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「『怪と鬱』日記」 2021年4月13日(火) あるファンからのメール──愚狂人レポート(14)

アキラが帰った後も、私と玲香は店でボンベさんとお喋りをしていました。
ボンベさんは私が「サルーテ」で嘔吐した話を聞き、目尻に涙を溜めて大笑いしていました。
「ははははは! それ、最高だよ!」
「ですかね……。私は辛かったです……」
「だって、A子が店長とセックスしたのが気持ち悪くて吐いたんでしょう? え? 想像しちゃったんですか?」
「想像しました……地獄でした……」
ボンベさんの反応に味をしめた私は、わざと暗い口調でそう言いました。
「いやあ、良いねえ。こういうのって、掛け替えがないからね」
「面白い……ですか?」
「うん。そうそう。まあ分からない人には分からないだろうけど。まあまあ、気にしなくていいですよ。だって、ちはるさん、別に悪いことしたわけじゃないんだから。ほとんどの人が無視したり敬遠したりしてるA子とご飯食べて話を聞いて、んで、我慢できなくて吐いたんでしょ……吐いた……ぐははははは!」
「ええ、まあ。そういうことですが……お店には悪いことしました」
「いやいや、我慢できなくて吐いちゃったならそれはしょうがないですよ。俺だってA子と一緒にいるとしばしば吐きそうになりますからね」
「あははは。わかります」
「ちはるさん。俺、さっきも言いましたけど──」
ボンベさんは、突如表情を引き締めました。

「──面白いってのは一番大事ですよ。自分の価値観を持って、物事を楽しむ。したい事をする。これって当たり前のことでしょう。俺なんて、これといったブレイクもなく貧乏暮らしで細々とやってますけど、ちはるさんと玲香ちゃんなんかは、苦労を重ねて社会のルールに則って、自分が面白いと思うものを信じて結果を出した人たちでしょう。そんな二人のアンテナにA子が引っかかってきた。じゃあ、付き合いを楽しむってのもある種、表現活動の一環ですよ。うちらは体験や思慮から創造するんですから。まあ、俺はそんなつもりでA子と付き合ってはないですけど。こいつバカだなあ、って楽しんでるだけなんだけど」

「一番面白くないのは、A子みたいなのを黙殺することじゃないですかね? ああいうのはこの世にたくさんいるんですよ。それを黙殺しようとする社会がある。しかも、社会は黙殺に失敗する。だから酷いことが起きる。そうじゃないんですよ。しっかり見て、関わる。あるいは関わらない。線引きする前にちゃんと見ないと。関わりたくないなら関わらなくていいんです。その逆も然り。さらにいうと、それが面白いなら関わるのは尚良し。俺に言わせると、世の中ってのは面白いことに無頓着なんですよ。メディアから与えられたお手軽な面白さを次から次へ回して満足してる。たまに思うんですよね。それなのに、俺らみたいな自分の価値観に忠実な人が舐められてるって。本来、もっと褒められるべき存在でしょうに。いや、褒められる必要はないか……少なくともバカにされる筋合いはない」

口調こそ変わりませんが、ボンベさんが抱く沸々とした怒りが言葉から伝わってきました。私はボンベさんがここまでの考えを持っていると知らなかったので、驚きを禁じ得ませんでした。

「だって、一般の人たちって全然うちらを尊重しようとしないでしょう。ああ、変わった人だね、ってそんなもんですよ。イメージができないんでしょうね。好きな事をしてお金を得るための努力を知らないんですよ。あいつらは想像できないの。そんなこと、一回もしたことないから。もちろん、ちゃんと尊重してくれる方々もたくさんいますよ? そういう人は想像力があるんだな、きっと。うん。そういう人ってみんな知的で、優しさがありますよ」

「だから、うちらはちゃんと自分の感覚に正直じゃなきゃダメなんですよ。だからこそクリエイトできるんです。ちゃんと目を開けないと。うちらは匿名アカウントじゃないんです。看板は自分自身。安全圏にいて汚いものを黙殺したり、ただ野次を飛ばして満足してちゃ何も生まれませんからね。そんな奴らばっかりだから、こんな世の中なんですよ。理解できないから悪。自分と違うから悪。そうやって多くの悪を生み出しているから、こんな世の中になっちゃった」
「ボンベさん。良いこと言いますね」
私はすっかり感動し、素直に褒め称えました。
「ああ。勘違いしないでくださいね。俺の場合はただ面白半分でやってるだけですよ? こういうことを何となく言うのが得意なだけで……それで飯食ってますから……」
「いえいえ、照れなくていいですから」
ボンベさんは「いやあ」と肩をすくませました。

私と玲香は退店後もボンベさんの話で持ちきりでした。
「ボンベさん、やばいっすよね。あれで仲間の面倒見も良いんすよ。何回か仕事回してもらったんすよね」
「うん。なんか力の抜き加減と込め加減が絶妙。あんなに考えてる人だって知らなかったよ」
「あの、クリエイター論みたいなのグッときましたよ。あたしも自分が舐められてるって気がしてたんすよね。あたしなんて、いかにも苦労してなさそうに見えるんで。自分からそう見せないようにしてるのが原因なんですけどね」
常に肩の力が抜けているような、若く見栄えのよい玲香は、彼女を知らない人からしたら確かに楽な人生を歩んでいるように映るのでしょう。
しかし、少し考えたら二十歳そこそこでここまでの結果を出した背後に何があるのかは、想像できるはずです。
私はボンベさんの強い言葉の一つ一つに思いを馳せました。
三人の間では正しい意味を持ったあの言葉も、場所を変えたなら「お前らが勝手に歩んだ人生だろう」と一蹴されるのかもしれません。
でも、そんな反論はきっと愚かな発言者の元へ返ってきます。「あなた達もそうでしょう。あなた達も勝手に好きなことを諦めたのでしょう」と。
私たちは勝手に自分の人生を決めたもの同士、尊重をし合うべきなのです。
でも、私はどうでしょう。
私は他人を認めているのでしょうか。
今まさに認められない人が確かにいるのです。
ここ何ヶ月もその認められない人のことばかり考えているのです。
そもそも私は、ボンベさんの言葉の多くに感銘は受けていたものの、他者が私たちに向ける目線も仕方がないことだと、諦めながら聞いていた部分もありました。
ぼんやりとした不満はあったものの、あそこまで純粋な怒りを今まで持ったことがありません。
認める。
認めない。
他者と自分の関係。
イメージができる。
イメージができない。
読み取る力の有無。
他人を尊重する。
尊重しない。
玲香とボンベさんはA子をどう思っているのだろう。
二人のスタンスは場に流されてばかりの私と違って、何か揺るぎないものを感じます。
そんなことを考えていたら、私のこれまでの人生は他人の顔色を窺ってばかりだったような気がしてきました。
私は自分の人生を輝かせたいばっかりに、随分と我慢をし過ぎてしまったのかもしれません。
自分を押し込めることに慣れすぎて、本当の自分がどこにあるのか、もう分からなくなっているのかもしれません。
答えが見つけられないまま、私は今まで作ってきた自分の音楽に自信を持てなくなってきました。
「ちはるさん、いつあたしをA子に会わせてくれるんすか?」
「え? ああ。来週、ご飯いく? A子には奢らなきゃだめだよ。割り勘しよっか」
「ええ。全然、それで良いっすよ。楽しみっすねえ」
夕方の新宿の街並みは私たちを無視し、ただ輝いていました。

(つづく)

(14)エンディングテーマ John Coltrane"My Favorite Things"


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