ノンセクシャルであること

ぼくはノンセクシャル(非性愛)であると自覚している。でも公言出来ているのは片手で表現できる人数の友人だけだ。

世の中結婚することが当たり前という風潮、こどもが生まれて当たり前という風潮、どうにかならないだろうか。

ノンセクシャルであることは確かに生物学的には生産性を有さない。   でも、果たしてぼくたちの存在意義とはそれだけなのか。

ノンセクシャルであることは、きっとトマトが嫌いとか、髪の毛が天然パーマであるとか、そういう1人の性質であって、別に非難とか軽蔑されることではないと思う。


でもそんなぼくも、親にいつ結婚するの、どういう相手が理想?と聞かれるたびに誤魔化すことしか出来ていない。ぼくはぼくに後ろめたさを感じるべきではないし、後ろめたさを感じることこそ恥ずかしいことだとは認識しているが、やっぱりまだ隠してしまう自分がいる。もちろん、ノンセクシャルと言えども色んなタイプの人がいるし、結婚して子どもがいる人もいる。ただぼくは、ぼくがノンセクシャルであるが故にもしパートナーが出来た場合、パートナーやその家族に後ろめたさを感じてしまうから、ぼくは結婚しないと決めている。

ぼくがカミングアウトや自分らしく生きるために自分の殻を破ることが出来るのはいつになるのかはまだ分からないし、出来るのかどうかさえ分からない。でもきっと、この場所でカミングアウト出来たことは一歩進歩出来たことだと思う。


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