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父ちゃん4日目〜「母には敵わない」父の愛の形〜

心太朗は、澄麗が送ってくる健一の写真や動画に夢中になりながら、母親としての彼女の偉大さを痛感する。命を賭けて健一を産み、すべてを捧げる姿に、父親としての自分はただ傍観者でしかないことに悔しさを感じる。しかし、その無償の愛と献身が彼の心に深く刻まれ、家族を守る覚悟が芽生えていく。

**父ちゃん4日目(11月20日)**

心太朗は今日もソファにどっかりと腰を下ろし、スマホの画面を見つめながらニヤニヤしている。いや、ニヤニヤというよりも、もう少し気味の悪い、崇拝じみた微笑みだ。スクロールする指先は止まらず、画面には健一の写真や動画が次々と流れる。澄麗が送ってくれたものだ。溜まった動画フォルダの中で、健一が手足をバタつかせたり、不思議そうにカメラを見つめたりしている。心太朗の目は、無意識のうちにその画面に釘付けになり、やがて笑い声すら漏れそうになる。

「はは、健一、今の顔なんだよ…」

自分の独り言に、ハッとして口を閉じる。だが、この独り言すらも彼の密かな楽しみの一部だ。澄麗が送ってくれる動画や写真は、正直、心太朗の人生の中で今一番の贅沢品だ。それなのに――いや、それだからこそ――まだ足りないと感じるのはどうしてだろう。贅沢は際限がない。動画の一瞬一瞬を見逃さないために、彼は無駄にスクショを撮り続けている。既にスマホの容量が危機的状況にあるのも当然だ。

健一は、動画の中で相変わらずキョロキョロと落ち着きがない。その目は何かを探し、何かを見つけ、そしてまた何かを見失っている。そんな不思議そうな顔をしている間に、ふと笑顔らしき表情が浮かぶことがある。その笑顔――本当に笑顔なのか?それはわからない。なぜなら、その数秒後には決まって大泣きが始まるからだ。

「おいおい、どっちだよ、健一。喜びか、悲しみか、選んでくれよ…」

心太朗はそう突っ込むが、その感情のジェットコースターですら、彼にとっては至福のひとときだ。健一の泣き顔さえも、画面越しの宝物であることに変わりはない。自分でも呆れるほどだが、事実なのだから仕方ない。

一方で、澄麗の顔を見るたびに、少し罪悪感がよぎる。最近、彼女はどうも疲れているようだ。テレビ電話越しの声は鼻声だし、目の下には隠しきれないクマがある。

「ちゃんと寝てる?」

心太朗が尋ねると、澄麗はいつもの調子で「大丈夫」と答える。けれど、その言葉にはどこか無理が滲んでいるのがわかる。

本当は四六時中、健一の写真や動画を送ってほしい。朝昼晩のルーティンのように、健一の姿を見て癒されたい。だけど、それを澄麗に頼むのは酷だ。彼女は寝不足のはずだし、健一の世話だけでも大変だ。それくらいの想像力は、さすがに心太朗にもある。いや、そう思い込むことで、健一に関する欲求をぐっと飲み込む。

「寝られるときに寝なよ」

心太朗はそう言うが、自分の言葉がどれほどの説得力を持つかは怪しい。テレビ電話を切った後、澄麗の疲れた顔が頭から離れない。だが、その一方で、動画フォルダを開き、再び健一の笑顔を求める指を止められない自分がいる。

心太朗は、ぼんやりと天井を見つめながら、胸の奥で燻る感情を持て余していた。「母親というのは、こうも簡単に命を賭けられるものなのか」と、ふと思う。簡単、という言葉は不適切だと気づくが、それ以外に表現のしようがなかった。澄麗は、あの日、命を賭けて健一を産んだ。病院の空気、モニターの音、医師たちの緊張感。全てが心太朗の記憶に鮮明に焼き付いている。

彼はただ、横で見ているしかできなかった。それが悔しかった。何もできないどころか、彼女の痛みも苦しみも代わってやれない。それどころか、祈ることすら無力に思えるほど、自分はただの傍観者だった。

「健一だって、命を賭けて産まれてきたんだよな…」

生まれたばかりの健一の泣き声を聞いた瞬間、その小さな命がどれだけのリスクを乗り越えてきたのかを思うと、胸が詰まった。

今、電話越しに見る澄麗の顔は、すっかり「母親」のそれになっている。目の下のクマや疲れた様子が痛々しいのに、健一を抱く彼女の表情には、母性という名の輝きがある。だがその反面、画面越しに自分を見つめる彼の顔は、どうにも冴えない。

「俺、ただニヤニヤしてるだけじゃん…」

心太朗は、自分への呆れと同時に、父親としての何かを問われている気がしてならなかった。

澄麗には勝てない――

そう、彼は確信している。現時点で、健一に対する愛情の深さでは到底敵わない。父親というのはそんなものなのかもしれない。子供が生まれて間もない頃、父親はただの傍観者で、母親ほど深く子供に関わることはできない。それは生物学的な限界だと、理屈ではわかっている。

それでも、心のどこかで悔しさを感じるのは、彼自身のエゴだろうか。「もし仮にどちらか一人しか健一と一緒にいられないとしたら?」と問われたら、彼の答えは簡単だった。「それは澄麗だ」と。健一を最も必要としているのは彼女であり、彼女の方が健一を最も愛していると信じている。

しかし、家に帰ってきたとき、健一のそばに心太朗もいるのだ。それを思うと、不意に欲が湧いてきた。

子供の運動会――その光景が頭に浮かぶ。父親として、校庭の隅に立ち、我が子の一生懸命な姿を目に焼き付ける。妻と子供と三人で手を繋いで家路を歩く。そんな小さな夢が彼の胸を熱くする。

現在のモットーは「子供の成長を見逃さない」。

そして、それはただの理想ではなく、確固たる目標となった。健一が泣いて、笑って、歩き出す瞬間を一秒たりとも見逃したくない。だが同時に、彼は思う。父親として、妻と子供を守らなければならないと。彼らのために、稼がなければならないと。

「澄麗と健一に、贅沢させてやりたい。」

この思いは心太朗の心の中で膨れ上がっている。行きたい場所、食べたいもの、欲しいもの。彼らが望むものは全て叶えてやりたい。だが、それと同じくらいに大切なのは時間だ。彼らと過ごす時間を犠牲にするようなことはしたくない。それが彼の中の譲れない矛盾であり、欲望だった。

「ワガママだよな、俺…」

そう呟きながらも、彼は自分に誓う。この時間を死守するため、彼らを贅沢させられるように、どちらも手に入れる方法を見つけると。そして、この戦いが、心太朗にとっての父親としてのスタートラインだと感じていた。

どこまでやれるのか、自分でもわからない。だが、澄麗が命を賭けて健一を産んだように、自分も何かを賭けなければならないのだろう。大袈裟かもしれないが、それくらいの覚悟が必要なのかもしれない。

心太朗は立ち上がり、スマホをポケットにしまった。その瞬間、心の奥底に微かな決意が芽生えた。それは父親として、そして一人の人間としての小さな戦いの火種だった。

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