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音楽は、方法だ。

それが、シンガーleift(レフト)として活動し始めてから僕が導き出した答えだ。僕は音楽で食っていくことも、音楽と共に生きることも、自分にとって目的ではないと突き詰めるほどに気が付く。


少なくともアーティストして活動している根源にあるのは、
音楽がやりたいからじゃない。
僕は一貫して「自分を生きたい」からleiftになったんだ。


自分が自分を生きるための障壁

そうはいっても、実際は「100%ピュアな自分」で生きていくことは、今の僕にとってまだ難しい。なかなか、掲げたビジョンを純粋に遂行するだけでは、自分の望むスピード通りに成長は難しい。そんなふうに思うことが多々ある。(その考えを、このnoteの後半で否定することになるのだけど)

そもそも僕の場合、自分が求める「成長速度」も理想より現実から導き出されがち。数ヶ月先の自分の生活が一切保証されていないからこそ、自分に期限を設けていかないと立ち行かなくなる。

今はまだ、ありもしない妄想だけど、自分が全く生活に困らない状況を作れたら、自分はもっとじっくり時間をかけて成長するプランを描くのかな。

ありもしないことを考えても、意味はない。


ワンマンライブのプランニングも同じ

僕の場合、成功する算段を持ってWALL&WALLに相談したわけではない。leiftというアーティストの理想的な成長曲線を描きながら、「6月のタイミングでこの規模のライブを質・集客の両面で成功させなくちゃいけない」という「自分に課した使命感」で日付や内容を設定してる。

僕には僕の描いた「leiftはかくあるべき」という指針がある。それを形にしていくことで、少しずつ「心の奥こそから溢れた100%の自分」が、社会という決して自分本位には動かない環境の中に「自分らしくいられる場所」ができるんじゃないかって信じてる。


ストリーミング実績の成長とリアルの関係

事実ありがたいことに、デジタル配信プラットフォームでのleiftの存在感は、SpotifyやApple Musicがleiftの楽曲をプレイリストでセレクトしてくれるおかげで、日に日に少しずつ居場所を感じられ始めてる。

ただ、たとえオンライン上に自分の居場所ができたとしても、
オフラインで生きている自分の生活は、
これまでと何一つ変化がない。

その証拠に、正直な話、なかなかワンマンライブのチケットは売れていかない。だからこそ、発表数日でチケットを買ってくれた方への想いは深く、本当に本当にありがたいって思ってる。

ただ、今のままだとleiftが思い描いているライブに届かない。せっかく来てくれるお客さんにも、僕が描く音楽の熱気を一緒に体感してほしい。だから僕はもっと、自分を知ってもらう必要もあるし、興味を持ってもらえるよう言葉を行動を紡いでいく必要がある。


「知ってもらう」と言えば。

知ってもらうのは入り口であり、手段

僕は冒頭で、ビジョンを純粋に遂行し続けるだけだと難しいと書いた。でも思考を整理して、今の自分の状況を冷静に分析すると、果たして僕にとって本当にそうなのか?と思えてくる。

元・博報堂の営業マンである僕がこんなこと言うといかにもって感じなのだけど、僕が入社した頃のコミュニケーションモデルとして

  • AIDMA

  • AISAS

みたいな話をよく耳にした。

別にこれが何かという話はそこまで意味を為さないのだけど。

「AIDMA」と「AISAS」両者とも、最初の「A」は「アテンション = 認知」という意味だ。つまり、人間の購買・消費行動の最初は認知に依拠して、「知られないと始まらない」という何となくの定説がある。僕もそれは正しいと思う。

わざわざ覚えたての言葉を使いたがるように話を持ち出したかというと、僕の場合、今の目標を叶えて次に進むために必要なのは、必ずしも認知だけじゃないということを言いたいからだ。


以下は、leiftとKOTARO SAITO名義でのSpotifyにおける累計リスナー数。

leiftの累計


KOTARO SAITOの累計

アーティスト活動を始めたばかりのleiftですら、僕の音楽を聴いたことがあるユニークリスナーの方は4万人弱いて、プロデューサー名義のKOTARO SAITOに至っては、128万人の方がこれまで聴いてくれている。僕の楽曲かどうかを知らずに聴いた方も含めてだ。

認知の指標って、コンテンツや情報に触れさえすれば1カウント的なものだったりする。そういう意味で、僕が叶えたい「ワンマンライブにおける内容・集客両面における成功」のために必要な認知数は、既にかなり足りていることになる。細かいデータは割愛するけど、日本国内(主に東京)のリスナーがかなり多いことを鑑みても、エリア的な認知も充分なはず。

・・・となるとだ。
僕の課題は、認知以外のところにあるんじゃないか。
今実は、僕はそんなふうに思っている。


「A」より、「I」が課題

「I」とはつまり「インタレスト = 興味」だ。

正直な話、僕が目下求めている「表参道WALL&WALLをソールドアウトして、質と共に最高のワンマンライブをする」という少し先のゴールに対して、(勿論、もっと認知されるに越したことはないけど)僕をまず知ってもらうということは課題ではないんじゃないかと思い始めてる。

より「知ってくれた人に興味を持ってもらう」ことの方が僕の場合は重要。僕が今来て欲しい人数って、どれだけパンパンに来てもらっても200人。だとしたら僕が今やるべきことのひとつに、ここnoteを含む僕を知って僕の話や音楽を聴いてくれた人に向けて語ることなんじゃないか。

勿論、僕の活動において「今の知名度で充分」とは全く思っていない。でも僕は今、今僕を知ってくれている人、僕の音楽や言葉に接触してくれる人に、もっと自分を伝える努力ができるんじゃないかって思ってる。

だってさ。


「ライブで歌うこと」って、僕にとって何なの?

って話で。

僕は鍵盤を弾いているときに比べて、歌うときの方が演奏していてお客さんとの距離が近い気がしてる。楽器のパート上の性質が大きく影響しているのだけど、鍵盤はどうしてもリズム同様に全体のバランスを見ながら演奏する。だから常にバンドに目配せするし、メンバーのことを気にかけて弾く。

一方で、ボーカルとして立つと自分の鍵盤の音やオケは勿論のこと、
バンドもまた「支えてもらう存在」だ。

フロントマン、つまり客席と最も近いところにいる存在。僕はボーカルのことをそう思っている。音楽と客席をつなぐ橋渡しで、客席の熱量を音楽に変換する立場。そう考えると、僕は今まで経験したことがなかった

バンドを見るのではなく、オーディエンスだけを見て歌う

ことを、今はもっともっとしたい。

僕は人前で話すのが大好きだ。オンライン上で、間接的に話すウェビナーや講義も大好き。オフラインは、もっともっと好きだ。理由は、客席で頷いてくれる方々と、生の会話をしている気持ちになるからだ。

僕は客席にいてくれる方々を巻き込んでライブがしたい。会話がしたい。だからある意味、「手段」と言い切った音楽や歌の本質は「コミュニケーション」なのかなって思う。最も抽象度が高く、最も練りに練られた言葉で語れる会話。僕にとってライブは、その想いを伝えられる場であってほしい。



そういう前提で、ここからはライブのMCだと思って、
note読者の皆さんに聞いてほしい言葉があります。
少し、口調を変えさせてもらいますね。

今は今しかなくて、毎日積み重ねるしかない

僕に興味があろうとなかろうと、まずこのnoteに辿り着き、「スキ」をくれたりフォローして毎記事読んでくれる皆さんに、僕は感謝しています。

歌を始める決断をした2021年の夏頃、
僕にとって唯一継続的に表現や発信を続けられていたのがnoteでした。

とにかく音楽を作ることを追求したかった自分が、思い切り自分にブレーキをかけて「これから自分は何をしたいんだ?」に迷い悩んだ時期に、noteがあったこと、沢山の方にリアクションをもらえたこと、嬉しかったです。

そんな僕は、きたる4月5日(水)に、
leiftとしての1st.アルバム『Beige』をリリースします。

アルバム『Beige』のアートワーク

よければ事前予約してみてください。

この時期にリリースするのもあり、僕は自分が「ベージュ」というタイトルをつけたアルバムのアートワークを、桜をたぎらせたようなピンクで埋め尽くしたいと思いました。

1年8ヶ月という期間を、自分にとって未知でしかない歌に全振りして生きることは困難そのものでした。誰からも求められていないことを、誰にもゴールを与えられず期限も定まらないまま始めた活動は、まさに未来が見えない暗闇を彷徨う感覚。生活だってどんどん苦しくなったし、音楽一本で生きることを悔やんだ時期もありました。

そんな状況を何とかくぐり抜け、アルバム、そしてleiftの「β版」とも言える第一形態が完成してみると、作り始める前と今で、音楽に向き合う姿勢が大きく変化したことを実感します。


歌う僕はまだ、力が抜けていない

KOTARO SAITO名義で作った最新のアルバム『STELLAR』は、今思えばものすごく自分の肩の力が抜けた「自分史上、最も平穏な音楽作品群」です。

アートワークも、なんだか力が抜けています。

この作品で、インストでの音楽表現をやりきってしまったと僕は感じました。だからこそ自分の次は何か、答えを出すのに1年8ヶ月かかりました。僕の中で音楽への熱や愛情が破壊され、再生されたのがleiftです。


leiftという人格は、まだデビューして1年も経っていない新人です。何作もアルバムを出してきたKOTARO SAITOと違い、アーティストとしてのスタイルを模索していた段階で順々に曲を作り進めていました。だからこそ僕は、完成したleift名義のアルバム『Beige』を聴いていると


もっとフレーズ同士の関係性を意識して歌いたかったな。
この言葉のトーン、もっと明朗に歌った方が強かったな。


などなど、とにかく歌を中心に左右が見えていない未熟さを感じる節が、今となっては結構あったりします。悔しいですよ。もっとやれることがあっただろって思ったりもします。


でも、一方でこうも思うんです。
もうきっと、この「たぎり」は、2度とないなって。
KOTARO SAITOとしてアルバムを作り始めた頃より、
はるかに成熟したトラックと未熟な歌って、
エネルギーとしては真っ直ぐで強いなって。


だから僕は、今の自分のエネルギー量で音楽を聴くと、成熟して静的な『STELLAR』より、未熟と成熟が混在した動的な『Beige』の方が、正統なる進化だなって思えるんです。

別名義にしているけど、僕にとっては地続きの歴史。きっとleiftの活動を成熟させながら、僕はまた更なる進化を求めてインスト作品にも着手します。noteを読んでくれている皆さんには「人間・齊藤耕太郎」として接しているつもりだから、名義は関係なく付き合ってもらえたら嬉しいです。


上がってる日も、落ちてる日も

全てをぶつけて僕は生きています。

ここnoteは最初、音楽関係者や音楽制作・配信に興味がある人向けにハウツーを紹介するところから始まりました。それが徐々に、自分の内面を語る場に変わりました。

こういう記事を上げていた時は、今とは違う形で「たぎって」書いていました。落ちてることを書いても、自分に何も価値がなかったし、事実そんな記事はあまり読まれもしませんでした。

やるべきだと思ったことをしっかり書き続けてきたからこそ、こんなにも内面的なnoteがこうして読んでもらえるようになりました。その淡々とした「とにかく書き続ける」という行為のように、僕は今leiftとして歌の練習と日々の発信に明け暮れています。

嫌な気持ちが、良いことを平気で上塗りしてくるような日々。
それでも前に進みたいのは、

僕の経験したことや感情が、
誰かに届いている実感があるからです。

何よりその事実に救われるし、
だからこうして自分の気持ちを書けるんじゃないかな。


しつこいけれど

今の僕には、noteや音楽配信という1方向的なコミュニケーションじゃ満足できない自分がいます。だから、ライブがしたいんです。

僕にとってライブは「投げかけ」

音楽表現や演奏という行為は、僕が伝えたい根幹を、最も感情的に伝える「手段」です。目的はあくまで「僕の心の内側を伝えること」なんです。

やっぱり、みなさんの顔を見て僕は話したい。1万人ものフォロワーの方がいて、悔しいけれど僕はどんな方がnoteを読んでくれているのか、もうしっかり把握できなくなっちゃってる。コメントもしにくいでしょうしね・・・。

知りたいんです。皆さんがどんな方なのかを。

「またまた、そんな都合のいいことを」と思うかもしれない。でも、わかって欲しい。そう思っていなければ、僕は身内にも言いたくないような自分の苦しみや本音を、こんな形で書いたりしません。

noteにせよleiftにせよ、
僕は僕をあけすけに語ることで
興味を持ってくれる人を探しているんだと分析してます。

僕のようにヤキモキした気持ちを抱えて生きている方、
そんなヤキモキを俯瞰して何かを思っている方。

会いたいです。話したいです。
特にleiftというシンガーは、そんな気持ちを抱える人に
届いてほしいし、音楽をきっかけに会話したいんです。

よかったら、ライブに来てください。

よければ他のSNSも。
特にインスタのストーリーズが更新頻度高いです。


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