「『怪と鬱』」日記 2021年5月12日(水) あるファンからのメール──愚狂人レポート(24)

気がつくと私たち3人は、よくつるむようになっていました。
皆でご飯を食べることもあれば、夜に集まってお酒を飲むこともあり、傍目から見たら何の変哲もない仲良しグループといった具合です。
しかしミクロにこそ真実はあるもので、私たちが集うと約七割の確率で珍事と呼べる局面が起きていました。

ある日、A子がランチを食べ終わった後に「感謝」と呟きながら手を合わせました。私はその様子にギョッとし玲香の方を見やると、玲香はいかにも満足そうな笑みを浮かべていました。
これは何かあると踏んだ私が後に尋ねると、玲香は「いっつも奢ってるのが段々腹立ってきたんで、やらせるようにしたんすよ」と事も無げに種明かしをしました。
「でも、なんかあの『感謝』って、玲香に感謝している風に見えなかったよ」
「ああ。『ご飯食べたあとに宇宙に感謝してみたら?』って言ってみただけっすからね。なんか面白くないっすか? あいつが宇宙に感謝してるの。宇宙は絶対にあいつに感謝してないのに。あはははは」

また、表参道をぶらついていたある日には、こんなことがありました。

私たちが歩道で信号待ちをしていると、後ろにチワワを連れた男性が横に立ちました。
いち早く気がついた玲香が、おもむろにしゃがんでチワワの頭を撫で始めると、もの凄い勢いでA子がチワワに向かって進みだし、どういうわけかその勢いでむんずと玲香の肩を掴んで後ろに引きました。
そして、玲香がバランスを崩して軽く尻餅をついたタイミングでA子がしゃがみ、「可愛い〜」と言いながらチワワを撫で、飼い主に上目遣いをし始めました。
一瞬で私はA子が飼い主に何かアピールをしたかったのだろうと察しましたが、これまた一瞬の動きで立ち上がった玲香がバチンと大きな音を立てて、A子の頬を平手で打ちました。
打ち終わったあとも振るった右腕はいかにも「撃ち抜く」という具合に大きく余韻を残して動き、そんな暴力を振るったにも関わらず随分と清々しい表情の玲香がとても印象的でした。

「ふぶっ!」とA子は大量の唾を飛ばしながら叫びました。

打たれた痛みに対する反射か、A子はしばらくとても素面では難しそうな表情のまま固まり、「ぃでぇす、ぃでぇす」と小さな声で連呼していました。
ほどなく信号が青に変わると飼い主は逃げるように横断歩道を渡り、その間チワワは立てた尻尾を揺らして名残惜しそうに何度か振り返っていました。

「失礼ですよね! A子さん、謝ってください!」

「ごめんない……ごめんない……ぃでぇす……ごめんない、ぃでぇす」

A子の言葉は謝罪というよりもほぼ念仏に近い響きがありました。
私はといえば、笑いを堪えるのに必死になり、呼吸がうまくできなくなったせいか少し具合が悪くなっていました。
というのも、A子がビンタを受けた瞬間に発した「ふぶっ」という叫び声が、なぜか脳内で「布武」と変換され、この一連の流れに「天下布武」という場に似つかわしくないワードが紐づけられてしまっていたのです。

「A子さんは友達なんで許しますけど、もうあんな風なことやらないでくださいね。転んでお尻を痛くしましたから」

「ごめんない……友達だもんね……ぃでぇっすけど」

私が「青信号変わっちゃいそう!」と横断を促すと、玲香は一転して「きゃああ」とふざけた声をあげながら走って渡りました。
私も合わせて走りましたが、A子はのらりくらりと体を揺らして進み、案の定、渡り切る前に信号が変わってしまいました。
A子はまるで「自分には車を止める超能力がある」とでもいった動きで、A子の通過を待つ車両に片手の平をしっかり見せつつ、悪びれた様子もないまま、まだのらりくらりと歩いていました。
「轢かれたらいいのにね」
玲香は満面の笑みで私にそう言いました。

A子は横断を終えると開口一番、

「私、善良だから……」

と言いました。
玲香は半笑いで「どうしました?」と問います。

「ワンちゃん、放っておけないから……」

私たちは、どうもA子なりに何か言い訳がしたいらしいことを察しましたが、現時点でさっぱり意味が理解できず、どうせこのベクトルで話を進めても自分たちが理解できる領域には達することができないだろうと思い、「ああ、うん」「そうだよね」といった相槌で打ち切ることにしました。

その後3人でカフェに入ると、A子は何か免罪符でも持っているかのように大声でパフェを注文し、少しだけ玲香を睨みました。

(つづく)

(24)エンディングテーマ Ariel Pink's Haunted Graffiti"Mistaken Wedding"




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