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「『怪と鬱』日記」 2021年3月25日(木):あるファンからのメール──愚狂人レポート(1)

高田公太様

初めてメールをさせて頂きます。
私はかねて高田さんの怪談本を拝読させて頂いているHN「ちはる」という者です。
先日、高田さんがnoteにアップしていた記事「愚狂人という概念」を読んでとても驚いたので、突然ですがメールをさせて頂きました。
驚いた理由は、高田さんが提唱する「愚狂人」に当て嵌まる女性が、かつての私の知人にいたからです。
自分で言うのも何ですが、私は比較的「まとも」な部類のパーソナリティーで、彼女と付き合いを持っていた頃は、いつも揺さぶられ続けていました。
あの揺さぶられていた時間がなんだったのか。
それを高田さんの記事で知りました。
あの愚狂人と過ごした時間を、私はまだ消化しきれていません。
とても勝手なことかもしれませんが、私が持つ愚狂人エピソードを高田さんに知ってもらえたら、幾分心が軽くなるような気がしています。
高田さんなら喜んで読んでくれるのではないかと、あの記事を読んで思ってしまったのです。(笑)
ただ、高田さんが書いていたように、私自身こそ、気がつかず愚狂人である可能性も捨てきれません。愚狂人とは、自分が愚狂人だとは気がつかないものなのですよね?

これからかつての知人、愚狂人A子について書きますが、もし高田さんから見て私の方こそが愚狂人だった場合、忌憚なくその旨を教えてください。自分が愚狂人だということを知らぬまま、これからの人生を過ごすのは恐怖でしかありません。

まずは私のことを書きます。詳細に書いてしまうと身バレしてしまうかもしれませんので、ある程度はぼかして書きますのでご了承ください。
またメールとしてはかなりの長文になる恐れがあります。もしこんな長い悪文を読んでいられないと思ったら、無視していただいて構いません。

私はアラフォーの女性です。
既婚者で、仕事でフリーのミュージシャンをしています。
10代後半からギターでの弾き語りやバンド活動をしていて、20歳を超えたくらいから自活できるくらいの収入を得ることができるようになりました。自主制作ですが、CDやグッズなども販売していて、まずまずの売り上げです。テレビはあまり出たことがありませんが、フェスなどはたまに出ています。10代の頃に抱いた「好きなことをして食べていきたい」、という夢を曲がりなりにも叶え、その道を歩んでいます。夫の稼ぎと私の稼ぎは大体半々くらいで、時期によっては私の方が多い場合もあります。子供を持つ気がないので、夫婦で好きなことに時間とお金を使える、そんな環境で暮らしています。

A子に初めて会ったのは、とあるライブイベントでのことでした。
そのイベントは古くから付き合いのあるライブハウスが主催するもので、店長から「あまりギャラは出せないかもしれないけど、もし良かったら」という打診を受けての出演でした。
私の他にも複数のアーティストが出演していました。インディーズの中ではそこそこに勢いのあるバンドもいれば、全く名も知らぬ弾き語りの人も出ていて、A子は後者の類でした。
私はトリだったので、ひとしきり出演バンドを客席側でチェックしました。
客入りは芳しくなかったのですが、この規模だとこんなもんかな、と思いました。
A子の演奏は練習不足なのか歌もギターも随分と下手で、妙に目が泳いでいました。自信なさげなその演奏の様子はまるで「何かに巻き込まれて、しょうがなくこうなった」とでも言いたげで、客数の少なさを感じさせない熱のこもった演奏をする他の出演者と、180度違った印象を受けました。

イベントが終わり客が退場すると、店長の計らいで出演者皆で交流する時間がありました。私は荷物が少なく、正直あまり知らない人と会話をしたくなかったので挨拶を済ませたら帰ろうと思っていました。
ガヤガヤとめいめいが立ち話をしていると、店長からのおごりで飲み物が皆にふるまわられることになり、私はそれならとビールを頂きました。
ビール一杯で帰るくらいが丁度良いだろうと判断したのです。

「あ……お疲れ様です」
背後から声が聞こえました。
私はその声が誰に向けたものか分からなかったので、確認のために振り返りました。
見ると、声の主はA子でした。
あまり人の容姿を揶揄するように触れたくないので詳細は控えますが、A子の姿を想像できるように伝えしますと、彼女はかぼちゃやりんごのような体型だったとだけ記しておきます。(繰り返しになりますが、決して身長と体重のバランスについて揶揄するつもりはありません。人は容姿で判断されるべきではないと思っています。顔などについての描写は控えさせて頂きます)

私はA子の目線が完全に私に向いていたので、「お疲れ様です」と返事をしました。すると、A子は「良かったよぉ」と笑顔を浮かべて言いました。
私は一瞬、A子が何の話をしているのか分かりませんでしたが、すぐに「演奏のことだ」と気がつき、「ありがとうございます」とお礼を言いました。
「なんていうか、ちはるちゃんは伝わる演奏ができる人だと思う。あたしも伝えるの大好きだから、その感じ、分かる」
私は耳を疑いました。
あの酷い演奏をしたA子が、どういうわけか私を同類と見做しているような発言をしたのです。しかも初対面なのに、いきなり「ちはるちゃん」と呼んでいます。
私は他人を見下すようなことはしないのですが、どういう訳かこの一瞬、猛烈に彼女を蔑んでしまいました。これまでの音楽活動の中、多くの礼儀知らずと対面してきましたが、ここまで怒りと軽蔑を覚えたことはありませんでした。
怒りでプルプルと身体が震えそうになるのを堪えながら、私は一生懸命にA子に笑顔を作って頷きました。
伝わる演奏、と褒められたのだから、その気持ちには返さないといけないと思ったのです。
そして私は「あ」と心の声を漏らしました。
なぜ理性的な私がこんな状態になったのか分かったような気がしたからです。
というのも、A子はステージの上に立って、私を見下ろしながら会話をしていました。
恐らくはこの位置関係が潜在意識に作用して、普段は「良い子ちゃん」にしている私が軽蔑を覚えたのだろうと思いました。
潜在意識が「無礼者」と彼女を判定したので、こんな事になってしまったのでしょう。刹那のことでしたが、心に掛かっていた負荷が抑えられました。
「A子、精算まだだけど」カウンターの中から店長がそう大声を出しました。
「すみません。今日、ドタキャンいっぱい出ちゃって。みんな約束破るんですよ」
「お前、まただぞ。この前もじゃないか」
「まとめて。なんとか」
このA子と店長の会話を聞いて、A子がチケットノルマ制で参加していたことを私は知りました。
「お前、まとめてって。本当は駄目なんだぞ」
「ええ。ええ」
「お前がどうしてもっていうから、出したんだぞ」
二人の位置関係はステージの上とドリンクカウンターですから、もちろんこの会話はその場にいた人全てに聞こえていました。店長がA子を本気でなじろうとしていることが分かりますし、恥ずかしげもなく大声で借金を作ろうとするA子の図々しさには本当に驚きました。
「お前、良い加減にしないと出禁だぞ」
店長がそうやってA子を追い詰め出すと、A子の黒目がいつしか光を失い眼窩の中には白目だけが残りました。誰もがA子のその様子に釘付けでした。ここまで綺麗な思考停止は見たことがありません。
この脳の働きを完全に止めたA子の姿こそ、ひょっとしたら彼女の本番だったのかもしれません。「息を呑む」という言葉がぴったりのステージングでした。
いつまでも眼に光を戻さないA子に諦めた店長が、他のバンドマンに話しかけ出すと、張り詰めていた場の空気が戻りました。
すると間髪入れずステージの上から「ちはるちゃん、LINE交換しよ」とA子の声がしました。
この時、私は既に揺さぶられていたのでしょうか?
さっきの今で、私がLINEのアドレスを交換する気になるわけがありません。
こんな人、関わりたくないです。
それなのに、なぜか私はA子とLINEを交換してしまいました。
この先に自分がどんな目にあうのか、まったく想像できていなかったあの時の私を、私は今も責めています。

(つづく)

(1)エンディングテーマ Black Sabbath "Paranoid"


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