
繊細さんへ
いつもありがとうございます🧸✨
今日も、自分がいま感じていることを言葉にしていこうと思います。
良かったら、最後まで読んでってください。
繊細なこころ
心の繊細さには、色んな理由があると思っているしそうなる背景があるんだろうなと思っている。
何かから、心を守るための防衛本能かもしれないし、身を守るための感覚器官かもしれないよね。何かしらの要因があって身についたものだったりするよね。
きっとそこには、それぞれの人生の物語があり、心が反応する部分も感じる質感も人により違ったりする。
『私の感覚』
・顔色や声色に敏感
・場の空気感をよむ
・沈黙が怖い
・自分を責めてしまいがち
・嫌な思いをさせたくない
・自分のことは後回し
・困ってる人をほっとけない
・私なんてが口癖
・自分には価値がないと思う
……………………………など

繊細さや過敏さを持っている人は、外側にはそれを出さない人が多いような気がする。
こんな自分を知られたら、嫌われてしまうんじゃないか…誤解されてしまうんじゃないか…そして、出してしまった後に来る自己嫌悪やひとり反省会が、あまりにも辛すぎるから。
悟られないように心はフル回転だし、心はすごく忙しい。
相手が、全く気にしないようなことまで『嫌な事を言ったりやったりしてしまったんじゃないか』って、この思考が働き出すと、止まらなくなって人知れず涙を流している人も多いんじゅないかなと勝手に感じてる。
ただ、優しくしたいだけなのに。
私は無力で、なんの価値もない。

傷ついた経験
人の優しさに救われた経験
繊細さんや過敏さんは、ひとのマイナスだけではなく、優しさや感謝、そのひとの良さを見つけ出すのもすごく上手だったりすると思ってる。
自分が辛い時、苦しい時に言葉に出来なかったり態度に出せない辛さが分かっているから、悩んでたり落ち込んでいたりする人の気持ちを、汲み取ろう、取りこぼさないようにしよう、そう思っている人が多いんじゃないかなぁって思うんだよね。
『私の感覚』
自分が本当に辛かった時にもらった優しさに感謝している。
人を大切にしたい。
寄り添える人でありたい。
だって、私もすごくその温かさを知っているから。
心が
置き去りになりがち
そんなふうに、繊細さんは人の優しさにも変化にも敏感だし、悩み事を相談されたりすることも多いんじゃないかとも感じてる。
自分のことよりも、いま、辛い人に寄り添いたい。本当は私もいま、辛くて苦しい…だけど、ほっておけない。これって自己犠牲でも、偽ってるわけでもなく本能的にそうしていたりするんだよね。
良かれと思い、自分ではそのひとへの『愛』でしかない行動が、余計なお世話だとか、『今はほっといて欲しい』とか『気を使われたら余計に気を使うからやめてほしい』とか…。
挙句の果てには、優しさを届けたかった相手から、冷たく距離を置かれたりすることも少なくないよね。
『私の心の動き』
そんな私に価値はない
何の役にもたてない無力さ
やっばり私は理解されない
誰も本当の私を受け止めてくれない
うん、やっぱり私はおかしいんだ。
何か欠けているし普通じゃないんだ。
……なんて思って、辛さに寄り添いたかった自分が、その人を上回る苦しさを感じたりして、それを繰り返す度に、人との繋がりを諦めたくなる。

私の気持ちは??
自分らしさってなに?
自分を大切にするって…?
人が好きなのに、繋がりたいだけなのに、なぜかいつも、悲しい現実を繰り返す自分にほとほと疲れていた。
誰かにとって自分はどんな存在なんだろう…人に不快を与えていないだろうか、自己主張は、自分で自分を苦しめる。なにより、あとから来る自己嫌悪が堪らなく辛い。
だから、やめとこう…
波立たせないでおこう…
私さえ我慢してればいいんだから。
気がついたら
息がくるしくて
生きづらさを感じていた
こんな私ダメだ…
そんな私が出会ったのは、エンパシーという『本質的な』共感だった。
受講のきっかけは、『生きやすくなりたかったから』
こんなに傷ついたり、心がすり減る感覚に苛まれていても、人に救われた経験が忘れられない。
『やっぱり人が好き』
『でも、私は私がすきじゃない』
この矛盾が、苦しさの根っこにあった気がする。

エンパシーとの出会い
【自己共感】
私が共感に出会って、一番変化した事は、『私が私で生きていいんだ』と思えたこと。
『共感』って、誰かの気持ちに寄り添うことだって思ってきたから、相手の気持ちをいかに汲み取り、同じように泣いたり笑ったりすること。相手の想いに深く心を寄せることだと感じてた。
じゃあ私は…?
私の心には誰が寄り添うの
これが鍵だった。
自分の心は後回しだった。
辛いとか悲しいとか寂しいとか…
言っちゃダメだと思ってたし、ネガティブは人を不快にさせると自分にだけは思っていた。
自己共感
感情への寄り添いかたは、日々noteに書いていきたいと思っているので、ぜひ読んでみてくださいね。
★¨̮寂しさ【孤独】を感じたら★¨̮
この共感には、2種類あると言う定義は、私の人との関わり方に大きな変化をもたらした。
人が好き、人は人の中で生きていく。その強い願いが叶えられるんだということを伝えたい。
お互いに
心を置き去りにしない
自分で自分を大切にしながら
誰かを大切にできるんだ
ここで少し、シンパシーの共感をしてきた私の体感と、エンパシーを学んで共感で人と繋がる喜びの体感に分けて記してみようと思う。

シンパシーとは、同調同感とも言われるようにあたかも相手の感情を自分の事のように共に感じる共感のこと
誰かの悲しみや寂しさへのセンサーを私は『感知センサー』と呼んでいるが繊細な人はこれが強いんだと思う。
『大丈夫?』『なにかあったの?』
声をかける。だって自分が欲しかった汲み取られること、察して貰えること、寄り添ってもらえることだから。
感情は繊細さんは、沢山知ってる。
そして心が苦しい時の感覚も沢山知っる。だから、相手の心を少しでも軽くしてあげたいって、心から思うんだよね。
私もそう…
なにがあったの?
どんな風に、誰にされたの?
それは許せないよね…
私にもこんな経験があってさ…
辛いよね、わかるよ、わかる。
シンパシーの共感も、私は大好きで温かいし心が解れることもある。
なのに…そこに自分の感情や大事にしてるものを、蔑ろにしてまで、相手に合わせるのが『共感』だと思っていたんだよね…無意識に。
全部、相手を肯定し続けてるうちに、自分がなにが大事だったのかすら薄れるほど、相手を大切にしたかった。
そのうちに言われる言葉は決まってる。『自分で考えたいから少しほっといて』『心配されるのすごく苦しい』そんな言葉を、私はすぐに攻撃されたと感じちゃうんだ。
『偽善者』そんな言葉で、決裂した友人も少なくなかった。
こんなに
心を寄せたのに
どうして悲しい結果になるの

やっぱり私は無力で
人を救うことなんかできない
こんな想いを積み重ねていく。
伝えたい、伝わらない。
叶えたい、叶えられない。
やっぱり、人はみんな違うから、どんなに心を寄せても、最終的には誤解されてしまう。私の優しさは『偽善』と呼ばれてしまうんだ。
悲しい…どうして…こんなに大切にしたいだけなのに。

エンパシーは、相手の中にどんな感情があって、その奥にある『願い』大切にしている価値観は、なんなのかを探ろうとする共感のこと。
自分の心が、なぜ苦しくなるのか、悲しい現実を繰り返してしまうのか、はっとした。
そうか…
私は無意識に
相手を救おうとしていた
そして
そこに自分の存在価値を
見出そうとしていた
ここに気づいたのは大きかった。
私の価値観と相手の価値観は、近いと感じていたとしても、全て100%同じでは無いこと。
そこを、同じにしなくても『共感』は出来るんだ。
価値観がぶつかり合い、誤解や否定を『心の壁』だと感じて、孤独を強めていた自分。
分かち合いたいのに、そう思っていたのは、自分だけだったんだと、情けなくて悔しくて、泣いたことも沢山あった。
自分の心を守るために
繊細な感知センサーを
働かせていたんだ

・相手の感情を見つめる
・価値観は
同じでなくても分かち合える
・言葉や表面に見えているものが全て
ではないこと。
・お互いに願いがあること。
・自分の感情と価値観に繋がりなが
ら相手の感情価値観を客観的に、
聴くことが出来る。
・『尊重』と『肯定』と『感謝』が
循環する。

まとめ
心が繊細なひとは、すごく相手の感情や仕草、態度から読み取り、色んなことを想像し、不安になったり、自分を責めてしまったり…本当は人と深くつながったり、分かち合いたいと思っているのに、叶わない経験をたくさん積み重ねてきたんだと思う
私はダメなんだ
私は何か欠けている
普通じゃない
強くならなければいけない
変わらなきゃダメなんだ
どうせ…私なんか誰も理解してくれない。こんなに苦しいのにって。
ううん、弱いままでも人と繋がって行けるんだよ。
むしろ、シンパシーという共感、共鳴をしてきた人は、たくさんの感情を、体験し人の有り難さを、たくさん感じてきた人なんだと思う。
ちゃんと、自分も誰かも尊重しながら深く繋がって行ける力を持っているんだって感じている。
自分は自分で生きていい。
自分を大切にするのは、自分の心【繊細さ】をきちんと、自分で理解してあげること。
なぜ、感じるのか。
ちゃんと理由があることを、自分で見つめてあげること。
繊細さをもったままでも、いきていけるんだってことを伝えたい。
優しい気持ちが、悲しい涙に変わらない世界観を共感で広めていきたい。
ひとりひとりの歩幅で
自分の足で、自分らしく歩き出せるように応援したい。
繊細さに苦しんできた私の願いです。
ー心が見えると世界が変わるー
#日本エンパシー協会
#認定講師
⤵️こんな人生を歩んできました。
