歴史は何故繰り返すのか
はじめに
今日は「歴史は繰り返す」についてです。
良く「歴史は繰り返す」という言葉を聞きますよね。私も聞きます。そして最近本当にそうだなぁと実感しています。そのことについて私なりに書き綴ってみたいと思います。
歴史は繰り返すとは
コトバンクさんに載っていました。
歴史は繰り返すとは
「ローマの歴史家クルチュウス=ルーフスの言葉。過去に起こったことは、同じようにして、その後の時代にも繰り返し起こる。」
クルチュウス=ルーフスさんが言ったとは知りませんでした。1つ勉強になりました。
同じようなことが歴史を通して繰り返し起こる、ということですね。ではどうして同じことが起こってしまうのでしょうか?
それは人類だから、である
ざっくり言ってしまうと人だから、というところかと思います。と言っても説明になっていませんのでさらに説明していきたいと思います。
初めに申し上げておきますが私の完全な主観になりますのでその旨お含みおきください。
「人類は思考する」
先日「サピエンス全史」を読みました。そちらによると我々が属する種であるホモ・サピエンスの始まりは「思考」することから始まったそうです。(認知革命と呼ぶそうです)
コミュニケーションを取り、想像力を使い、火を使い、組織で行動し、皆で狩りをして、稲作に注目し、定住して村を作り、、といった感じで思考に始まりどんどんどんどん人類は変わっていきました。
川があればその近くに住み、暖かい土地があればそこに移動する。「こうした方がもっと生きやすいのではないか?」「こうした方がもっと便利なのではないか?」という思考の結果人類は成長していったのだと思います。
「全く同じ人はいない」
これも当たり前ですね。全く同じという人はいません。遺伝子の関係もあるでしょうし、育つ環境によって大きく変わってくる面もあると思います。何が言いたいかというと人が違うので思考が違ってくるということです。
思考が違ってくると行動が変わってきます。人によって様々な行動が生まれます。
全く同じ人はいませんので、ある出来事が起こったとしても、その出来事に対して人が取る行動は数多く存在する、ということになります。前提としては皆「こちらの方が良いだろう」と前向きに思考していることです。悪人以外、物事を悪くするために行動する人はいないと思います。
歴史は何故繰り返すのか
改めて本題に戻ります。
①思考する
②同じ人はいない
が答えだと思います。
例えば村があったとしてその水源である川が干上がってしまったとします。
Aさんは「近くの村と交易して水を得よう」
と言い
Bさんは「このあたりは土壌豊かだから掘れば水が湧き出るはず、掘ろう」
と言ったとします。どちらも間違ってはいないです。でもAさんとBさんは譲りません。
2人は「村の皆に決めてもらおう」と言い、村人による投票をすることに。AさんとBさんは自分に投票してもらうために村人と積極的にコミュニケーションを取り、自分の思いを伝えます。
投票の結果、僅差でAさんの支持が多かったとします。Aさん達はバンザイバンザイと喜び、一方僅差で負けたBさん達は納得がいきません。自分たちが正しいと思っているのにその正しいことができない、という不満が溜まっていきます。
Aさん達は事業を進めるべく準備をします。一方Bさん達は話し合いでは解決しないので力で訴えることに。武器を取りAさんの家に乗り込み、Aさんを拘束してしまいます。
Aさんを拘束されたAさん支持者達はAさんを助けようと自分たちも武器を取り、Bさん達と戦う決意をします。Xデーがやってきて、Aさん達とBさん達は戦いを始めます。結果Bさん達が勝ちました。Aさん達はいなくなり、Bさん達だけの村となります。
長い年月が経ちました。皆その村で平和に暮らしていましたが、ある時水源であるBさん達が掘り当てた湖の水が干上がってしまいました。
Bさんの子孫は「このあたりは土壌豊かだから他の場所を掘れば水が湧き出るはず、掘ろう」
と言い
CさんはAさんとは全く関係ないにも関わらず「近くの村と交易して水を得よう」
と言いました。
こういうことかなと思います。
以上、歴史は繰り返すについてでした!
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