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舞台『D.C.III~ダ・カーポIII~君と旅する時の魔法』その6 稽古・テキレジ編

本番を約一週間後に控えた2021年11月のある雨の日、僕は高速バスで東京都内へと向かっていた。
都内某所の稽古場へ舞台『D.C.III~ダ・カーポIII~君と旅する時の魔法』の荒通しを観に行くためだ。
コロナ禍のせいで静岡県の県境を越えるのは本当に久しぶりだった。おそらく、最後に県から出たのは2020年2月の『D.C.Super Live II』の時以来。期待半分、不安半分の心持ちの中、実に一年半以上ぶりに僕は県外へと向かっていた。

時系列を少しばかり戻そう。

脚本の「稽古初稿」が完成し、稽古期間に突入した。
週末や夜などを稽古の時間に充てるインディーな小劇場芝居であれば、稽古期間は三ヶ月程要すると思うが、商業であれば稽古期間はだいたい一ヶ月程度。
しかし、舞台D.C.IIIの稽古期間はそれよりやや短めだったようだ。

ニッショーホールで掲示されていたサイン入りポスタ

さて、脚本の稽古初稿=第四稿改、という話は前回させてもらったが、第二稿、第三稿ではどんな感じだったのか、という部分を軽く補足しておく。
基本的には打ち合わせであったことを踏まえて、徐々に加筆・修正していったわけだが、市村さんからのリクエストで大幅に変更した部分がある。

それは句読点だ。

小説などでもそうかもしれないが、僕が普段、シナリオで使っている句読点は目で見るための句読点だ。
句読点、特に読点は台詞を区切るために打つ、と思いがちだが、テキストは台詞ウィンドウに表示されるため、見やすさ、読みやすさが最優先となる。
だから、主語の直後、漢字ばかりが並んでいる箇所、ひらがなばかりが続く箇所などにも読点を打つ。完成したゲームをプレイしていただければわかると思うが、句読点がある場所は、決して「読む際に区切って欲しい箇所」とは限らない。
演じる声優さんもそれはわかっているので、シナリオを読み込んで、どこで区切るか、どの単語を立てるか、というプランをちゃんと立ててくれている。
そこに食い違いがあった場合は、収録時に修正してもらうことになるが、何度も一緒にお仕事をした演者さんとはツーカーであることが多い。
ただ、新人の方などはそうもいかない。つい句読点に左右されてしまい、しっかりはっきり読点ごとに区切ってしまう。どうやら、養成所などで句読点は絶対だ、と教えるところもあるようなのだ。ナレーション系でそういうレクチャをするのかも知れない。

それは演劇の世界も同じなようで、やはり演者さんは読点に左右されてしまう。意味の誤読を防ぐための読点ですら、区切って呼んでしまいがちになるのを防ぐため、加筆の際に、「なるべく実際の発声に近い区切り」のための読点にして欲しいとお願いされた。
まあ、舞台の場合は台詞のテキストが表示されることがないので、誤読の心配はある物の、全面的に改稿したというわけだ(地味に大変な作業w)。

話がそれた。閑話休題。

かくして稽古が始まり、初日の稽古のホン読みでは、三時間近い時間を要してしまった稽古初稿。
ここからカットしていかなければならない。

ここで登場するのがテキレジ(テキストレジ)だ。

先程の話とも少々被るが、そもそも脚本というのは目で読むことを意識して書かれている。
もちろん、書く段階で演者の動きを想定しているわけだが、実際に生身の人間が演じながら喋ると説明過多になることがある。
だから、自然な演技にするためには演出の段階で台詞をより自然にするために短く調整することがあるのだ。

稽古が始まるまでの間に、演出家の権限である程度カットすることはできたと思うのだが、市村さんの方針として、「フルの状態を演者さんに読んでもらいたい。その上でカットした方が、脚本理解度が保たれる」というのがあり、そのまま稽古に突入したという次第だ。

カットはまず、稽古を観ながら市村さんにしてもらい、それで問題はないか、僕がチェックする、という形式を取らせてもらった。
実際の稽古初稿と上演版の台詞を見比べれば、どのようにシェイプされたかがわかると思うので、その一例を。

耕助「おーっす清隆、姫乃ちゃん」
清隆「おっす」
姫乃「あ、おはようございます。江戸が……じゃなかった、耕助くん、四季さん」
四季「おはようございます」
耕助「その後どうだ? 記憶喪失ごっこは終わった?」
清隆「いや、それが全然。この教室もどっかで見たことある気がするな~程度」
耕助「マジで?」
姫乃「マジです」
四季「相当重症のようですね」
耕助「魔法は?」
清隆「魔法……。俺にも使えるのか?」
耕助「ダメだこりゃ……」
清隆「ま、まあ、そのうちなんとかなるだろ。いろいろ質問するかもしれないけど、その時はよろしくな」
耕助「あ~、まあ、わかった」

稽古初稿での風見鶏編の一場面

耕助「で、清隆。その後どうだ? 記憶喪失ごっこは終わった?」
清隆「いや、それが全然。この教室もどっかで見たことある気がするな~程度」
耕助「マジで?」
姫乃「マジです」
四季「相当重症のようですね」
清隆「ま、まあ、そのうちなんとかなるだろ。いろいろ質問するかもしれないけど、その時はよろしくな」
耕助「おう、わかった」

上記シーンの上演版

こんな感じで、やりとりを自然にしつつ過多な情報を削ぎ落しながら、脚本は再構成されていく。
また、ゲームと同様なノリで何度も何度も擦るようなコメディパートも、結構そぎ落としてもらった。
ネタの供養のために、もう一組、掲載させてもらおう。

葵「そんな大魔法使いの生まれ変わりの立夏さんなら、枯れない桜の謎も簡単に解き明かせますよ。ねえ、清隆さん?」
清隆「え、えーと葵ちゃんは心の底から信じて言ってるのかな? それとも立夏さんをからかってるのかな?」
葵「どっちもです」
清隆「ん? どういう意味? 半信半疑、五分五分ってこと?」
葵「いえ、どっちかというと十分十分です」
さら「どゆこと?」
葵「立夏さんの言ってることが本当だったら面白いなぁと百パーセント思ってますし、違っててもそれはそれで面白いなって百パーセント思ってるってことです」
姫乃「……それを五分五分って言うんじゃないの?」
葵「やだなぁ、全然違いますよ~。五分五分と十分十分じゃ規模がダンチです」
さら「そもそも森園先輩、魔法使えないじゃないですか」
葵「使える可能性だって、微粒子レベルで存在しますよ。さあ、孤高の立夏さん、魔法を使ってみて下さい!」
立夏「今は使えないのよ。何度も試してるんだけどね、上手くいかないの。あとちょっとでできそうなのに……」
葵「おお~苦しい言い訳。でも嫌いじゃないです!」
清隆「葵ちゃん、あんまり立夏さんを変な風に刺激しないで」
立夏「ただ、それも今回のことと関係する気がするのよね……」
さら「今回のこと?」
立夏「この間、初音島中の桜が一斉に開花したでしょ?」
清隆「それが立夏さんの魔法与太話と関係するんですか?」
立夏「与太話言うな!」
ジル「どうどう。立夏、落ち着いて……」
立夏「……はあ。何ていうかこう、感じるのよ」
葵「えっちな意味でですか?」
立夏「違うわよ! そんなはずないでしょ? 話が進まないじゃない!」
姫乃「いちいちつっこまなきゃいいのに……」
さら「つっこまずにはいられない性分なんですよ」
立夏「なんだかよくわからないけど感じるのよ。漠然とした感じで申し訳ないんだけど……私の、私たちの前世と無関係じゃないって」

稽古初稿での新聞部の一場面

葵「そんな大魔法使いの生まれ変わりの立夏さんなら、枯れない桜の謎も簡単に解き明かせますよ。ねえ、清隆さん?」
清隆「ああ」
さら「でも森園先輩、魔法使えないじゃないですか」
葵「使える可能性だって、微粒子レベルで存在しますよ。さあ、孤高の立夏さん、魔法を使ってみて下さい!」
立夏「今は使えないのよ。何度も試してるんだけどね。あとちょっとでできそうなのに……」
葵「おお~苦しい言い訳。でも嫌いじゃないです!」
立夏「ただ、それも今回のことと関係する気がするのよね……」
さら「今回のこと?」
立夏「この間、初音島中の桜が一斉に開花したでしょ? 何ていうかこう、感じるのよ」
葵「えっちな意味でですか?」
立夏「違うわよ! そんなはずないでしょ? うまく言えないけど感じるのよ。……私の、私たちの前世と無関係じゃないって」

上記シーンの上演版

泣く泣くカットした部分も多いと思うが、そのお陰でテンポは良くなっている。
もし、舞台版の内容を別メディアで展開する機会があるなら、こういった部分はサルベージするかも知れない。期待せず待っててもらえたらw

勿論、カットするだけじゃなく、戻してもらった部分もある。
「スコットランドヤードやロンドン市警」、「ジョン・ヘイグ」など、当時・当地の雰囲気を感じさせるための固有名詞を含む台詞などは、話の進行に直接関係ないので、カットしやすいが、やはり演出としてはあった方が良い。
なので、僕のリクエストや演出家判断で一旦カットになりつつも戻された台詞はいくつかある。

結果、舞台はかなりシェイプされた。しかし、元が元だけに、結果としてかなりの長尺の芝居になってしまったことは否めない。
休憩なしで2時間20分。映画ならそのくらいの作品もざらにあるが、舞台なら休憩ありでもおかしくない長さだ。上演中、トイレを我慢していた方がいたなら申し訳ない。

稽古の話に戻ろう。
僕は普段の稽古にいたわけではないので、実際の稽古がどんな感じで進んだのかは、演者さんや演出さんの証言を参考にするしかない。稽古期間中のSNSにあげられた写真を観る限り、緊張の中でも和やかに、作品作りに研鑽していった姿が垣間見られる。
稽古場の雰囲気は悪くなかったようで、演者の方々が口々に「いいカンパニィだった」と証言していたのも頷ける。

高速バスが都内に入った途端、渋滞に巻き込まれて予定の時間から10分ほど遅れて僕は稽古場に入った。
新田さん、佐々木さん、藤邑さんに会うのは久しぶり。直近でお会いしたのは新田さんだが、DCSL2では中打ちの頃にはいなかったはずなので、直接話したのはそれこそ『キューティ・ブロンド』以来。この数ヶ月、侃々諤々の打ち合わせをした市村さんや劇団の方々はリアルではお初。演者の皆様は本当にはじめましてだ。この日はCIRCUSさんは来ていなかったので、妙に作家先生扱いでムズ痒かったのを覚えている。
静岡在住の僕が今回、わざわざコロナ禍の中、県境を越えてまで稽古場に赴いたのは、全体的な部分で通しを確認するというだけではなく、テキレジによってまとまった脚本に問題は無いか、という最終確認をするためでもあった。

とはいっても事前にまとまった脚本は見せてもらっていたし、こちらの意見も最大限拾ってもらっていたので、その部分は問題は無かった。
ただ、やはり通しを実際に観るまでは、いろいろと心配……というか不安だった。
「そもそも、このお芝居は舞台として成立するのか。D.C.IIIとして、D.C.として成立しているのか。そして、そもそも面白いのか」
その不安は計り知れない。

でも、結果から言えば、それは杞憂だった。
もちろん、荒通しの段階だったのでもっとこれから良くなっていくと思うが、新田さんの稽古での立ち居振る舞いを観たら、なんていうか安心してしまった。
台詞回しだけではない、細かい所作の部分にいたるまでリッカ・立夏を再現しようという新田さんの凄まじさを感じられたのだ。

もちろん、役者陣とは少なからず言葉を交わし、意見を述べさせてもらったわけだが、言いたいことはあらかじめ演出さんに伝えてあったので、僕が言うべきことは殆ど無かったように思う。
今作で初めてD.C.IIIに触れたであろう役者陣からは、当然のことながらいろいろと質問を受けたので、それにはちゃんと答えさせてもらった。ただ、新田さんや佐々木さんたちゲームを知る「お姉さんチーム」の面々とはそんなに言葉を交わさなかった気がする。久々なのでもっといろいろと話すこともあったと思うのだが。彼女たちは、演出家さんと一緒に現場を引っ張りつつ、何もないところから手探りで作っていったと思うので、ひょっとしたら脚本家(というか原作シナリオライタ?)の意見を求めていたのかも知れない。が、なんだか新田さんの圧倒的リッカ感と佐々木さんの安定感に、僕は安心しきってしまい、大したアドバイスも言えなかったんじゃないかと思う。いやはや、すみません。

稽古場にて

や、でも、これはいい芝居になるんじゃないだろうか?
演出も制作陣も熱心だし、役者陣も脚本を気に入ってくれているように見える。
割とほっと胸をなでおろした感じで、僕は帰りの新幹線に乗ったのだった。

もちろん、D.C.IIIが舞台になることに対して期待してない人は大勢いるだろう。だが、そんな人たちを吃驚させるお芝居ができるんじゃないだろうか?
そう思いつつも、やはり、まだこれが受け入れられるのか、僕にはわからなかった。

ともあれ、僕がやるべきことは(多分)終わった。あとは彼らに任せるしかない。
ドキドキしながら公演日を待つ日々が始まったのだった。

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