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「『怪と鬱』」日記 2021年4月7日(水) あるファンからのメール──愚狂人レポート(10)

久しぶりに玲香とランチを食べることになりました。
以前はよく一緒にライブや共通の知人が主催するDJパーティーに行っていたものですが、玲香の仕事が忙しくなってからは対面する回数がみるみる減ってきてしまいました。
玲香の希望で、「サルーテ」に行きました。
先日の粗相に関してお店にちゃんとした謝罪をしていないことが気になっていたので、入店してすぐ顔馴染みの女性店員に声をかけました。

「あの、この前はすみません」
「あ! いえいえ。体調はあれから大丈夫でした?」
店員は明るい口調でそう言いました。
「はい。でも、お詫びもなく、ほんとすみません」
「いえいえ。ほんとにお気になさらずに……あの、それより」
「はい?」
店員は笑顔を崩さないながらも、少しだけ声のトーンを落としました。
「あの一緒にいた方、お友達ですか?」
A子が友達かどうかはさておき、私はその場でにおいて一番話が早そうな「はい」と返事をしました。
「そうですか。じゃあいいんですけど……」
このやり取りを横で聞いていた玲香が、私の横っ腹をちょんと肘で突きました。
「あ、あの……一万円のことですか?」
私がそうやって水を向けると、店員は安心したような表情を浮かべて「はい!」と答えました。
「ああ、良かった。すみませんね。お友達を疑ったわけじゃないんですけど、急に財布からお札をとってポケットに入れたもんだから、あれえ、これ自分の財布じゃないよねえって気になっちゃって。でも、お二人でお話がついてるんですよね? じゃあ、問題ないですよね。ほんと、変なこと言ってすみません」
店員は口早にそう言い、照れた様子を見せました。
玲香はニヤニヤしたままその場を離れ、空いている席に座りました。
私も店員に改めて謝罪をして、玲香のもとへ向かいました。

玲香はわざとらしく口を開けて、カッカッカッと笑いながら私の様子を見ていました。
「凄いっすね」
「うん……」
「普通、流れの一部始終を見てた店員の目の前で、友達の財布から金抜きます? 衝動的な犯行じゃないっすか……わはははは」
玲香はまた堪えきれず大笑いしました。
「だよね。ほんと。凄いよね……」
私はまだ笑えませんでした。
怒りはなく、この先さらに何かがあるのではないかと怯えていたのが正直なところです。
笑い事で済ませていいのか自分の中で整理がつかず、笑う玲香に二の句が継げません。
「ああ、面白い。しかもこっちにその気がないのに、店員が勝手に話し出してバレるってのも、凄いよ。映画みたい。普通、こんなことある?」
「ないよね……A子ってやっぱり凄いのよね」
私はそれを素直に認めました。
そして堰を切ったように、私が調べたA子についての情報をもとにした考察を、玲香に伝えました。
私が熱っぽく話すほどに玲香は笑い、「凄い、凄い」と喜びました。
「あははははは! やめて! 毛虫大明神ってなんなんすかぁ! 笑いすぎてお腹痛い! ほんとに!」
玲香は事前にA子のアカウントをチェックしていたそうで、ルックスについて把握していました。
「あんな気持ち悪いおばさんとヤリたいとかって! マジで凄い! ちょっと待って……」
玲香はスマホを手に取り、何事か確認しました。
「うわあ! 毛虫大明神さんがプロ野球に文句つけてますよ! 監督変えた方がいいって……おばさんとヤリたがってる癖に! あはははは! どの口で!」
玲香を見ていて、ついつい私もふふっと笑ってしまいました。
「ちはるさん、こんな面白いコンテンツを独り占めしてるんすか? あたしも混ぜてくださいよ」
以前も玲香はA子に会いたい旨を私に告げていました。
彼女はきっと本当にこういう味わいのものが好きなのでしょう。
ただ、私には玲香の気持ちがよく分かりません。
他人事だからと笑っている風にも見えず、「凄い、面白い」という言葉も陰湿な響きがありません。ましてや、A子に会いたいと本気で言っています。
私は俄然この玲香のスタンスに興味が出てしまい、色々と意見を聞いてみました。
「A子って、多分ずっとそんな感じで生きてる人っすよ。ほんと、ずーっとそんな感じで。その時その時で、盗れそうな金が目の前にあったら盗ったり、ヤリたい人いたら『ヤリたい』って伝えたり。他人のことなんかどうでもいいんでしょ。ちはるさん、A子のことを自己愛が肥大してるって言ってましたけど、実際それだと思いますよ。ただ、『自己愛の肥大』なんて言葉では表現しきれないものもありそうですけどね。もっと周りを巻き込む何かこう、目に見えない力っていうか。A子パワー? A子エネルギー? みんなそういうのに当てられてるって気がしますね」
「え? 超能力みたいな?」
「いやいや、そんなんじゃなくて。うーん……上手く言えるかな……」
「え。聞きたい聞きたい。すごく気になってるのよ。玲香、教えてよ」
「ええと。じゃあ、話してみますね。あくまで私の考えですから」
「お願い」

「A子って単なるキモいおばさんじゃないっすか? それなのに、店長ともヤる、ちはるさんをビビらせる、バンドマンたちにも話題を振りまいて一目置かれてる。さっきなんて、初対面の店員さんが話題にしたんですよ? まずこの現状を見て、ちはるさんはどう思います? 一介の中年女性にこんなことはできませんよ。これって全部、彼女がバカみたいにアクティブだからなんすよね。バカみたいにアクティブって、なかなか普通はできないことっすよ。何かをする前に、誰でも考えるでしょ。やって良いことか、悪いことか。やったらどうなるか。そんな事を考えてから人は行動を決める。でも、A子は違う。とにかく行動する。即物的行動をどんどんとっていく──」

ここまで話すと、玲香は赤ワインのボトルとチーズをオーダーしました。

(つづく)

(10)エンディングテーマ The Breeders"Cannonball"


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