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「『怪と鬱』」日記 2021年4月21日(水) あるファンからのメール──愚狂人レポート(17)

タクマくんの言葉が忘れられず、家に戻ってからもあの発言を何度も反芻していました。

──ああいう知的障害を抱えている人

私はA子のことをそのように思ったことがありませんでした。
思考回路の弱さや子供のように衝動的な行動、感情の発露などは確かに考慮すべき点に思えますが、私はそのすべてが向上、抑制可能なものだと見做しています。「できるのにやらない。なぜなら努力は辛いから」と書かれた紙を背中に貼り付けて生きているようなA子。障害どころか、その異常なまでに前向きな姿勢から、人並み以上に障壁がない世界観を構築しているA子。タクマくんはそのA子をパッと見で先天的な知的障害を持った人物と判断したのです。

木を見て森を見なかった私たちの落ち度でしょうか。
それとも、パッと見で他人の先天的知能の度合いを決めつけるタクマくんのデリカシーの問題でしょうか。
障害に関しての知識がないので、さっぱり答えが見つかりません。
私はなるべく都合の良い飛躍が起きないように考えを進めました。

A子がもし病院に行ったら何かしらの障害、症状などを指摘されることは間違いありません。何かしらの診断がくだされた時点で、先天的かどうかは想像つかないにせよ、タクマくんの見立てに一票が入ります。

しかしこの仮定の前提、「もし病院に行ったら」に着目すると、幾つか前段階で考慮すべきポイントが生まれます。
人が病院に行く理由、特に頭の不調を診てもらう場合は、健康診断などはさておき、「辛さ」を感じた時に限ります。
A子は先述した通り、超がつくほどに前向きで辛さを感じているようにはまったく見えません。人は誰しも何かしらの辛さを抱えているものですが、彼女に関してはそれがまったく見えない所が目を引くのです。
また、ここで条件として「辛さを感じて」を加えて「病院に行ったら」と書き換えると、A子に限らずほぼ誰もが辛さの名称を与えられます。現代医学はどんな「辛さ」にも病名、症状、状態を与えることができるのです。もし医者が「いや、あなたは元気ですよ」と告げた晩に、すっかりめげてしまったその人が自ら命を絶ってしまうかもしれないリスクを考えれば、医者も辛さに名称を与えるよりほかありません。

気軽に「あなたって先天的な障害あるかもしれないから、病院で診てもらったら?」と言える世の中ではありません。
私だって念入りに調べたら、脳に先天的な異常があるのかもしれません。
障害とは何か。
テーマが大きくなり、私は一層悩みました。

もしA子に障害があるのなら、私たちの行いはすべてただのイジメです。小学校の頃に見たいじめの風景となんら変わらないことになります。
私、玲香、ボンベさん、A子を避けるバンドマンたち、皆がイジメをしているのでしょうか。

私は何を追い求めていたのでしょう。
それ以上の考えに及ぶことができず、私は障害というテーマについて考えるのを一旦止めることにしました。

あの日玲香は、タクマくんの言葉を聞いて激しい動揺を見せました。
今思えば、恐らく玲香も私と同じジレンマに陥ったのでしょう。
夫が「A子と関わらない方がいい」と私に伝えたのは、この展開を予想してのことかもしれません。夫とタクマくんにはどこか似た雰囲気があるように思えます。

すっかり手詰まりになりました。
夫に話すと「それ見たことか」と言われるでしょう。玲香とボンベさんならどう考えるでしょう。
以前、玲香は「生き辛さを感じて治療をしている人はサバイバーだ」と表していました。それゆえ、A子は別種のものだという話の流れだったと思います。
ボンベさんは「理解できないからと無視するのはおかしい」という旨のことを言っていました。もし、障害を抱えたA子を無闇に刺激しないよう、私たちが離れたらそれは無視ということになるのかもしれません。

「個性」の一言で片付けてはいけないのだろうか。
多様性の受容が叫ばれている中で、「あの人は無自覚だけど、障害があって付き合っていると厄介なことばかりだから関わるのは止めよう」という判断ほど、多様性を否定するものはないのではないでしょうか。
タクマくんの判断を信じるなら、私は今後、性格が歪んでいる人を見るたびに「あの人は障害がある」と判断し続けねばならないことになってしまいます。障害という言葉を自分が生きやすくするためにおいそれと利用していいとはあまり思えません。

タクマくんの判断。
いや。
やっぱり、パッと見で「あの人は先天的な障害がある」という判断を下すタクマくんに問題があるのではないか。
私は根拠のない意見を取り入れて動揺している。
人は自分がそうであってほしいようにしかモノを見ていない。
私はA子に「障害がない」と決めつけて考え、タクマくんは「障害がある」と決めつけて話した。
でも私たちは「障害」とは何なのか知らないほど浅はかで、根本的にA子の深淵など知りようもない他人なのだ。
私が抱えた悩みの大元は、他人をジャッジできないことだと気が付きました。
タクマくんは見た目のみでジャッジしました。これはとても危険なことです。愚かしい、とさえ言えます。
何も知らずに、確固たる判断材料も持たずに他人をこうだと決めつける行為は私にはできません。亀の歩みで「こうであろうか」「こうかもしれない」と考えを進めて、あくまで「そのように考えたら私は世界と付き合いやすい」という曖昧な解答を手に入れる。そして、その解答を経験から更新していく。これが私のスタイルなのです。

私よりも経験が豊富なボンベさん、私よりも広い世界を知っている玲香はどう考えているかが気になります。
玲香は仕事があるといっていたので、今メッセージを送るのは憚られます。
ボンベさんはLINEアドレスこそ交換したものの、現時点でカジュアルにメッセージを送れるほどの仲ではありません。

悩み疲れた私はとりあえずベッドに入りました。
そして、枕元でスマホのメッセージ着信音が鳴ったのは深夜三時を過ぎてからのことでした。

スマホはメッセージの発信者を「ボンベ」と伝えていました。

(つづく)

(17)エンディングテーマ The Colourfield"Thinking of you"



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