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「『怪と鬱』日記」 2021年4月16日(金) あるファンからのメール──愚狂人レポート(15)

ハチ公が見えるより先に、二人を見つけました。
水筒を肩から下げたA子が着ているタイダイ染めのロングTシャツは相変わらずピチピチで、一方玲香は古着のパーカーと少しラメが入ったキャップという出立ちでした。
遠目に見ても既に二人がいくらか打ち解けていることがわかり、私はホッとしました。
人付き合いに長けた玲香でもひょっとすると上手くいかないかもしれないと、懸念を抱いてたのです。
距離的に二人の声までは聞こえませんでした。憮然とした顔でギョロギョロと周囲の人々を見ながら話すA子と、過剰なほどにA子を凝視しながら真剣な面持ちで話す玲香の取り合わせは、ホームレスに就労を提案するボランティア活動のようでした。

「ちはるさん、おはようございます」
「ああ。ちはるちゃん、おひさ」
二人は私を見つけると挨拶をし、近寄ってきました。
「ああ、A子さん。自分、もう一箱持ってるんでこれあげますよ」
「え? いいの? 今度返すね」
にたぁ、と笑いながら玲香からタバコの箱を受け取るA子は、安心感のようなものを私に与えてくれます。
「どこにご飯食べに行く?」と口火を切ったのはA子でした。なぜ、これから昼飯代を全て奢ってもらうA子が真っ先にその発言をできるのでしょう。
A子の背後に立つ玲香は、口をあんぐりと開け目をパチクリとさせました。玲香のその様子は私へ向けた冗談ではなく、自然とそんな動きになってしまっていたようでした。
もちろん、私も驚いていました。
「ああ……そうっすね……まだ店……決めて……ゴホ……ゴホン。……すみません」
玲香は妙な間ができないように相槌を挟み込みましたが、話す途中で笑いそうになっていました。
「A子は何食べたいの?」
「うーん。あたし、食べれないもの多いんだわ」
「アレルギー?」
「ううん。アレルギーじゃない。なんか魚とか野菜とか、不味くて」
「ああ、偏食っていうやつ?」
「……まあ、そうともいうわさ」
A子は偏食の話題を避けたいのか、下唇を思い切り突き出してずっと遠くを見ていました。玲香はA子の放った「わさ」という語尾にまた目をパチクリさせていました。
「まあまあ、今日はあたしとちはるさんでご馳走するんで美味しいものを食べましょうよ」
玲香の助け舟は効果がてきめんにあったようで、A子は「ああ。玲香、良いこと言うわ。折角だから、美味しいものを食べてお喋りしたいわ。ガールズトーコ」と言いました。
玲香に人見知りしているせいなのか、今日のA子は随分と言葉がおかしい。「トーコ」とは何事でしょう。
私たちがハチ公前でそんな不毛な会話をしていると、いかにもチャラそうな男性二人組の一人が玲香を見て「お。可愛い」と言いました。
するとA子はまるで驚いたように三人組にビクッと顔を向け、即座に顎を引き目を大きく開きました。
それを見た男は小さな声で「うわっ」と言い、もう一方の男は「バカ、家族連れだよ。お母さんいるじゃん……」と宥めながら友人の腕を引き、どこかへ行ってしまいました。
玲香はA子を凝視し、A子は去っていく二人組の背中を、犬のように舌を垂らしながら目で追っていました。
男たちの姿が雑踏に消えると、A子は「ちはるちゃん、お互い歳をとると辛いわねぇ! 気にしない方がいいよ!」と笑いながら言いました。
それを聞いた玲香は肩を震わせながら「あたし、トイレ行ってきます」と言い残し、こちらの反応を待つ前に駅に向かってふらふらと歩きだしてしまいました。
A子の中で、自分が「可愛い」と言われたが男が私を母親だと勘違いして去って行った、というストーリーが完全に出来上がっていたようです。
イリュージョン。
そんな言葉が脳裏に浮かびました。
ほどなくスマホがメッセージの着信音を鳴りました。見ると玲香からで「笑いすぎて腹痛いです。今駅中で爆笑してるんでめっちゃ周りの人に見られてます」とありました。
私はA子の的外れなフォローからかなり間があいていたのに関わらず、A子に「ああ。うん」と返答しました。
A子は無言で水筒のキャップを外し、少しだけ砂糖水を飲みました。

A子が「とにかく肉なら必ず食べれる」と言うので、ステーキ屋さんに行くことになりました。
玲香が、駅から徒歩圏内に行きつけの美味しい店があると提案し、三人で向かいました。玲香とA子が並び、私はその後ろをついていく形でした。
玲香は身振り手振りを加えてA子に話し、A子はすれ違う人をちらちらと見ながら相手をする。
玲香はすっかりA子に夢中になっているようです。
私は街の喧騒に消え入りそうな、一歩前にいる二人の会話に耳をそばたてました。
「A子さん。その水筒、何入ってるんすか?」
「ええ? 甘い水」
「へえ。ミネラルウォーターっすか?」
「あたし、そういうの詳しくないんだわ。水道水に砂糖入れてるだけだよ。今、ハマってるんだわ」
「へー。美味しいんすか?」
「そりゃ……砂糖だからねぇ……美味しいに決まってるやんか」
「あれ? A子さんって関西出身ですか?」
「違うっちゅうの!」
私は急に声を荒らげたA子が気になり、少し二人に近寄りました。
「すみません……出身、知らなくて……気に障りました?」
「……あたしの出身くらい知っとけや……」
A子は玲香に思い切り顔を近付けて目を見据えながら、真顔でそう言いました。
「あ、はい。すみません。気をつけます。なんか。ええ。ごめんなさい」
玲香は頭を少し下げながら、謝罪しました。
A子はその謝罪がまるで耳に入っていないかのように、また他の歩行者に注意を向けました。
玲香はちらりと私に顔を向け、ニカッと歯を見せて笑いました。
どうやら玲香はこの短時間でほぼ完全にA子を乗りこなしているようです。
私はA子の様子にゾッとしていましたが、玲香にとっては想定内だったのでしょう。しかし、A子のどこに地雷があったのでしょう。そもそも今までやり取りを続けていた私ですら知らないA子の出身地情報を、初対面の玲香が知っているわけがありません。では、なぜ怒るのでしょう。「なぜ、怒ったんですか?」と問えば話は早いのでしょうが、そんなことをしてはまた怒りそうです。別に怒らせたくて一緒にいるわけではないので、その選択肢は私たちにありません。
なんにせよ、これからご飯を奢ってくれる二人の一方を、あのように怒れる神経に驚きます。それも、かねて「友達」とA子が表する「私」の友人に、あんな振る舞いをしたのです。A子にとって「これまでの関係性」と「これからの関係性」とは、こうも希薄なものなのでしょうか。
また、イリュージョンという言葉を思い浮かべました。

「あそこっすよ」
玲香が雑居ビルの二階に掲げられたステーキ屋の看板を指差すと、A子は「ひゃほー。肉、肉ぅ」と声を出し、僅かに歩調を速めました。

(つづく)

(16)エンディングテーマ 10cc"I Wanna Rule the World"





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