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読了報告。〔少女庭国〕を読みました。

こんにちはこんばんは、小谷です。去年買った本を今読んでるくらいには積ん読がえぐいです。

その日の気分で読む本を選んでます。本屋で「これ読みたい!」と思ってから何年も本棚で眠っているものが多いのです。著者の方には本当に申し訳ないと思ってます。職業柄、四六時中文字を読んでいるもので、オフの時は文字を読みたくないのです。活字フリークにも限度がある。無理して読んでも楽しめないですし。

さて「今日なにを着ようかな〜」と同じ感覚で「今日はなに読もうかな〜」と読んでない本に手をつけました。そのうちの一本。去年買った、矢部嵩先生の〔少女庭国〕という百合SFを読みました。ハヤカワ文庫です。

私は熱心な読書家ではありません。ミステリーやホラー、しかも同じ本を何度も読むことを繰り返してきた学生時代。当然、SFにも触れたことがなく。乙一先生の作品は好きなんですが、SFに触れたのもそれくらいだと思います。なので、これから他にもSF小説に触れていきたいなと思ってます。

では、まずは〔少女庭国〕のあらすじを。

卒業式会場に向かっていた仁科羊歯子(しだこ)は、暗い部屋で目を覚ました。隣に続く扉に素っ気ない張り紙を見つける。「卒業生各位 下記の通り卒業試験を実施する。ドアの開けられた部屋の数をnとし死んだ卒業生の人数をmとする時、n−m=1とせよ。時間は無制限とする。その他条件も試験の範疇とする。合否に於いては脱出を以て発表に代える」そんな文言があり、羊歯子は奇妙に思いつつ隣の扉を開ける。そこには、自分と同じく部屋に寝かされた女生徒の姿があった。扉は無限に続いており、また張り紙の方向には取っ手があるのに対し、反対側の扉には取っ手がない。どんどん増えていく女生徒たち。面識もない卒業生の彼女たちは寝食を共にし、卒業試験について考え、考えず、この不条理な世界に生き続ける。

以下、ネタバレあります。ネタバレなしに感想は語れないです。なんというか、ものすごいものを読んだというか。いい意味で裏切られたというか。私はこの作品、すごく面白かったんですよね。賛否両論あると思いますが、そもそも「百合SF」と帯に書かれている時点で、この作品を手に取る人は変態だと思うのです……

卒業試験の「n−m=1」という数式。中3でも解ける式ですが、要するに扉を開ければ開けるほど女生徒は増えるし、扉がnですね、そして死んだ数がm。「死んだ数」と書いてある時点で生存は不可能なわけで、それが結局一人しか助からないことを意味している……つまり、どこかしらに閉じ込められた女生徒たちのバトルロワイヤルが始まるわけですよ。そんな想像をするじゃないですか、帯とあらすじ読んだら。そんな次元じゃなかった。SFなのだから、バトロワならサスペンスですよね。騙されたと言うより、勘違いしていたと言う方が正解。

騙し騙され、女生徒たちがなんとか相手を出し抜いて、最後の生き残りの二人が友情を越えた熱い絆で結ばれる。そんな展開も、ある。あるけどそうじゃない。これは人類の創世からなる過去と未来の物語です。よく見たら帯に「衝撃の百合SF建国史」と書いてました。建国史です。何を言っているのかわからないだろうけど、でもそうなんですよね。

これを読んで、私は現実がこれほど怖い場所だとは思わなかったです。私は今、どの部分に生きているんだろうと思いました。裸一貫で放り投げられた気分です。

建国史、つまり人類の誕生からそれまでの文明が、少女だけの世界として描かれています。脱出不可能な部屋に閉じ込められ、部屋には何もなく、ただ扉に従って開け放てば自分の生存確率が下がっていく。しかも、扉が開かれるまでは目を覚まさない。そういう設定を課せられた少女たち。ということは、最初に目を覚ました少女が有利なのです。この部屋の仕組みを知った上で、扉を開け、寝込みを襲うことだって可能。ただ、寝起きでそこまでの仕組みを全て理解できるはずがなく、少女たちは数を増やしていく。第一部の主人公である羊歯子をはじめ、13人の少女たちは食べ物も水もない部屋でゆっくりと部屋の仕組みを知り、やがては運命共同体として状況を受け入れ、果てには生存を譲り合う。私はこの第一部の少女たちを羊歯子世代と呼びます。

というのも、この作品は第一部「少女庭国」と第二部「少女庭国補遺」があり、第一部を読み終えたあと、第二部を開けば一目瞭然で「あぁ、羊歯子たちの話はほんの一部の話だったのだな」と読み解けます。羊歯子世代のその前にも少女たちは生存を懸けた卒業試験を受けている。そして、羊歯子世代の次の世代は知ることになる。始まりはなく、いつの間にか生かされた彼女たちは終わりすなわち「死」へ歩み、時に争い、時にこの境遇を共にし、建国していきます。他人を殺して自分だけ生き延びようと考えた少女はすぐに脱出するわけですが、その後のことは書かれていません。むしろ、他人を生かすことを選んだ少女たちのそれからの過酷な生活が細かく描かれており、一体どちらが正しかったのか皆目わかりません。生かされた少女たちは、数を増やし、結局は争い、序列や秩序、決め事を定め、少女だけの国を作っていくのです。文字通り部屋を開拓し、居住地を広げていく。問題は食糧。人間は水と食糧がなければ生きられません。当然、彼女たちも同じ人間なので、餓死する子もいます。偶然持っていたお菓子でしのげても、永遠に生きることはできないし、水がないので死に至ります。食糧問題をどうするか。そりゃ、共食いしかないでしょうね。文化が発展した彼女たちは、運命によっては奴隷や食糧にもなり得てしまうのがこの作品がもたらす残酷なところ。しかしこれがなんとも不自然ではなく、読み進めていくうちに慣れてしまう自分が怖くなってしまいます。ほら、生かされる方が正しいのかどうなのかわからなくなりますね。むしろ数を増やさず、最初に殺し殺された方がいいのではと思ったり。いやでも、道徳に背くことはできないし、少女の数だけ思想はあるわけで。しかしまぁ人間は意外と順応しやすい生き物なので、今のコロナ禍にいる私たちも早くも順応していますし、状況の過酷さに差はあれど重なる部分がありました。

また、この世界で生きようとした彼女たちは、この世界で生きるための術を後世に伝えていきます。一子相伝です。しかし、人口が多くなればなるほど秩序が乱れていきます。ある世代の少女たちは野蛮に死闘を繰り広げますし、ある世代は女王とする指導者を掲げ、身分制度をもって秩序を保とうとします。ルールに背けば奴隷に堕ち、やがては食糧とされる。またある世代は戦争をし滅んでいきます。滅んでしまうと、次の扉(=振り出しとも言える先頭)が開いて、新しい少女が世代や文化を築いていく。築かない時もある。

本編には進むべき扉を「未来」とし、開かない扉を「過去」と表していました。過去への開拓は禁忌なのか、それとも教訓となるのか。羊歯子世代は「未来」に進み「過去」へは行かなかった。もし、羊歯子が過去への扉を破っていたら、また違う世界になっていたかもしれないですね。だって、過去には長きに渡って築かれた少女たちの庭国があるのですから。

私たちが生きている世界の文明史というか人類史というか、そういうものを感じましたが、同時に私たちの今を表しているようにも感じます。「他人を食い物にして生きている」という言葉が何度か出てきますし、人は結局いつの時代も変わらないものなのかもしれないとか、とは言え着実に変わってきてはいるし順応しているのだけれど、根本は変わらないのかもとか。また、こういうのは学校でのクラス、会社での一部署でも起こり得る生存競争でもあるような。そういう身近に置き換えることもできますね。そこでまたふと思うのは「私は今、どの部分に生きているんだろう」という。どの少女たちの世代にいるのか。それに、私が生きている世界が滅んだとしたら、また新しい扉が開いて、私が信じていた世界とは違う世界や文化が始まるのかもしれないとか。もしかしたら、私が信じていた世界の前にも違う世界があったのかもしれないとか、そんなことをたくさん考えました。

一つの扉だけで、世界というのは無限にあらゆる枝葉を茂らせているのかもしれない。私たちに始まりはなく、ただただ不条理に生かされ、過去を探り、未来に希望を抱いて終わりへ向かっていく。特に理由もなく。そう考えると虚しいだけだから、私たちは必死に生きる理由を自分の中へ刷り込んでいるのかもしれませんね。いっぱい考えたなぁ……まさかここで人類史に出くわすとは思わなかったです。ちゃんと勉強しようと思った矢先だったので、なんだか運命を感じてます。

……百合どこいった。

いやでも、この作品を読んで思うのは「あー、百合SFだな」です。だって、少女の運命を左右するのは少女だけ。あなたと私がいなきゃ世界は始まらない。話が壮大すぎるので忘れてしまいそうになりますが、この物語は少女たちの帝国=庭国を描いたものですから、そこに少女たちの愛は確実に育まれているのです。でなきゃ、国は作れないでしょう。

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