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今自分に出来ること。前編 〜これまでのサッカー人生〜

出会い

幼稚園年中

サッカーに出会った。

実家の隣町、岸和田にあるサッカースクール

その頃はチームの中で特にポジションや役割、戦術なんかはあまりなくて毎回の練習の最後にある紅白戦が楽しみで楽しみで。

点を決めた時の快感とか、キーパーやって止めた時のみんなの喜ぶ姿とか。

家に帰っても家の中で机の間をゴールにして遊んだり、小学校の昼休みもサッカーしかしてなかった。

青春

中学校

地元の公立中学のサッカー部に所属。
中学校では、地元の有名なクラブチームの子たちも部活に入ってきて、それまで『自分が一番うまい』と思ってたのが徐々に崩れ始める。

本気で練習しないと試合に出れないなという初めて抱いた危機感と同時に、こんなに上手い子達とサッカーできるんだってゆう喜び。

ひとつ上の代は、地元で上手かった人たちがみんな部活に入ってたからかなり刺激になった。
府大会ベスト4まで行ってたし。

中学のときはほぼ全てのポジション試されたけど、1番試合に出たのはFW。
当時も背は低くてスタミナも無い方だったから、瞬発力と裏抜けのテクニックだけで戦った。

卒業前最後の大会、大怪我をしたチームメイトもベンチで見守る中 負けたら終わりの試合で最後の最後勝ち越しゴールを決めたあの大雨の日は忘れられない。

もう8年近く前だけど、未だにどんなゴールとか決めた後にすごい勢いでチームメイトが寄ってきたこととか、ベンチのみんなの姿とかが蘇る。まさに青春だった。

どん底

高校

ちゃんと高校受験して、進学校に。
そこでももちろんサッカー部に入って大好きなサッカーを続けた。

高校ではクラブチーム上がりの子達も部活にいたし、かなりレベルの高いメンバーがいるチームだった。

小学校も中学校も割と自由に選手に委ねてプレーさせてくれる指導者の方に恵まれて、つらさよりも楽しさが勝っていたが高校では違った。

 今まで感じたことの無いくらい体格差や個人のスキルの差が如実に現れる年代。

今までスっと抜けて決めてこれたのに、なかなか上手くできない。

今までと比べて、より戦術的なサッカーに順応するのに時間がかかったし、何より『監督が求めるプレー』をすることが試合に出る近道だと思って合わせる努力をしていた。

高校二年生の最初に、Aチームに入らせてもらう機会が多くなって、夏のインターハイ予選にもメンバー入りして背番号9を貰ったこともあった。

でもいざ大会が始まると、ほとんどが先輩たちのチームで、サッカーすることがめちゃくちゃ怖くなった。

ミスしちゃいけない、下手なプレーすると落とされる。

周りからの要求、監督からの要求

だんだんサッカーが楽しかった昔に比べて、サッカーをすることが嫌いになりそうになった。

結果、高校二年生でサッカー部を辞めた。
楽しんでサッカーを出来なくなっていた。

する方から見る方へ

サッカーをやめてから、その分めちゃくちゃサッカーの試合は見に行った。

それまでも地元のJリーグクラブの試合は見に行っていたが、プレーする時間が無くなったので余計に観ることに集中できた。

今でも毎試合必ず見るし、その時にサッカーを遠ざけていたら今の自分には残っていなかったものだと思う。

そして、今自分の中に残った『サッカーへの愛』を全力にぶつけるチャンスがきた。

サッカー選手を本気でめざしていた幼少期、
サッカーを嫌いになりかけた6年前を経て。

後編へ続く...

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