逃げていい人ダメな人

これは自分への戒めでもあるのだが、内容としては結構刺さる人もいるんじゃないかと思うので、形にしてみる。

昨今の世の中、辛かったら逃げていいという風潮がある。
子供のいじめ然り、社会人のブラック企業然り、辛かったら逃げろというのは至って真っ当な主張であり、わたし自身もそれに反対する気は全くない。

が、一つの戒めとして、前提条件を忘れている人があまりにも多い。
それは「逃げていいのは戦った人だけ」という事だ。

逃げるというプロセスは、戦った結果自分には無理であると判断してから発生するものである。
それでも昔は敵前逃亡と言って罪にされたのだから、現代はとても優しい世界になっている事は間違いない。
それにもかかわらず、現代は敵前逃亡以前に計画段階で逃亡する人があまりにも多い。
これはわたし自身もその気質を持っているからこそ、遠慮なく自分をぶっ叩き鼓舞するつもりで書き殴るが、僕も私もと思う人はどうかグッと堪えて、わたしと一緒にボコボコにされて欲しい。

難しい、困難な事は世の中に溢れている。
同時に、それをこなしている他人だって(大体のケースは)溢れてる。
では、自分とその人達の違いは何なのか。
才能?もちろんそれはあるだろう。大事を成すには才能も必要だろうが、それだけだろうか?
努力?中には才能だけでこなしてしまう天才もいるが、それを妬んだところで状況は何も変わらない。努力も必要だろう。
だが、これらよりももっと必要な事が「立ち向かう事」そして「逃げない事」なのだ。

だが、前述した通り「逃げない事」というのは、一長一短な性質を持っている。
自分にとって、できない事は出来ないのだから、他の道で努力せねばならないという柔軟な思考は、今後を生きていくために現代では必須の感性だろう。
だが、「立ち向かう事」に関しては、逃げた先でも結局必要になる事なのだ。これは今も昔も何も変わっていない。
にも関わらず、昨今よく見るのはやってもいないのに無理だと決めつける戦う前からの逃げ姿勢だ。これは本当に良くない。

人間というのは経験する事で成長する。
ダメだっていい、ダメなら別の道を探せばいいだけなのだから。
だが、やる前からダメと決めつけるのは良くない。意外なところで適正を示す可能性だってゼロじゃない。やってみなければ分からない。
やる前から逃げていたらその可能性はゼロのままだし、経験する事もないから成長にも繋がらない。

何でもやってみればいいのだ。
誰だって最初は素人だし、なんなら世の中に存在する殆どの経験ってのは、大多数が素人なのだ。
だから経験者募集、なんて文字が躍るわけで、それに対して及び腰になる必要なんてない。

だが一点、問題となる部分がある事も否定できない。
それは、経歴に傷がつくという風潮。

わたしはこの風潮は大いに間違っていると思っていて、例えば転職を繰り返してる人がいたとして、それが1ヶ月や2ヶ月で繰り返しているのであれば堪え性がないと判断されてもおかしくないのだが、2年ごとに転職しているようなタイプであれば、これは見方を変えれば何事にも挑戦し、ある程度頑張ってから決める気質なのだとも捉える事が出来るだろう(同職種でポンポン転職してる場合はコミュニケーション能力に問題の可能性とされても文句は言えないが)。
ただ、これには少し光のある話もあって、自身の転職活動を踏まえて理解した事がある。
最近は、転職理由が後ろ向きであったとしても、そこまでの経緯をしっかりと聞いて評価してくれる企業も多い。
ダメだから逃げましたで片付けるのではなく、逃げるまでのプロセスを説明する機会もしっかりとあるので、やれる事は全てやってその上でもうダメだと分かっているのに逃げない、という選択だけはどうかしないで欲しい。

少し話が逸れてしまったが、これは仕事に限った話ではなく、学生であれば所属コミュニティや履修する学問の選択なども該当するだろう。

立ち向かう事挑戦する事は確かに覚悟がいる。
大変である事も認める。
だが、始める前から逃げていたのでは、歳を重ねるごとに後悔を積み上げる人生しか送れない。
遅すぎるなんて事はない。
やってみたいと思ったら、出来る事から始めてみたらいい。
継続が難しければ違う道を探せばいいだけなのだから。

最後に。

あなたは戦いましたか。
戦う前から逃げていませんか。
もう無理だと思うまで戦いましたか。
「この先の人生に不要だと判断した」
そう思えるまで戦いましたか。

この五行をしっかりと読んでいただけたら、この記事には意味があるのだとわたしは思っています。

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