「『怪と鬱』日記」 2021年3月22日:狂人日記

今日は弘前乃怪の鶴乃大助さんとお酒を呑んだ。
350ml缶ビール3本とはいえ、ちゃんと酔った。
こんな時の文章作成能力は著しく低い。しかし、なるべく日記は毎日更新したい。
酔っているから書くのを止めるか、酔っていても書くかの二者択一を迫られ、結局はこうやって書いている。

しかし、これほど脳の機能が低下している時に文を綴ろうとするのは、自己満足この上ない行為なのではないだろうか?
そもそも一体何のために毎日更新を自分に課したのかも、実は曖昧だ。
なんとなくビュー数が増えるような気がしていたのだが、酔って書いたダメな文章をあげるような輩ではビュー数はむしろ減るのではないだろうか?

いっそ、ビュー数がどうのこうのと考えるのは今日から止めよう。
私が日記を書く目的を、「なるべく毎日書く」のみに絞ろう。
きっと、そこから何かが生まれるはずだ。
今思うと、酔っているからと書くのをサボってきた人生だ。
なぜか〆切が近くなると酒が美味く感じるのだ。
Netflixも〆切が近いほどに面白くなり、〆切の三日前くらいにはついつい海外ドラマをワンシーズン一気見してしまうこともしばしばある。
毎日が〆切三日前なら、私は物凄いアクティブに「執筆じゃないこと」をしだして、何かの匠になれるのかもしれない。

ほら、何の話か分からない。
酔っているとこうなるのだ。
敬愛する野坂昭如大先生は連続飲酒をしながら多くの名作を手がけたという。
憧れるにもほどがある。
野坂大先生の超名作「てろてろ」の後書きには確か「呑みながら執筆して二週間くらいで出来た」という旨のことが書かれていた気がする。信じられない。レベルが違い過ぎる。かっこいい。天才だ。野坂昭如大先生みたいになりたい。

ほら、また何の話か分からない。
こんなことを書いて人に読ませようっていうのだから、私という人間は酷いものです。
恐らくはそのうち、私が一社依存している竹書房様からも見捨てられ、それでも「私は作家」だと妄言を吐き、傲慢な夢を捨てきれず家族にも見放され、独りぼっちで余生を過ごすこととなるのでしょう。おお。何という生き地獄。

たった一人になった私はきっと、経済的な問題から猫を飼うことも犬を飼うこともできず、空を飛ぶ雀や鴉、地を這う蚯蚓を仲間と思い生きます。
そんな時にこんな寒い地にいたら、雪に埋もれて凍え死ぬことも視野に入れなければなりません。

これは全て私のちゃらんぽらんで自堕落、我儘で尊大な生き様が原因です。
もしかしたら、もっと頭の病が重篤化し、実家の近所にある大きな病院に入ってしまったらそこで幸せを手に入れることができるのかもしれません。
それならば、きっと時々は家族が見舞いに来るでしょう。来なかったとしても、私は寂しくありません。
その頃の私は、いつも薄ら笑いを浮かべていて、自分が幸せなのか不幸せなのかも分かりません。でも、それでいいのです。
そうやってでも、生きていければ幾ばくかはましなのです。
雀と鴉、蚯蚓には寂しい思いをさせるかもしれませんが、きっと雀と鴉、蚯蚓には空と大地があるからいいでしょう。
私は屋根と壁、それと少しのご飯があれば満足です。
私はそれ以上の物を手に入れることができていた過去を、「奇跡の時間」と呼びながら薄ら笑いを浮かべようと思うのです。

ああ、また訳が分からないことを書いた。
毎日毎日、日記を書くためにはこれくらいやらないと駄目なのだろうか。
この調子だと狂人日記もいいとこだ。



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