見出し画像

矛盾は生き物として仕方ないのか/うつについての動画の感想

相反する感情が同時にあることについて、最近考えていた。たとえば究極なことを言えば「生きたい」のに、ずっと「死にたい」と思ってる。これって何なんだろう。

パニック発作の時に、私の扁桃体が勝手に反応して、戦おう、いや逃げようと「戦うか逃げるか反応」が起こって、頭は戦おうとして交感神経が優位になるのに、身体がストレスに反応して「止まれ」の信号を出す。副交感神経が過剰に優位になって、お腹を下す、血の気が引いて顔面蒼白になる。視界も遠ざかって周りが白くなって小さくなっていって、私は私でなくなってしまうんじゃないかという恐怖にかられる。

私はその時、いつも訳の分からない恐怖から逃げたくてしかたなくなるけど、逃げられない。ひどくなると混乱してて自分が何をするかわからなくて怖い。すぐに逃げたい。でも、実際には逃げる場所なんてなくて、必死で現実のなにか安心できるものにすがりついて、よく分からない世界に連れていかれないようにする。

すごいのは、そこに逃げなくてはいけない理由なんて何もない事で、恐怖を感じるものは何もない事で。自分の頭や身体が作り出した恐怖や不安。
なんで作り出してしまうのかも分からない。

ただ、なりやすい何かのきっかけのようなものはある。たぶんいろんな条件が重なってトリガーが外れてそうなる。カフェインを摂りすぎたり、睡眠不足だったり、天気、その日の体調、暗い場所や閉ざされた空間とか。

でも、コンビニやドラッグストアの列に並んだ瞬間に来ることがあった。本当に意味がわからない。なにがきっかけなのか。何も怖いことなんてないのに。

その時できる事は「考えない」こと。
反応しないこと。
自分の頭や身体の反応を「無視」する。
別のどうでもいいことを見つけて、自分の注意を問題から逸らすこと。
ただ、ここが難しいところで、完全に無視をしようと、不安や恐怖を自分から切り離そうとすると逆効果で、倍になって仕返しがくるというかすごく悪くなったりするので、不安や恐怖も横目で見ながら、ほかのことを考えながら、行ったり来たりしてるのがよかったりする。
後、発作が起きる前なら、客観的な視点を持つと予期不安はおさまりやすい。起きたらこんな視点をもつ余裕はない。
薬を飲むことも効く。一番簡単に効く。

不安とお友達になることは難しいけど、敵視しすぎてもいけないと思った。安心をより感じるための不安という考え方もある。フォローしているかたの記事を読んで分かった。
何にも期待しないことを極めたら楽なのか。
でも、それはそれで人生がつまらなくなっちゃうのかどうなのか。

「少しこわい」けど大丈夫という状態を経験して、怖かったけど「でも大丈夫だった。」を少しずつ積み重ねていけば、慣れていける気がする。
いわゆる暴露療法。
これが、全てに応用がきく事かわからないけど、これでやっていくしかないような気がする。

矛盾を抱えてるのは生物としてみんなある事らしいから、しかたなく付き合っていくしかないのだろう。生き物はみんなヘンテコらしいから。

***

Youtubeで無限まやかしという雑談動画で鬱について語っている回があったので視聴してみた。

すごくうなづける事が多くて、勉強になった。この動画で語っていらっしゃるお二人とも何らかの精神疾患を経験していて、今はうまく付き合えていたり、問題なかったりしているようだった。

高野水登さん(脚本家)は、幼い頃からずっと自分は生きている価値がないと思っていたという話をしていて驚いた。どんな経緯があってそんな風に考えるようになったのかまでは分からないけど、私も似たような事をずっと思っているから、そういう人って実は結構いるのかもしれないと思った。

だからこそ、人を楽しませる事を生業にしているというような事を話していて、むしろその気持ちがモチベーションのようになっていて、創作活動に向かわせているとしたら、この方は自分の特性をうまく使いこなせている。そうする事で社会生活を送れている。

一番体調が悪かった時期は、仕事が安定してなくて、まだ世の中に自分の作品などを認めてもらえてなかった時期だったと聞いて、なるほど、やっぱりそこなんだと思った。生活を支えていく仕事への不安。

色んな困りごとが人それぞれあると思うけど、それは実はその人の特殊能力であったりする事もあって、能力としてうまく使う事ができたらいい。

HSPの人が、人の心を敏感に察知できるから嫌な事も目につくかもしれ無いけど、相手の喜びそうなことも分かるから、喜ばせる事ができて、ビジネス上でそれをうまく活用する事もできる。その場の雰囲気をよくしたりとか。そんな話を別の人の動画で聞いた。なるほどと思った。
すごく疲れそうな気もするけど、そうやって有効活用できたらすごい。

大島育宙さん(芸人)は、何らかの精神疾患を長い間、患っているそうなんだけど、お仕事は工夫しながらしていて、自分の「苦手」を別の方法に置き換える事で何とかうまく付き合えていけてるようだった。

自分のウィークポイントをちゃんと知っておいて、できる事とできない事を整理していく事で生活がしやすくなる…これもとても勉強になった。こういうことは病院で私の場合は教えてもらう事はできないから。

他にも色んな名言があったので、内容をまとめてみた。

〈この病気のおそろしいところ〉
(うつは、)「きづいたら無意識で自ら崖に向かっていってる病気」である。

やる気がなくなり、家に引き篭もるようになる。
→人に会わなくなる。
(それをヤバいと思えない頭になっている事がヤバい。)助けてもらえる所から自ら距離を置く。

・自分に対するケアが手薄くなる。
・自分の心身を愛したり丁寧に扱えなくなる。
・人との必要なコミュニケーションをできなくなる=自己のケアの不足とも考えられる。
これらはセルフネグレクトであり…
→もっと直接的なものが、希死念慮。

〈対処法として〉
・元気なうちに人に開示しておく。
・元気な時に、友人や家族など、助けてくれる人、ヤバい時にヤバいよと言ってくれる人との繋がりを作る。(自助努力)
・1人で生きることはリスクが多い。
・とにかくなめるな!仲間をみつけて、なったと気づいたら即病院へ行け。 

〈うつ病のパブリックイメージ〉
・うつ病のパブリックイメージが、その病気の深刻さとズレている気がする。
・「うつ」という言葉のファッション化、スラング化。都合のいい言葉として使うことがある。
悪い意味で言葉だけ認知度が上がっていって、イメージと病気の本来の深刻さとのズレを助長してる原因になっているのでは。
・まだまだ口に出せない病気である。
 →病院へ行くことにためらいを感じる人が多い。なかなか勇気のいること。
・みんなのリテラシーがばらばらすぎる。

〈うつだと気づいた側の友人や家族の反応〉
・本当にやばいと思っても、実際には言えないことがほとんどだ。
・言えたとしてもキツい言い方になってしまったりする。それでも言い続けるけど。
・自分で言えなかったら、病院やカウンセラーさんのところへ力ずくで連れていくしかない。
・自死してしまった友人や家族に対する思い「何かもっとできたんじゃないか」という後悔。

・この病気について、誤解を招くような認識を生んだら良く無いけれど、もっとカジュアルに語る必要もある気がする。

→ここに本当に共感した。
カジュアルにしかも真摯に客観性を持ちつつ自らの経験に基づいて語ってくれていて、内容に共感もできたし俯瞰して見ることができた。気持ちが少し軽くなった。ありがたい。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?