「『怪と鬱』日記」 2021年3月30日(火):あるファンからのメール──愚狂人レポート(5)

玲香は最後に「自分もA子に会ってみたい」「また何かあったらいつでも電話してほしい」という旨を告げ、電話を切りました。
私はここ最近の孤軍奮闘ぶりを恥じました。
もっと早くから玲香に相談するべきだったのです。「自分は一人ではなかった」と思わせてくれる友人がいることに、幸せを感じました。
私は昔から何でも一人で抱え込む癖があります。
自分のことは自分で解決しなければ。
他人に迷惑をかけるようなことはしないようにしなければ。
そうやって自己を律しながら生きてきました。
自分のそんな生き方を否定する気はありません。
おかげで得たものが、たくさんあるのです。
今でも「もっと楽に生きた方が良い」「誰かに頼るのも大事だ」とよく言われます。事実自分に課したルールのせいで押し潰されそうになることも、しばしばありました。
そんな時に私の相談に乗ってくれたのが、玲香や店長のような人々でした。

──店長。

私は今後の人生の中で店長を、どう見たらいいのだろう。
玲香は「それはすごい。あの人は化け物を抱くスキルレベルが高い」と感心したように評してましたが、私はまだそんな余裕のある評価を下すことができていませんでした。
前にも書きましたが、私は人を見た目で判断しないようにしています。
人の見た目は、親の精子と卵子の組み合わせで生まれたデザイン、体質などで作られるものです。
人格とは完全に切り離されたものであるべきです。
しかし、そんな考えを強く持つ私でも、A子は人格に問題があり、その人格が見た目を邪悪なものに変貌させているように思えてしまいます。
一目見た時から、何だか恐ろしいものを感じていたのです。
あの目。
絶妙にイライラさせる一挙一動。
私が犬なら、遠目に見た段階で相当に吠えていたことでしょう。
サルーテでA子は食事の前に糖尿の薬を服用していました。
「大丈夫なの?」と尋ねると、「大丈夫、大丈夫。そんなに食べてないから。今日は食べるけど、基本的に糖質は取らないようにしているし」とほとんど私の目を見ずに言っていました。
その時も何だか、「あーあ」と思ったことを覚えています。
人の弱い所を見守り、尊重してあげたい気持ちもあるのですが、立て続けに見せつけられると、もしかしたら何か強めの言葉をぶつけるべきなのではないかと考えてしまいます。
事実、店長が発するような強い言葉が人に好影響を与えることもあるのです。

──店長。

化け物との性交に長けた店長。
やはり、自分の中で色々なものがとっ散らかっています。
ふと脳裏に、店長とA子が汗だくで舌を絡める姿が目に浮かびました。
と同時に、ずん、と心が重くなりました。
この心にかかった重力が中々消えないことを、私は知っています。
私はたまにこうなるのです。
別に2人が何をしてもいい。それは罪ではない。
だが、一番の罪はそれを他人に言ったことだ。
そのせいで、こんなに重力が強くなる。
店長は歳のわりに妙に肌艶がよく、言動や立ち振る舞いはいつも「良い湯加減だな」と思わせる調子の人です。
慕ってくる若者は多いのですが、兄貴分という雰囲気こそあれど強い大物感はなく、それは彼がこれまでに何かを成し遂げた経歴がないことに起因していました。
ごくごく狭いライブハウス「オメガ」界隈のとても小さな村の外では、店長を悪くいう人もいれば、そもそも名前すら知らない人もいます。
「オメガ」での活動を足掛かりにメジャーデビューしたバンドも幾つかいて、そういったバンドメンバーが時々懐かしそうに古巣へ立ち寄ることもありました。
そんな時の店長は、これ以上なく良いお湯に浸かっているいるらしく、見てられないほど調子に乗ります。
まるで「この成功者と俺は仲間で、だから俺はこいつと同等かそれ以上に偉い」とでも言いそうな様子を恥ずかしげもなく見せるのです。無闇な高笑い、下手な冗談が来客たちの目に痛々しく映るため、段々と彼らも「オメガ」から足を遠のいていきます。

──「金もないのにチケットノルマ制のライブに出て、糖尿病なのにバクバク食って、楽器の練習をまったくせずにヘロヘロの演奏をして、なぜか自信だけはあり常に上から目線で言葉を発する化け物」と身体を重ねるのが上手い店長。

こんな思考を整えてしまった原因は、やはりA子が言わなくていいことを言ったからでしょう。
誰が誰と性交をしてもいい。本当にそれはいいんです。
でも、罪もない我々に気持ち悪い想像をさせるような発言はやめるべきなのです。

そんなことを考えていると、スマホが鳴動しました。
メールの主は先日のオメガでのイベントで対バンしたバンドのメンバーでした。

『ちはるさん。これまじヤバいwww』

短い本文に、URLが貼られていました。
私は何か嫌な予感を抱きつつ、URLをタップしました。
リンク先は、気軽に動画の生配信ができることが売りのSNSでした。
「え…………嘘でしょ…………」
思わず声が漏れました。
そのページにはA子が映っていたのです。
慌ててマナーモードを解除し、音声を最大にしました。
斜め下からの煽りで撮影されたA子の上半身は、とても威圧的でした。

……というわけで、あの人は最低です。あの人は結局は心もなく……

A子は何かを言っていますが、音声も悪く途中からだったので、すぐには内容が分かりませんでした。私は空気清浄機を消して、さらにA子の言葉に集中しました。

……なんで、男ってあんなんだろうね。なんて言うか、心がない。身体だけを目的にしている。経験上、ほんとにそんな男ばっかりだもん。

スマホを短い脚のテーブルの上に置いているようで、カメラに近い発泡酒の真横にA子が並んでいるような構図でした。

……こっちはずっと乙女なんだから、もっと大事にしてほしいって思う。うん。だって、おにゃのこだもん。ギャハハ。でも、ほんとそれだわ。

動画にはリアルタイムでコメントを残せる機能があり、視聴者数も書かれていました。視聴者数は私が入った時は「7」と表示されていたのですが、まだ一分も経っていないのにいつの間にか「3」になっていました。
そして「そうだそうだ」「おにゃのこww」「俺だったらAちゃんを大事にするけどな」というコメントが並んでいましたが、それは全て、未知のアカウント「毛虫大明神」さんからでした。
どうも現在見ているのは私と知人のバンドマン、毛虫大明神さんだけなのです。
地獄。
これはあんまりです。
私は自分の体温が下がっていくのを感じつつ、動画から目が離せなくなっていました。

……っちゅうわけで、店長のことは絶対に言わなきゃいけないと思って言いました。自分の都合だけであたしを振り回すのは良い加減やめてほしい。マジでっ。マジでっ。ギャハハハ。あと、あたしみたいに被害に遭った人、ほかにもいるんじゃないかな〜? なんて思って、こうやって動画配信しました。

頭がクラクラしました。
やはり「店長」という言葉がA子の口から出たのです。
明日から、この世界はどうなってしまうのだろうかとまで考えました。
そして急にA子が「最近見たアニメ」の話題をぺちゃくちゃと喋りだしたのを機に、私はブラウザを閉じました。

ブラウザを閉じる瞬間、最後に目にしたのは毛虫大明神さんの「穴があるならヤラせてよ(違う穴でも可やでぇ)」でした。

すぐさまMacBookを立ち上げ「毛虫大明神」で検索をかけたところ、SNSで見つけたそのアカウントのプロフィール欄には「日本万歳・古き良きサムライ魂・若者にはまだまだ負けてませんぞ・競馬・アラフィフのダンディー」とだけ書かれていました。

アイコンは笑顔の田原俊彦さんでした。

(つづく)

(5)エンディングテーマ The Stooges "I Wanna Be Your Dog"


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