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「『怪と鬱』日記」 2012年4月12日(月) あるファンからのメール──愚狂人レポート(13)

私たちは善は急げとタクシーに乗り、新宿に向かいました。
玲香とアキラが運転手に指示を出し、着いた建物の一階が中古フィギュアショップ、二階がボンベさんのレコード屋「ブルーズマン・グッド」でした。狭い階段を上がると、店のドア越しに店内BGMのドラムとベースの音が薄っすらと聴こえ、ドアを開けると恐ろしく大きな音でファンクが響きました。
「あらー。珍しい取り合わせだね!」
ボンベさんは入店した私たちを見るなり読んでいた雑誌を閉じ、レコードの音量を下げながらそう言いました。玲香は嬉しそうにボンベさんとハイタッチをし、アキラは挨拶も特にしないまま、流れるような動きで陳列されたレコードを物色しだしました。
「ちはるさんもいるんだね。お久しぶりですね」
ボンベさんは愛想よく何度か首を縦に振りながら言いました。
「ボンベさん、去年の渋谷で会った時以来かもですね」
「ああ、そっか。あの日もちはるさんの歌、良かったですよ」
ボンベさんも玲香と同じく、とりあえず敬語を使うタイプです。玲香の場合は年下に敬語を使わないのですが、ボンベさんは年齢に関わらず距離感に合わせて敬語を使うようで、自分より十歳は年下の私に、いつも丁寧な言葉を使っていました。
玲香がボンベさんに「最近、何か面白いことないんすか?」と問いかけると、彼は「ああ、玲香さん。元嫁からこんなLINEきたんですよ」とスマホを見せ、二人はキャッキャとはしゃいでいました。
私は急に「A子のことを聞きたくてここへ来た」という旨を明かすのが恥ずかしくなり、アキラ同様、レコードを見て回ることにしました。
店の面積は十畳余りでしたが、店名に恥じずブラックミュージックを多く取り扱っていて品揃えも充実していました。私はふと欲しくなったエラ・フィッツジェラルドのレコードを何枚か手にして再びボンベさんと玲香がいるカウンターへ向かいました。
「ちはるさん、A子と飯行ったんですか?」
レコードを袋に詰めながら、ボンベさんがニヤニヤしながら言いました。
「ああ。はい。誰から聞きました?」
「A子から聞いたんですよ」
玲香は「ひゃああ」とワザとらしく声をあげ、私の顔を見て笑いました。
「A子、ちはるさんの悩み相談してあげたって言ってましたよ」
ボンベさんは飄々とそう言いましたが、私はどしんと重いものを心に置かれたような気分になりました。
「マジですか? 私、相談したかな……」
「ええー、でもあいつそう言ってたなー」
ボンベさんはニコニコしながらそう言ってからスマホを操作し、画面を私に見せました。

ちはるちゃんと昼から呑んだ〜
いっぱい悩み相談しちゃった〜
ま、音楽はハートだぜー
って言ってやったわ

私はそのメッセージを見て、頭が真っ白になりました。
確かにあの日、A子はふと話が噛み合わなくなった頃に「まあ、ハートだよね」と意味が分からないことを言った記憶があります。
あの時、彼女は私の悩みを聞いてるつもりだったのです。
あの日、私とA子がいくらか打ち解けていた時間もありました。しかし、今となっては人の金で呑んで、ゲラゲラと下品に笑い、汚い言葉遣いで的外れなことばかりいうA子しか思い出せません。
しかも、私の知らないところで「悩みを聞いてやった」という捏造した記憶を撒き散らしているのです。

「……死ね」

私は思うと同時にそう声に出しました。
そして、即座にその自分の言葉に驚きました。
ここ最近、誰かに対して口に出したことがない言葉が出たのです。
ハッとして、ボンベさんと玲香の様子を窺いました。
二人は少し間を置いてから、大声で笑いだしました。
「いいね〜! ちはるさん! そう! あいつは死んだ方がいいよね! あはははは」
「ちはるさん! 今のマジで面白いっす! やっぱ、ちはるさんは面白いっすねぇ! はははははは」
私は二人の様子に面食らいましたが、やがて一緒に笑いました。

「A子はねえ。マジでキチガイだよね。ほんと。怖いもん」
ボンベさんは相変わらず軽い口調でそう言いました。
「あれはねえ。ほんと。頭おかしい。ちはるさん、あの動画見ました? あの動画出したあと、俺に『やっぱり店長が好き』ってメッセージ送ってきたんですよ。凄いよ。ほんと」
「え? 店長に怒ってるんじゃないんですか?」
私はボンベさんの言うことがにわかに信じられず、そう問い質しました。
「いやぁ、全然。あの動画、だから意味が分からないんだよね。なんで、あんなことしたのか……って俺が『暴露配信やれば?』って言ったんだけど」
「え!」
私と玲香は声を揃えて驚きました。
「うん。なんか、面白そうだったからさぁ」
玲香はぷーっと吹き出し、身体をくの字に折り曲げて笑い出しました。
「ああ。でも今は、店長とヨリが戻るように働きかけてるよ。それも面白いからさ。でもあいつ、普通に店長以外とも、しょっちゅうヤッてるらしいんだよね」
「ええ!」
また玲香と声が揃いました。
「なんかあいつがよく『ファンの人、ファンの人』って言うから、一回カマをかけてみたんですよ。『やっぱりファンを食ったりするの?』って。そしたら、ニタニタ笑いながら『ご想像にお任せするわ』って。気持ち悪かった〜」
玲香はヒーヒーと笑い、呼吸困難になっていました。
「あの……ボンベさんってなんでA子と普通に話せるんですか……?」
私は一番気になっていたことを尋ねました。ここまで余裕を持ってA子と交流できる人の気持ちが知りたい。なんでこんなに落ち着いていられるのか、コツが知りたい。ボンベさんは受け皿はどれほど大きいのでしょう。
「いやいや〜。大変だよ〜。普通になんて付き合ってないよ。ゾッとする瞬間がいっぱいあるからね」
「でも、じゃあなんでご飯食べに行ったりするんですか」
「ええ? ご飯はちはるさんも行ったんでしょ? なんで? 多分、同じ理由だよ」
同じ理由。
私はどんな理由でA子とご飯に行ったのでしょう。
「面白くなかった? ああいうキチガイと一緒にいる時間」
「ボンベさん、いいな〜。ちはるさん、早くA子を私に紹介してくださいよ〜」
玲香はいかにももう我慢できないといった口調で懇願しました。
私はあの日、面白かったのでしょうか。
しかし、玲香とボンベさんの反応を見ると、確かに「面白いこと」があの日起きたのではないかと思えてきます。
もう少しで。もう少しで自分の背中が見えるくらい、冷静な判断をできそう。
でも、まだ何かが邪魔をしている。
「ちはるさんは、面白いですよ。だからあんな歌を作れるんですよ」
ボンベさんは私の中の何かを見透かしたようにそう言いました。
私は、私が分からなくなってきました。
「お。アキラ、良いレコード持ってるな。それ聴こうぜ」
ボンベさんはアキラが手に持っていたレコードをターンテーブルにセットしました。
「とにかく面白いのが一番ですよ。ねえ、玲香さん?」
「っすよねえ」
大音量で音楽がかかると、ボンベさんは気持ちよさそうに身体を揺らし軽いステップを踏みました。
玲香も目を瞑り、両腕を上げて揺らしだします。
アキラも満足げに膝を叩いてリズムを取り出しました。
「ちはるさんは面白いっすよ。良いセンスしてますよ」
ボンベさんは音楽に乗った動きを止めず改めて言い、私もついに踊ってしまいました。

(つづく)

(13)エンディングテーマ Prince&The Revolution"Pop Life"


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