幸福感の副産物

以前、一緒に病院に通っていた仲間から、「再び休職することになった」との連絡があった。彼は自分よりも他者のことをより考えて行動する人で、彼を悪く言う人は少ない。でも、それは同時に「自分のことは後回し(≒自分の本心は置き去りのまま)」と言うことでもあり、そのことが彼自身を苦しめているように見えていました。ここ数ヶ月は、会うたびにくたびれていく彼を見て、私はただ心配することしかできず、ときおり彼に「人のことより自分のことを優先にしてくださいね」と伝えるくらいしかできなかった。この言葉の続きを言えなかった。なぜなら彼は職場でも家庭でも気の休まる場所がなく、そんな彼に今それ以上のことを伝えても、きっと彼が混乱し困ってしまうだろうと思ったからだ…

今回の彼は再び休職した。これは喜ばしいことなのか、そうでないのかはわからない。だが、再び病院に通い治療をする彼に「心休まる場所(≒病院)」ができるのは間違いないだろう。私は彼に本当に伝えたかったことを返信した。内容は、

「まずは自分自身のこと"だけ"を幸せにすることを考えてくださいね。(その結果として)周りの人が幸せになる事は、副産物みたいなものですから(笑)」

私も以前は「周りの人を幸せにすること」を最優先に生きてきた。彼と同じ性質を持つ人間だった。でもある時期から、

「まずは自分ファーストで行こう!」

と思えるようになった。大概の人はこの言葉を聞いて苦笑いする。良い印象は持たれないみたいだ。我がままで自分勝手な印象を持たれるのであろう。私自身も誤解を受ける言葉であることは認識している。でも敢えてこの言葉を使っている。なぜなら「自分自身の幸せを置き去りにしない」ようにするための戒めの言葉だからだ。

この「自分ファースト」という言葉を意識するようになってか、あることに気づきました。それは

「自分を優先したからといって、必ずしも周りが不幸になるわけではない。周りは大して変わらないことが多い。むしろ(私が幸せそうにしている影響からか)前よりも幸せそうになる事も少なくない」

ということでした。我ながら不思議だなって思っています。そして、これで良いのだと感じることができました。

自分自身が幸福感を感じることで、周りの人間にも幸福感が伝播するのかな。つまりは「周りの人間が幸せになる」ということは「自分自身が幸福感で満たされた結果生まれた副産物」のようなものに思える。そんなことを感じた。

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