うちの父
前回の記事で、少しだけ母について書きましたので、今回は父について。
父は2016年末に亡くなりました。
67歳で亡くなったのですが、医療の進歩で長生きできる現代では、「67歳」はまだまだ若い方なんだな、と思います。
実際、私の周りの人達にも「まだ67歳だったんだね」という声が多かったです。
母の母(祖母)は大正最後の年の生まれで、現在94歳。
足が悪くなってますが、元気にホームで過ごしているので、そう考えると確かに67歳は早いですね。
父は北関東の田舎の地主の次男坊でした。
そのせいなのか、それともただ甘やかされたのか、私の知る限りでは
ワガママ、自分が一番偉い、母はバカ、自分の言っていることは正しい、母は自分がいないと何もできないなどなど
いわゆるモラハラ親父でした。
私が車に興味を持ち、当時大好きだったF1のチケットを入手して、さてどうやって行こうかと考えていると、F1なんて行ってどうするんだ、お金の無駄だと散々言われました。
自分が知らないこと、知らない場所を言われたりすると、まず出てくる言葉が
「何言ってんだ、バカじゃないか」
とすぐに言う人でした。
自分が知らない=バカ(世の中に存在しない?)
という公式が頭にあったようで、F1自体は知っていても、鈴鹿サーキットに観に行くということが自分の知らないこと=体験したことがない=バカなこと、ということだったようです。
息子がサッカーを始めた頃に、母から「将来サッカー選手になって、テレビに出られるといいね」と息子が言われて「サッカー選手になる❗️」と宣言したら、父は
「何言ってんだ、なれるわけない。バカじゃないのか」
と、息子にまでいう始末。(この時、息子小学校一年生)
もちろん私は激怒し、父に説教です。自分の孫が将来の夢を言ってるのに、何をバカにしてるんだ、そんなこと言うお前がバカだ❗️と言うようなことを私が言い、しょんぼりしてました。
母も怒ってましたが、呆れ半分という感じでした。
今思うと、人の気持ちを汲むことができない、自分が一番先でないとガマンならない(買い物等してもレジで並ぶことができない人でした)、思ったことをそのまましゃべってしまうなどを見ていると、大人の発達障害だったのではと思います。
父が亡くなって、母も日常を取り戻して落ち着いたころ、何気なく母に大人の発達障害について話してみたら、「なるほど!」と納得してました(^-^;
若い時のあの行動、言動を思うとそうかも、と笑ってました。
若い時はそうとう苦労していた母。
一度離婚して、それでも一緒に暮らして借金を返し、キレて泣き叫ぶ姿を見たこともありました。
年を取ってからは一緒に浅草見物に行ったり、近場へ食事に行ったりと、二人でどこかへ一緒に出掛けることが多かったように思います。
父は糖尿病から腎臓を悪くし、透析を受けるまでに病状は悪化して、最終的にはほぼ寝たきり状態でした。最期は朝早くに病院で亡くなってしまったので、母も私も看取ることはできませんでした。
それでも父の人生は幸せな方だったんじゃないかな、と娘ながらに思います。
あれだけ暴言を吐かれ、やりたくない仕事を一緒にしていた母。
子供の為とはいえ離婚をせず、最期の最期まで父を介護し、見送りもし、一緒のお墓に入るつもりとも今は言っています。
我が母ながら、すごい。
母の年代の人たちにとっての【離婚】というのは、子供がかわいそうというのがまだまだある時代でした。
離婚したことで、子供が何か言われてしまう、それなら自分が我慢すればよいという世間体の中で生きていたと思います。
でも、離婚をせずに我慢する姿を子供に見られる方がかわいそうなのではと思います。
私の子供時代がそうでした。今でも思い出すのは、二人のケンカする姿です。
それに、私は元旦那と一緒のお墓に入る覚悟はありませんでしたし(*´▽`*)
私が離婚したのは、父が亡くなって半年後だったので、父は知らないまま。
まあもし元気なうちに離婚するって言ったら、人の意見も聞かずに、元旦那か元旦那実家に電話しちゃってたでしょうね~。そして、引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、私に
「離婚なんかしない方がいいんじゃないか?」
とか言ってたんじゃないかなと思います。
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