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「『怪と鬱』日記」 2021年4月5日(月) あるファンからのメール──愚狂人レポート(8)

後日医者に診てもらったところ、「恐らくは自立神経の問題でしょう」と栄養剤を処方されました。
「最近、忙しくないですか?」「頑張りすぎると、こうなるんですよ」といった言葉をかけられ、最近特に目立ってきていた腰回りの肌荒れに関しても「それが原因なのかもしれません」と言われました。
1週間ほど薬を飲んで、まだ調子が悪いようならもう一度病院に来るよう告げられました。
夫に医者の見立てを報告すると「俺も最近のちはるは元気がないと思っていた」と言われました。
「口数も少なかったし、顔色も良くなかったよ」
「そうかしら。自分では特に……」
「でも、お医者さんが疲れてるって言ったんでしょ? ゆっくり休んだ方がいいよ。近くにライブの予定とかあるの?」
「うーん。今月だと、知り合いがデモ音源のガイドボーカル入れてほしいって言ってたくらいかな」
「まあ、無理しないで……」
私には医者と夫の言葉が他人事のように聞こえていました。
特に忙しいこともなく、強い疲労感を日がな感じているわけでもありません。
鼻血もあの日以来出ていませんでした。
病院へ行ったのも、あくまで夫の勧めに従っただけのことでした。

その頃は悪天候が続き、ネットサーフィンをして時間を潰すことが多くなっていました。
昼ごろに目を覚まし、徹夜でSNSを見る。
料理を作るのも煩わしく感じられ、コンビニの弁当や出前をとるようにしていました。
夕飯を食べてからは、幾らかお酒を飲み、またデスクトップに張り付いていました。

時々、A子からメッセージが来ていました。
メッセージの内容は男関係、最近したこと、自分語りなど相変わらずのものばかりでした。
しかし、私はそれらのメッセージを概ね面白く感じていました。

気持ちのいいほどバカだな。
そんな風に見ると、A子の言葉はどこか癖になるものがありました。
人間の愚かさを煎じつめたような彼女に「うん」「そうだね」と何となく回答していると、ポン、ポンと見たことのないスタンプが返ってきました。

SNSのA子のアカウントを見るのも日課になりました。

A子の投稿もLINEメッセージと同様に、そのほとんどが独りよがりで、どうでもいい内容ばかりでした。
何があったのか、突然「また裏切られたよ。あたし、いつまでこんな目にあうのかな」と投稿したかと思うと、その五分後には「カツ丼ウマウマ」と投稿し、挙句「百万円配ります」といったキャンペーンへの応募投稿がその二分後に並んだりと、彼女のアカウントの挙動はまったくのめちゃくちゃでした。

ある日A子の過去ツイートをくまなく辿ってみたところ、何枚かの自撮り画像を見つけることができました。
私はその画像の中から特に興味深かった3枚をダウンロードし、まじまじと見てみることにしました。

2年前の春に撮られたもので「桜咲いたよー」という投稿がついた写真は、なぜかどこにも桜が映っておらず、コンビニ袋を持ったA子の姿が鏡越しに映っていました。
その写真の中のA子は化粧っけもないまま、特に楽しそうな表情すら浮かべておらず、少し薄暗い部屋の中で撮られたものだったせいで、まるで心霊写真のような雰囲気がありました。
何のためにこの写真をアップしたのか、何が「桜咲いたよー」なのかが理解できず、理解できない故についつい凝視したくなる、そんな一枚でした。誰が何をSNSに投稿しても構わないのですが、A子のこの投稿は他の雑な投稿と比較しても、群を抜いて謎めいた投稿に思えました。

今年の夏に撮られた1枚は「それでもあたしは負けないもんね!」という言葉が添えられた顔のアップでした。
こちらは化粧がしっかりと施されていて、やや上から撮影されていることから、明確に自分の顔を見てほしいという意図があるものだとわかりました。

私はまったく自分の容姿に自信がなく、今までこのような自撮り画像をアップしたことが一度もありません。
アーティストとしての宣材写真は、プロのカメラマンの方に撮影してもらっていて、あくまでプロの演出にお任せしたものを使っています。
「自分が写った画像」をアップするときは、あくまで主役を別なものとしていました。
例えば新品のギターを買ったとしたら、そのギターを持つ私の写真を撮り、「主役はギター」としますし、誰かと会ったことを報告するなら、あくまで「会った人」を主役として撮影します。
下世話な話になりますが、こういった画像を不定期にアップするのも、商売の一つです。私を知るきっかけになり、売り上げが上がれば……という思いがあってやっている部分がとても大きいです。もちろん、記録する楽しみがないわけではありませんが。

しかし、A子の写真は「何のためにこの写真を」「なぜこの写真を」といった疑問だけが湧き、意図が掴みづらいものばかりでした。A子の写真に強く思ったのは「もし自分がA子だとしたら、この写真をSNSにあげるだろうか?」ということでした。

まだまだ男尊女卑の世の中です。女性はいつも容貌の良し悪しを男性から評され、テレビドラマや映画のヒロインはほとんどが美女ばかりです。
私が自分の見た目に自信を持てないのは、あくまでその「男性からの評価」を怯えてのことです。
でも、私たち女性が男性の容姿を見て「女性からの評価」を下していることも事実です。
これはドラマの主人公に容姿端麗な男性が多いことから分かります。
男女とも双方に見た目を求めているのです。
私はハリウッド女優の写真をダウンロードし、A子の写真と並べてみました。
脳裏に私が忌み嫌う「美醜」の二文字がくっきりと浮かびました。
見た目で判断される世の中は、私を生き辛くします。
それなのに生き辛いままの私が、こうやって見た目を判断しているわけです。
ジレンマを抑え込み、ディスプレイに顔を少しだけ近づけました。
ハリウッド女優はドレスを着て笑っていました。
その笑顔には決して「美しい私を見て」という雰囲気がありません。
気取るまでもなく彼女は美しい、そんな風に捉えることができる。
一方A子の写真からははっきりと「美しい私を見て」という強い思いが込められていることが分かりました。
私は美しさとはデザインからくるものだと思っています。
顔のデザインに関していえば、全体のフォルムや目鼻口の形状、配置などが「美しさ」「可愛らしさ」などを決定付けていると思います。
確かにこの写真のA子はしっかり化粧をして、さまざまなバランスを整えようとしています。それはとても真っ当なことです。
人に何かのデザインを良く見せる、ということを理解した行動だと思います。
ただ、実際の出来栄えとしては、かなり苦しいものになっています。
これでは多くの男性から「醜い」「化け物」と評価される可能性があるのです。
ここまで考えた時に、私の鼓動はドクドクと音を立てて速まりました。
不安。
突然の不安が私を襲ったのです。
A子はデザイン感覚が一般とずれているのだろうか。
それとも自分に自信をつけるために、このような写真を人に見てもらおうとしたのだろうか。
さまざまな可能性を考えてみたのですが、結局一番しっくりきたのは「肥大した自己愛の賜物としての自撮り」でした。
この写真をあげた時のA子は、紛れもなく自分は美しく、誰が見ても美しいと感じるであろうこの様を皆に見せてやろう、という意図があったように思えました。
一見さんには分からないことかもしれませんが、これまでA子とやり取りを続けてきた私には、もうそれが分かります。
速まる呼吸を抑え、女優とA子の写真を交互に見ました。
この写真の醜さは、デザインそのもののせいではない。
その背後にある、もっと淀んだ内面の醜さが出ている。
いや、これは私がA子に対して偏見を持っているからこその発想かもしれない。
冷静に。
冷静に判断しなければ。

3枚目の画像は「今日は久しぶりに弁当作ったぞよ」とあり、あまり彩りのない弁当に顔を近づけたA子の様子を捉えたものでした。
これに関しては、弁当が不味そうだな、としかコメントが出ませんでしたが、なんだか気の抜けた面白さを感じました。この画像を少し気持ちが落ち込んだ時にでも見たら、いくらか気持ちが晴れるかもしれません。

やはり2枚目の写真のインパクトが一番強く印象に残りました。
私は自己愛が希薄なので、どこか羨ましくも感じます。
とはいえ、勿論ああはなりたくないです。
A子から余分な自己愛を分けて貰えば、互いに丁度良くなりそうな塩梅を感じました。

しばらく呆けてから、3枚の画像をデリートしました。
気がつくと写真を検めることに数時間を費やしていました。
音楽を聴きながら缶ビールを飲んでいると、ふとまた3枚目の画像を見たくなりました。
もう一度パソコンデスクに向かい、A子のアカウントを表示させました。

件の画像がついた投稿を表示させると、前には気がつかなかったある表示が目につきました。

その投稿には6件の返信が付いていたのです。

私は恐る恐る返信を表示しました。
もしA子が誹謗中傷を受けていたら、私は不憫に思うでしょうか、それとも「ざまぁみろ」と自己愛の化け物を笑うでしょうか。

「あ!」と私は叫びました。

もっこちゃん
可愛いです!

ゾッと将軍
いつもながらの美貌ですね〜

ほげほげおじさん
おやおや、そんなお顔してたらおじさんダウンロードしちゃうぞ〜

毛虫大明神
好きやで〜

カニカニパパ(頑張る人を応援屋)
もっと自撮りアップしてください

毛虫大明神
わいが一番好きやで〜 ヤリたいの〜

それらの返信を目にした私は、自分の価値観の浅さを痛感しました。
需要と供給、そこには需要と供給があったのです。
私はその市場の外から物事を見ていたのです。
何も知らず、何も見ずに判断していた自分を恥じました。
そして、はっきりと自覚しました。

私はA子の世界を知らなければならない。

まだ見ぬ彼女の世界を知り、彼女に勝たなければならない。

そうしないと、私はこれから何度も何度も負けてしまうのだ。

高田先生。
高田先生ならもう分かりますよね。
私はこうして完膚なきまで「揺さぶられた」のです。

どうかもう少しお付き合いください。

このメールは私とA子の戦いの記録なのです。

(つづく)

(8)エンディングテーマ Johnny Cash"The Man Comes Around"


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