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ぼくたちが、うたう歌〜日本人として。


小学校の宿題


小学6年のとき、学校の音楽の先生から個人的な宿題を出されました。

その内容はこうでした。

「“さくらさくら”をピアノアレンジして弾いてきなさい。」

※のちに先生は、全国規模の合唱コンクールで全国大会常連の指導者になられました。

▼検索したら先生を発見した!...雰囲気は当時とまったく変わっていない!(笑)

28年前、先生がどういう意図でぼくにこの宿題を課したのか、今となってはその真意はわかりません。おそらく、ご本人も憶えていらっしゃらないでしょう。(笑)

ところで、「さくらさくら」はご存知の通り、日本の伝統音楽(邦楽)のひとつです。そして、ピアノという楽器は“西洋音楽”という文化が発展していくプロセスの中で開発され、発展してきたものです。いわゆるクラシック音楽ってやつです。

つまり、ピアノは【西洋音楽的な手法で書かれた音楽を演奏するのに適した楽器】ということになります。

ですから「さくらさくら」のように、日本の伝統音楽(邦楽)の手法でつくられた歌を、西洋の音楽を表現するために作られた楽器であるピアノをつかって再現するには、色々と発想を転換させる必要があるのです。

例えるなら【西洋料理の食材や調理器具をつかって和食をつくる】ようなもの、と言えると思います。無理とは言い切れないけれど、色々な工夫が必要そう....でしょ?

この宿題を出された小学生のぼくは、「“100% 西洋的手法”で“和物”を調理することはできないんだ!」と、子供ながらに実感しました。

▼この時に編曲した「さくらさくら」の演奏動画です。


自国の音楽をかなぐり捨てた!?日本人

・・・明治10年代になると、こうした日本の独自の音感をかなぐり捨て、完全に西洋風のものに塗りかえてしまおうとする動きがみられるようになる・・・

と、書くのは、「自分の歌をさがす 西洋の音楽と日本の歌」の著者である秋岡陽先生です。

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秋岡先生は、大学院時代のぼくの恩師で、昨年度まではフェリス女学院の学長を務められました。

大学院生だったぼくは、秋岡先生に色々とご指導いただきながら、作曲家:山田耕筰が残した仕事をモデルケースにし、明治時代の日本人がいかにして西洋音楽を受容し、また、大正・昭和にかけて発展させていったのか、そのプロセスをリサーチしていました。

▶︎▶︎▶︎もし当時ぼくが書いた論文に興味がありましたら武蔵野音楽大学の図書館にあるはずです。(笑)


現在、ほとんどの日本人が「ドレミファソラシド」の音階を、正しい順番で、正しい音程で歌えるはずです。ところが、本来、日本人が伝統的に身につけていたはずの日本独自の音階を歌える人は少ないはずです。

ぼくは昨年度まで、小学校の音楽科教員として子供たちと音楽の授業をしていました。小学校の音楽科授業カリキュラムでは、必ず日本の伝統音楽を扱うようになっているのですが、日本の音階を聞いた子供たちの反応はだいたいこんな感じです。

 ・正月の曲だ!

 ・むかしむかしの日本。

 ・なんかよその国っぽい・・・。

こんな風に、なんとなく“日本”を感じはするけれど、そこにリアリティはなく・・・・年に一度の正月だったり、現代ではない日本を連想させる、さらに驚くことに、日本ではないどこかよその国を思っちゃったりするわけです。

そして、「ドレミファソラシド」の音階を、おおむね正しくうたえるはずの彼らは、日本独自の音階となると、ほぼうたうことはできません。

なにを隠そう、教える僕自身も、かんぺきにはうたえませんから。なんとかうたえたとしても、それは“なんちゃって日本音階”です。

日本の伝統音楽(邦楽)では、音程を微妙にずり上げたり、ずり下げたりする「さじかげん(塩梅)」を加えることでニュアンスを出すのですが、その微妙な音程は「ドレミファソラシド」の音階だけでは表しきれないんです。

成長過程の最初のうちに「ドレミファソラシド」による西洋音楽の教育を受けたぼくたちは、その音感を基準にしてさまざまな歌をうたったり聴いたりしていくことになります。一度身についた音感を塗り替えることは不可能・・・とは言わないまでも、相当に難しいことだと想像します。

▶︎これは言語学習に例えるとわかりやすいかもしれない。

ネイティブの日本語話者であるぼくたちは、日本語の語彙をベースにして英語を学びますよね。そして、一度身についてしまった言語感覚(日本語)を完全リセットして英語のネイティブ話者になることは相当に難しいと思いません?

こんな風に、現代の一般的な日本人は、まず最初に外国(西洋)の音楽教育を受け、あとからちょっとだけ自国の音楽について触れる。という点で、これは世界的にもかなりレアな国と言えると思います。

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※大学院時代のリサーチ資料をあさっていたら見つけた画像。論文執筆中で、髪切ってる場合じゃなかったんでしょうね。(推定15年前...笑)


歌(音楽)の力?

歌や音楽は、時としてことば以上の影響力を持つことがあります。

身近な例だと、学校などの教育現場。

ぼくが小学校で教えていたときは、学年や学級の実態に応じて、授業前に必ずうたう歌や、聞かせる“定番の音楽”を決めていました。

新年度がスタートして数ヶ月も経つと、この音を聞けば「ああ、今日も音楽の授業が始まるんだな。」という合図として子供たちの間でも定着してきます。

毎回うたったり、聞かせる“定番の音楽”には、こういうメッセージが含まれています。

「さあ!今日も音楽の授業を始めるよ!

授業は先生だけで作るものじゃないんだよ!

この場にいる全員で作っていくものなの。

同じ授業なんて二度とない!

ってことはさー、この一度しかない貴重な時間を、少しでも良い時間にするってことが、お互いにとってすっごく良いことだと思わない?

良い時間って、自分たちで創っていくものなんだね!

“良い”と思ったら“良い”、“悪い”と思ったら“悪い”!

この時間をどっちで過ごすかは、自分たちが決めることなの!

さあ、この時間をどっちで過ごすのか、

90秒で決めるんだよ!」

ハハハ!クドいでしょ?(笑)

これを毎回 毎回ことばで聞かされてたら、どうです?

「またノグチがウザいこと言ってるよ〜〜」くらいのもんで流されて終わっちゃう可能性の方が高い。

でも、ひとたび、こういったメッセージとセットで記憶された音楽は、ことばを伴わなくても、音を耳にしただけで、心に働きかける効力を発揮し始めます。

▶︎って、これは身近な例ですが、もう少しスケールの大きい例を挙げるなら、日本の国歌である「君が代」なんてどうでしょう。

この曲をめぐっては、今でもまだデリケートな問題をはらんでいることは多くの人が認識していることと思います。

歌や音楽は、それがどのような背景で歌われ、聞かされてきたかによって、人の心を良い方向にも悪い方向にも動かしうる力があると言えそうです。

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※昨年度まで小学校の教員としてぼくが愛用していた鍵ハモ。7年間ありがとう。

邦楽が元気になってきたよね?

ここで言う邦楽は、日本の伝統音楽のこととします。

※CDショップのカテゴリーで、ヨーロッパやアメリカのポピュラー音楽を【洋楽】と呼ぶのに対して、日本のポピュラー音楽全般を【邦楽】と呼んだりもしますね。←それではないです。

この数年で、箏とか三味線、琵琶などなど、、、、邦楽演奏家さんたちの活動の場が広がってきたように感じられます。

▶︎きっかけはやっぱり、これかな。

2011年、黒うさPさんがネット上で発表した千本桜。

発表から10年経った今でも、多くの子供たちが知っていて、ぼくも小学校のコンサートなどで演奏すると、本当に盛り上がります。

「桜」というタイトルや、「大正ロマン風」な映像、「明治維新」を連想させられる歌詞の内容からも、日本風な雰囲気を帯びています。

同時に、音楽構造の面でもポップス的なコード進行をベースにしつつ、メロディーの中でちょいちょいと日本音階が使われているので、その点からも和の匂いが漂っているのかな。と思います。

で、まず、この曲をカバーした【和楽器バンド】の動画がバズりましたね。

【和楽器バンド】は、尺八・箏・津軽三味線といった和楽器と、ギター・ベース・ドラムの洋楽器があわさった和洋折衷バンドです。かっこいい!!

▼それから、個人的にぼくがけっこう好きなのは、こちらの千本桜。

完全な和楽器編成の【杵家七三社中(キネイエナミシャチュウ)】による演奏。こちらは歌詞まで古文調になおされていて、なんかもうサイコーです♪

こんな風に、千本桜をきっかけにして、日本人にとっての邦楽の良さ?が少し身近に感じられるようになったのかなと思います。

▼ ▼ ▼ ▼ ▼

そして更に、箏をテーマにしたマンガ「この音とまれ」の連載がスタートしたことも見逃せません!

コミックの累計発行部数は2019年3月までで300万冊を超えた人気マンガですが、このマンガのオリジナル曲である「龍星群」がまたカッコイイんですよ!!

ぼくの教室の生徒さんのなかには、このマンガの影響で箏を習いはじめた方がいます。その生徒さんは「“龍星群”をピアノでも弾きたい!」と言うので、ピアノ編曲のレッスンをしたりもしました。

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これらはひとつの例ですが、他にもいくつかぼくが注目している邦楽グループがあります。どの方々も「古くて新しい。」って感じで、今後の盛り上がりに期待大です!

ぼくたちが、うたう歌

6歳のときのぼくは、西洋発祥のピアノという楽器に憧れ、習いはじめました。習いはじめたらもっともっとピアノが好きになり、小4のときに「音大に行く!」と、周囲に宣言し、そこから更に専門的な学習をしていきました。

で、大人になってからも飽きなかったので、そのままピアノや音楽を仕事にするようになりました。でもね、そうしていくうちにだんだんと気がついていくんです。

ぼくが強く憧れて、学び、仕事にしているこの音楽は、ぼくの国のものではないんだ、って。

もし仮に、日本人であるぼくたちが、【西洋発祥のピアノか、日本の伝統楽器である箏、どっちかを放棄しなくちゃいけない。】という究極の選択に迫られたとき、日本人の民意として選択されるのは、果たしてどっちだろう・・・・。

或いは、【オペラ】の代わりに【歌舞伎】を放棄することを、果たして日本人が選ぶだろうか?

・・・だからこそ、日本人であるぼくが、西洋の文化を学び、仕事にしていくことの意義はなんなんだろう?って、強く意識するようになったんです。

このことは同時に、音楽家としてのぼくが、どんな曲を演奏し、どんな歌をうたうのかを考えること。でもあります。

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※箏とピアノの共演をさせてもらった時の写真(9年前←推定。)


例えば、、、

■日本人は、イタリア発祥のパスタから、たらこパスタという絶品料理を生み出しました。

■かつて、ビーフシチューを再現しようとした日本人は、同じ具材を、醤油・砂糖・みりんで煮込んだところ、肉じゃがが出来上がりました。

今となっては、どっちも日本人にとって大事な料理だよね。

この音楽版をぼくたちは実現できるだろうか。ってね。

最後は自分の言葉でシメたかったけど、やっぱりここは、秋岡先生にかなわないな。お言葉お借りしますm(_ _)m

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【音楽で社会と繋がる】ピアニスト、音楽教育家|武蔵野音楽大学・大学院終了|世界的オペラ歌手Eオブラスツォワと共演 | ピアノ教室運営 | 特別支援教育(音楽)に携わり14年 | 音楽イベント企画多数|これまでの常識の枠内にハメ込んだ音楽教育では社会的なニーズを果たせない。
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