エゴと思いやりは紙一重【1208】


「エゴを押し付けた授業」

痛烈なことを言われたバイトの日であった。その中でも自分の思い込みや勘違いで生徒との信頼関係を欠如したと考えた行動があった。その時に「自分の当時の考えとの差異」「言われ方に関しての直感」多くの学び気づきがあったのでまとめる。


その前に、、総括してこの日はいい日だった。純粋に楽しかった。あっという間だった。当たり前だと思わず感謝の気持ちを持ちたいと感じた。


簡潔に言うと僕の行動で生徒の不満値を挙げた行動があった。それは

「授業時間をすぎていても授業を少し延長して続ける」

ということだ。生徒の立場に立てば嫌なことだが先生の立場に立って考えてほしい。「生徒に学力向上をしてほしい」「いい点数をとってほしい」このような気持ちは少なからずある。その中でこの日は授業終了後に1分だけ、重要な点をまとめる時間を使ってしまい、生徒の休憩時間を1分弱奪ってしまった。たった1分でも生徒は不満を持つ。このことを授業してい隣にいた教室長に言われ、気を付けるようにということとプロとして50分間で授業を終わらすのも君はやるべきことだということを言われた。

僕は「生徒のために」という思いで行っていた行動が逆に「生徒には悪影響を及ぼす行動」として生徒は考えていたことに気づかされた。

自分の思い込みで、貢献していると思いきや逆効果になったという経験をした。この時にふと日常の生活でもこのようなことはあるということに気づいた。相手に対していい行動だと思っていたとしても、相手にとっては逆効果。もしくは迷惑行為。考えされられた。その解決方法は第三者の客観的な意見を素直に受け止め、主観で考えていた考えを改めるか、相手の立場に立って自分がした行動をされたらどう思うか考えることが必要なんだと感じた。

素直に受け止めたかったがすんなるり受け入れることが出来ない部分があった。それは教室長の日々の目の余る行動があるからだ。ミーティングというなの雑談。スマホゲーム。アルバイト野ざらし。授業終了後に常態化していた。それに対しては僕は何も影響はないから指摘はしないが、日々そういう行動している人に言われることが何か引っかかる。自分のプライドが完全に邪魔しているのは承知済み。だが素直な姿勢で受け止めることが出来なかった。その中で僕なりの消化方法・受け入れ方があったのでまとめていく。それは、「自分にとって大事な部分だけを切り取る」だ。「あの人に言われた自分本位の授業をしている」という内容の中の大事なところは「自分本位の授業をしている」という部分だけだ。つまり教室長に言われた内容だということを完全に頭の中から消滅させ、自分にとって受け入れることができる部分だけを考え消化する方法だ。何度も頭でその部分だけを思考することで、徐々に受け入れてじゃあ次はどんな点を意識して授業を展開していけばいいのか生徒の配慮の仕方が見えてきた。考えてみれば、自分が良いと思ったとしても相手が気持ちがよくなければその行動は良い行動とは言えない。必ず自分の行動というものが、他人が影響する行動であれば、相手にとって良い行動をしなければならないと感じた。当時の僕は「生徒に理解させるように伝えるために時間を延長して頑張っている僕」を行ってきただけで、自身に対して「自分は生徒のために良い行動している」と勘違いしていた。生徒は早く終わらないかなと感じているのに。その時にこれは先ほども話したように日常の生活でもありふれている現象だと思う。常にだれかと関わっていることで自身の行動が知らぬ間に相手にとって良い行動ではない時が必ずある。その時に僕は常に俯瞰して自分の行動を改めるべきだと感じた。自分にとって思いやりの行動でも時には相手を困らし、自分だけ満足するエゴを押し付けてしまったときはこの日を思い出し是非気を付けたい。

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