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誕生日は親孝行

エッセイを書いて収録する「声ッセイ」に参加します。
今回のテーマは誕生日。
誕生日と聞いたとき、思いついたことを思うままに書いてみました。

「親孝行」から連想できるもの

誕生日と聞いて連想できるものを考えたとき、真っ先に「親孝行」が浮かびました。
というのも、誕生日のことを思い出すと、両親が喜んでいる姿を思い出すのです。
友人や恋人と過ごす誕生日もありましたし、盛大に祝ってもらったこともあります。
しかし毎年歳をとる度に、両親が笑顔になっていたことを思い出したのです。

・誕生日の朝、送られる祝いの言葉
・誕生日プレゼントを渡されるとき
・誕生日ランチやディナー

何がそんなに嬉しいのか、両親は自分のことのように私の誕生日を喜んでくれます。
両親を笑顔にできている、つまり「親孝行」をしているということではないでしょうか?
ですから私は「誕生日」と聞くと、親孝行が思い浮かぶのです。

誕生日を喜んでいるのは両親

誕生日を1番喜んでいるのは、祝われている側ではなく、祝っている側なのかもしれません。
実家にいた頃、両親はいつも仕事で忙しく、家には妹と二人でいることが多かったです。
両親とも自営業だったこともあり、父は朝8時~翌朝5時まで。
母は祖母のやっているお店で、夕方から夜12時まで働いていました。

家族で晩ご飯を食べる機会は少なく、妹と私はそれぞれのタイミングでご飯を食べるのが当たり前でした。

昼間であれば母とは会えていたので会話はありました。
しかし父にいたっては、寝るためだけに帰ってきていましたね。
そんな父も、誕生日には必ず時間をとり、一緒にご飯を食べるのです。
食事をしながらする父との会話は

・何歳になった?
・最近どうだ?
・プレゼントどうだった?
・ご飯うまいか?
・前に言ってたあれどうする?

など質問攻め(笑)
特に多いのはプレゼントが気に入ったかどうかや、食べているご飯が美味しいかどうかの確認でした。
素直に「嬉しい」「美味しい」と伝えると、父は満足そうにしていたのを覚えています。
きっと喜んでもらえて嬉しいのでしょうね。
喜んでいる姿を見て喜ぶ、と文字にすると変な感じがしますが、きっと世の中の親は同じ気持ちなのかもしれません。

喜びの質

年齢を重ねるにつれて、喜びの質が変わってきている気がします。
小さい頃は、プレゼントを渡されて喜んでいる姿や、美味しそうにご飯を食べている姿を見て、両親は喜んでいました。
しかし今は、ただ話すだけで喜んでくれているように感じます。

18歳で実家を離れ、一人暮らしを始めてから、誕生日には必ず連絡がくるようになりました。
私みたいな息子は頻繁には連絡しません。
両親も用もなく連絡はしてこない。
そのためか、誕生日は口実としてうってつけなのでしょう。
誕生日の朝には連絡がきて、空いている時間にはよく電話もきました。
普段話さなくなった分、近況報告もかねた会話が続き、つい長電話になってしまうことも。

心なしか両親の声は明るく、イキイキとしています。
そんなに子どもと話せるのが嬉しいのでしょうか(笑)
メールやLINEで話していても、イキイキしているのが文章から伝わってきます。

小さい頃は喜んでいる姿を見て、喜んでくれていた。
今は離れて暮らしているせいか、ただ会話をするだけで喜んでくれている。
喜びの質は変わっても、両親が1番喜んでいるという事実は、昔から変わりませんね。

親孝行はなんと簡単なことか

毎年必ず「親孝行」できるのが誕生日だと考えています。
ただ歳をとっているだけなのですが、両親にとってはそれだけではないのでしょう。
歳をとるだけで喜んでもらえるのだから、誕生日に両親へ何かをしたら、もっと喜んでくれるのかもしれませんね。

私に子どもはいません。
ですから親戚や友人・知人の子どもを見たり、聞いたりして得た程度の知識しかないのですが「子どもを喜ばせるのは難しいなぁ」と感じています。

いい大人が子どもを喜ばせるためにあーだこーだしているのに、少しでも気に入らないとふてくされてしまう子どもを何人も知っています(笑)
そして少し落ち込む大人たち(笑)

でも両親を喜ばせるのは簡単かもしれません。
ただ誕生日を迎えて、話すだけで喜んでくれるのですから。

私のお金でご飯に連れて行くとなったら「なんと大事か!」という感じで、張り切って付いてきてくれます。
こんな簡単なこともできない息子にはならないよう、せめて自分の誕生日くらいは、親に喜んでもらえる日にしたいですね。

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