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「『怪と鬱』日記」 2021年4月9日(金) あるファンからのメール──愚狂人レポート(12)

A子に関して互いの見解を話し合っているうちに、二人ともすっかり酔ってしまいました。
「ちはるさん、なんかこうやって話してると、急にヤツが店に入ってきたりすんのもあり得ますよね。ヤツはそんくらいの能力ありますよ」
「そうね。じっとあのドアを見てたら、ぬっと現れたりしてね」
私たちはそんな冗談を言って、笑いながら店の入り口に顔を向けました。
すると、まるで私たちの目線を待っていたかのようにドアが開き、スーツ姿の男性が入店しました。
「あっ」
私たちは同時に声をあげました。
「ああ、あー。ちはるさん、玲香さん。奇遇っすね。もう飲み始めてるんすか。流石だなあ」
男性は私たちの共通の友人、アキラでした。
「おう、アキラ! 仕事か!」
「玲香さん、怖いなあ。仕事っすよ。ここ、Wi-Fi強めに入るんで。でも、二人に会っちゃったらもう仕事したくないなあ」
アキラは調子の良いことを言いながら、ちゃっかり私たちのテーブルにつきました。
「俺も飲もうかなあ。いや、まだ仕事あるしなあ。でも、今日はもう会社に戻らなくていいんだよなあ。悩むなあ。ちはるさんはどう思います? 俺、飲みますかねえ?」
「何よ、その質問。飲まないかもね」
そうとぼけると、アキラはわざとらしく私を無視して店員にビールをオーダーしました。
アキラは本業の広告マンをする傍で、ソロギタリストとして活動しています。
たまに他のミュージシャンのサポートをこなし、ごく稀に音源をリリースするというマイペースな活動をここ数年していますが、持ち前のセンスと腕前が評判を呼び、業界でアキラを知らない人はいないと言っても過言ではないほどの名を馳せています。
「ちはるさん、また二人でライブやりません。俺、久しぶりに一緒にやりたいなあ」
「そうね。いつ暇? あたしはいつでもいいよ」
「マジっすか。ハコ、どこにします? 俺、オメガ以外ならどこでもいいっすよ」
「ふふっ、オメガ。アキラ、オメガ嫌いなの? もしかして、店長のアレのせい?」
玲香はさも愉快そうにそう言いました。
「アレも何も、あんなとこ怖いっすよ。店長、あそこのステージであのヤバいおばさんとヤッたらしいっすからね」
「え! マジ! マジなの!」
玲香は一際大きな声で反応しました。
私もアキラの情報に並々ならぬ興味を持ち、二人の会話に耳を傾けました。
「アキラ。それは誰情報よ? 店長が言ってたの? ここでヤリましたって?」
「いや、本人が言ってたらしいんすよ。おばさん本人が」
「え? もしかしたら、また配信してたの?」
「いや、それは配信じゃなくて、おばさんがボンベさんに言ったらしいっす。これ、ボンベさん情報なんすよ」
「ボンベさん! あの人、ヤバい!」
玲香は手を叩いて喜びました。
君島ボンベさんは新宿の雑居ビルで中古レコード屋を営んでいる中年男性で、マニアックな音楽知識を生かして音楽ライターとしての活動もしていることから、界隈では「知る人ぞ知る怪人」と認知されている存在です。私はさしたる付き合いはなかったのですが、玲香はかねてボンベさんのファンと公言していて、何度か一緒に飲んだこともあると聞いていました。
「ボンベさん、結構前からあのおばさんにハマってるらしいんすよ」
「ハマってるって、そういう関係?」
「いやいや、あの人は一番ないですよ。なんか『極度に面白い』ってだけで一緒に飯食ったりしてるらしいっす。んで、なんかあったら俺たちに報告するんすよ。急にメール送ってきたりして。で、その中に『あいつら、オメガでヤッてたってよ。傑作だ』ってのがあったんすよね。ボンベさん、嘘は言わない。あの人、マジなんすよ。マジでイカれてるから」
「いやあ。やっぱボンベさん最高! 面白い! コンテンツクリエイターの鏡!」
二人はそれから、ボンベさんにまつわる様々な逸話を酒の肴にしだしました。

「ボンベさん、前にいた会社が傾きそうな時にペーペーのOLから『ボンベさんがリストラされればいい!』って面と向かってマジで言われたらしいっすよ。そんで『俺もそう思う』ってちょっと照れながら返したって」

「あたし、ボンベさんが同棲してた女と別れたいからって、その女と一緒の時、五分に一回、わざと顔を引き攣らせてたって話を聞いたのよ。本人曰く『キチガイ仕草』で別れを切り出させたって。なによ、その言語感覚! 最高じゃんね!」

「ボンベさん、重度の甲殻類アレルギーなのに、年に一回は試しに蟹食うって。そんで年に一回は入院してるんだって」

私たちは腹がよじ切れそうなほどボンベさんの話で笑いました。
「はぁ、面白い! ちはるさんはボンベさんと絡みないんすかぁ?」
玲香は目に涙を浮かべながら、私に聞きました。
「それが、打ち上げとかで一緒になったことあるんだけど、お喋りしたことないのよね。軽い挨拶くらい?」
「マジっすか。じゃあ、あたしと今度一緒にボンベさんの店に行きましょうよ。紹介するんで。A子の面白い話も聞けそうじゃないっすか」
玲香のような人間がもう一人いる。
そしてそのもう一人は、既にA子に相当な接触を重ねている。
サルーテでの楽しい時間は、私が抱いていたA子への執着心のようなものを幾らか和らげてくれましたが、一方で新たな興味が強く湧いきている実感がありました。
バタフライ効果。
些細なエネルギーが、大きなうねりを呼ぶ。
A子はきっかけに過ぎない。
むしろA子が期せずして生んだ産物に何かがある。
A子がポコポコと創造する異形の世界を見届けることで、私は新しい武器を手に入れ、世界をもっと知ることができる。
それを知った私はどんな歌を唄うのだろうか。
かつての自分と違う自分が欲しい。
かつての自分──それは唾棄すべき存在でした。
ただ我慢をして、腫れ物に触らず、良い子である自分を見せて商売をしていました。
まだ見ぬ世界の存在を無視して生きるのは、まっぴら御免だ。
これまでの私の周りには濃い霧がかかっていたことを、今になって気がついたのです。
私はグラスワインをクッと飲み干しました。

「ねえ、今から三人でボンベさんのとこに行かない?」

私に睨まれた二人は「おおー」と声を揃えて拍手をしました。

(つづく)

(12)エンディングテーマ Daniel Lanois"Tha'ts The Way It is"


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