誰も読まないブログの条件=誰も聴かない音楽の条件
こんにちは。
音楽家育成塾のこうたろうです。
創作活動とは、内なる情熱を形にし、それを外の世界に提示する行為です。
しかし、どんなに素晴らしい作品(定義できますか?)を創っても、その作品が誰の目にも止まらず、声もなく深い海の底へと沈んでいくことがあります。
いえ、定義し、意識しなければほとんどの芸術作品、音楽作品は深い海の底に沈澱し続けることでしょう。
この記事では、「誰も読まないブログ」と「誰も聴かない音楽」が直面する共通の課題に焦点を当て、創作者がよく犯す過ちと、それを避けるための戦略を探ります。
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誰も読まないブログの条件
さて、その前に、、、
あなたはブログサイトを作成したことがありますか?
ブログの運営というのは実によく考え、速やかに行動しないと、PV数に繋がらない創作の筋トレのようなもの。
是非一度ブログサイトの運営をやってみることをおすすめします。
そんなブログ記事。
一体何を書けばいいのでしょうか?
日常を綴った日記の限界
多くのブログが見過ごされる一つの大きな理由は、単に作者の日常を綴った日記であることです。
これらは作者にとっては意味があるかもしれませんが、読者にとっての価値は限定的です。
読者が自身の生活と関連付けられない内容は、彼らを引きつけません。
じゃあルーティン系のVlogはなぜあんなに人気なのか?
それは、あなたの視点での日常ではなく、「人の生活を覗き見する」というコンテンツだからです。
ブログでそれができれば問題ないでしょう。
しかし、ブログであなたの生活は覗き見することはできません。
ここで、Vlogを出したのは、私たちは芸術、つまり音楽を創るということにフォーカスしなければいかないからです。
音楽はブログ同様にVlogのような「覗き見る」というニュアンスを含ませることはできないのです。
俺様語りの問題点
同様に、自己中心的な内容も読者を遠ざける要因です。
読者は新しい知識を得たり、感情に訴えかける話に惹かれますが、ブログが単なる個人的な意見や自慢話に終始すると、多くの場合、興味を失います。
俺様語りは若者と高齢者に多いのが特徴です。
高齢者の場合は本当に人生経験を積んでそこから知恵を導き出すことができるケースがあるため、まだましですが、若者が俺様を語ったところでそれを楽しめるのはあなたの恋人と両親だけでしょう。
誰も聴かない音楽の条件
音楽もまた、創作者の個人的な経験や感情を表現する手段です。
しかし、それが聴き手の共感を呼び起こせない場合、広く受け入れられることはありません。
共感と関連性の欠如は、音楽が聴かれない一因となります。
「良いものを創っていれば売れます」という考え方の人もいらっしゃいますが、この資本主義の世界で「良いもの」というのは、どういうものか?
あなたははっきりと答えることができますか?
この世界で定義される「良いもの」とか、「社会に機能を提供できるもの」であるわけです。
機能を提供できないものは、良いものではありません。
では、芸術作品は?
機能を提供していますよね?
この記事を読めば明白です。
技術よりも表現を重視しない作品
技術的な完璧さを追求することは重要ですが、それだけでは不十分です。
感情を伝え、聴き手の心に響く音楽は、技術以上に表現の豊かさが求められます。
技術に富んでいても、感情の伝達が不足している作品は、しばしば聴き手にとって魅力を感じないものとなります。
技術というのは、現代ではもう頭打ちです。
仮に頭打ちではなかったとしても芸術とスポーツは違います。
早く指が動かせるようになったところでそれがなんだ?というのでしょうか?
芸術と音楽の本質にある部分というのは、運動機能ではないと断言できます。
成功するブログと音楽の共通点
聴き手/読者に価値を提供する、つまり、社会に機能を提供することにあります。
成功するブログや音楽は、それぞれの聴き手や読者に明確な価値を提供します。
それは教訓であったり、共感を呼ぶ話であったりしますが、常に読者や聴き手のニーズに焦点を当てています。
読者は何を解決したいのか?
オーディエンスは音楽をどのように日常に取り入れたいのか?
音楽の力で何を解決したいのか?
なぜ音楽を求めているのか?
一度制作を始める前に考えてみてはいかがでしょうか?
結論とまとめ
「誰も読まないブログ」と「誰も聴かない音楽」は、表面的には異なるメディアを扱っているかもしれませんが、根底にある課題は驚くほど似ています。
創作者が自己の内なる世界だけに焦点を当てず、読者や聴き手との関係構築に努めることで、その創作物はより広く受け入れられるようになります。
創作はコミュニケーションの一形態です。だからこそ、私たちは自分の声が聞こえるよう、そして心に響くよう努力する必要があります。
あなたの芸術論は誰も興味ない
社会に媚を売るのは嫌だ!
おれは魂の叫びを叫び続けるんだ!
芸術とはそういうものだ!
確かにそれは一理あるでしょう。
素晴らしい考え方であり、否定するつもりはありません。
しかし、ここで、良いものとは何か?
筆者が先述したとおり、一度定義してみてください。
視点が己にあるため、明確に定義できない事実に直面するでしょう。
明確に定義できない良いものは、良いものではありませんよね。
では。
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