処にしていたのかも知れませんね……」
 だとしたら、ちょっとやりきれない。悠紀は「死神」にならざるを得なかった妖怪たちの気持ちを憂いて軽くため息をついた。
「はあ……、なるほど……。それなら……私にも理解可能ですね」
 秘書は、表情を曇らせた。クールな人物かと思っていたので、悠紀にはそれが少し意外だった。
「マンション建設時には、付近住民からの苦情も多いのですよ……。妖怪からのクレームは今回が初めてですけど……」
 そう言って、秘書は自虐的に微笑んだ。
「彼らはどうなってしまうのですか?」
「安心してください。天羽護国神社の力を尽くして、彼らの棲む場所を新しく用意させていただきますわ」
 そうですか、と秘書は空を見上げて呟いた。
「……妖怪には住みづらい世の中になってしまった、ということなんでしょうかねぇ?」
「そうかも知れないですね……」
 悠紀がつられて空を見上げると、そこには綺麗な満月が浮かんでいた。
「何事も、すべてにおいて『めでたし、めでたし』っていうのは、そうそうあるものじゃないですね……」
 でも、それは仕方のないことだと悠紀は思う。
 万人の幸せというものは幻想に過ぎないのだから、どこかに幸せの最低ラインを決めて「めでたし、めでたし」と区切る気持ちが大切なんだと、彼女は感じていた。
 だから、悠紀は月に向かって誰にも聞こえないように「とっぴんぱらりのぷぅ」と呟いた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?