三宅こうた

暮らしのエッセイスト。豊かさってなんだろうと、人口150人ほどの集落に23歳から移住。…

三宅こうた

暮らしのエッセイスト。豊かさってなんだろうと、人口150人ほどの集落に23歳から移住。棚田や古民家、キャンプ場を再生したり、教育や防災に携わったりしながら地方の暮らしをつくっています。 93年生まれ / 株式会社にまつわるエトセトラ 代表取締役

マガジン

  • 自問とダイアリ

    日々の暮らしの日記。ときどき自問。 それらから気づいたことを書いています。

  • 自己分析編

    公開自己分析。 「こんな掘り方もあるんだ」と、少しでも参考になれば幸いです。

  • たぶん、駄文

    日々noteを書くことを自分に課した結果生まれてしまった文章たち。 当時は悩みながらも書いたつもりでも、後から読めばおもしろくなかったり伝わらなかったり。 でも価値観は人それぞれなので、もしかしたら掘り出し物があるかも。 なんちゃって。

  • 防災にまつわる。

    アウトドアマンとして、農民として、防災士として いろんな視点から「防災」についてまとめた記事です。

最近の記事

  • 固定された記事

ほんとは、素振りがしたかった。

ここ数ヶ月、いや数年かもしれない。 いままで僕は素振りがしたかったということに、ようやく目を向けることができた。 (ここで言う素振りとは、バットやゴルフクラブを持って練習をしたいというわけではなく、”日々の努力の積み重ね”という意味で。でもちょっと武道に興味を持ち始めたので竹刀は握ってみたい。なんてことは今はどうでもいい) 日々やるべきことはあるし、僕たちの暮らしに遊びに来てくれる人たちがいれば一緒に楽しい時間を過ごして、時々褒めてもらったりなんかして、見方によっては充実

    • ライフとワーク

      こどもが熱を出した。 日中、抱っこをしていて「こんな熱かったっけ?」と思い計ってみると、38度。でもいつも通り元気そうだし、仕事ももう少しあるしで、結局夕方まで。 食べやすい晩ごはんにしたけれど、いつも通りぺろりと食べた。 こどもは本当に舌をぺろりとするからおもしろい。 夜はちょっと疲れた様子もあったけど、いつも通り寝た。 でも、熱は38度ちょっと。 自分の体ではないから具合が分からず、もし深刻な病気か何かで、このまま目を覚まさなかったら。なんてことを本気で考えたりした。

      • 子どもたちのために、小さな火を焚き続ける。

        小さな火を焚き続けよう。 わたしのアウトドアの師匠、寒川ハジメさんの言葉だ。 大きく派手な火ではなく、身の丈にあった、燃やし続けられる火を焚くのだと。 仕事柄、大小様々な火を焚くことが多い。 どれひとつとっても意味のない火はないが、火を見るたびにこの言葉を思い出す。 実際、大きな火を燃やすのは簡単だ。 もちろん、それが火事にならないようにするには正しい準備と監督が必要になるが。小さな火を焚き続けることの方が難しいように感じる。 小さな火は、放っておくとすぐに消える。 だ

        • 土に触れるとき、自然と未来を考える。

          明日は雨が降るだろうか。 降るとしたら、いつから、どれくらい? この夏は日照りが続いたから、できれば雨が降って欲しい。 じゃないと、収穫が… 農作業をしていると、自ずと明日、明後日、来週、1ヶ月先、といった未来について考える。その見通しが立たなければ、今、すべきことが見えてこないからだ。 見通しを立てて、今すべきことを考えるという点においては、他の仕事においても同じだろう。 工場の現場であろうと、オフィスのデスクであろうと、何かしらの目標に基づいた日々の作業が存在する。

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        ほんとは、素振りがしたかった。

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        • 自問とダイアリ
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          6本
        • たぶん、駄文
          1本
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          1本

        記事

          息子の眠れない夜

          もうすぐ1歳半になる息子は、まだ言葉にならない音で想いを伝えている。 単語も少しずつ喋れるようになってきたが、正しい意味で喋れているのは「よいしょ」くらいだ。階段を登ったり降りたりするときに、一段ずつ、よいしょと言いながら歩いているのはなんとも愛らしい。 そんな息子が、今日はなかなか寝付けなかった。 まだ少し暑い夜だというのもあったかもしれないが、結局3時間近くベッドの上でコロコロしていた。 最初はまだ寝たくないという様子でぐずっていた。それはまぁよくあることで。その後、落

          息子の眠れない夜

          思えば、疑問ばかり浮かんでいた。

          正確には過去形ではなく、現在進行形で。 生きていく中で、もしかしたら他の人には些細なことも気になり、疑問として心の中に思い浮かんでいる。そしてそれが、今まで自分では言葉にできていなかった、生きづらさのようなものになっていた。そんなことに、今日気がついた。 お笑いコンビんのオードリー、若林さんの著書に『ナナメの夕暮れ』というものがある。先日、おくさんが東京のお土産と言ってこの本を渡してくれた。これまた変わったお土産だなと思いながら開いてみると、まえがきにこんな一節があった。

          思えば、疑問ばかり浮かんでいた。

          もしも猫に人生を学んだら①

          我が家には猫がいる。名前は一二三。 3匹とも捨て猫で、縁あってウチに来た。 先代猫が亡くなった直後に出会ったということもあり、猫たちにはどこか不思議なネットワークがあるのではないかと思ってしまう。 そんな猫たちを見ていると、人生を楽しむための学びがたくさんある(気がする)。 ということで、そんな猫からの学びを今日はまとめてみました。 猫を飼うことの楽しみかたとも言えるかもしれません。 そういう目線でも楽しんで見てください。 *ここから先、たくさんの猫写真が出てきますので、

          もしも猫に人生を学んだら①

          自己分析編:06 主義、というよりは自分が信じているもの

          以前の記事で「いろんなことに対してニュートラルでいたい」といったことを書きました。それは、偏りを持った状態で物事を判断せず、可能な限り偏見なく目の前の出来事を理解したい、と思いながら暮らしているということです。 しかしそうは言っても、今までの情報の蓄積、感情の記憶がある以上、なかなか難しいもので。でも、そうありたいと思っている。そのことを意識したとき、ああ、これって自分の中にある“主義”なんだなと感じた。 (以前の記事はこちら) 自分の内側を、目に見える言葉にすることで理

          自己分析編:06 主義、というよりは自分が信じているもの

          ただ、子どもを愛せたら。

          子どもは未来。本当にそうだろうか? まさに今を生きていて、そのためにまわりを巻き込んで。 そうしないと、ひとりでは生きていけない。 それゆえに、ときに周りを不安にさせ、惑わせ、苛立たせる。 そんな存在。 また、血のつながった我が子となれば、当事者たちを途方もなく苦しめ、その人生を狂わせることもある。 不妊、あるいは望まない妊娠、障害、病気、事故、事件。 生まれてくる前も、生まれてからも様々なリスクを抱えている。 悲しみや絶望が、いつだって隣り合わせにある。 では、もしも子

          ただ、子どもを愛せたら。

          言葉を理解したいから、文章を書いている。

          日々、文章を書いていながら「なんで書いているんだろう」と、自問することがある。 もちろん明確に、何かを知らせたいからHPのブログ機能やSNSを使って告知することもあるが、今日まで書き続けているnoteは決してそうではない。 結果として仕事に活きてくることもあるが、仕事を目的とした文章ではないのだ。 ではなぜ書くのか。 それは、言葉を理解したいからなんじゃあないかなーと、最近ぼんやりと思っている。 わたし自身、いや今回はあえて、僕自身、いろんなことに対してニュートラルでいた

          言葉を理解したいから、文章を書いている。

          ただただ、日記。でも、日記を書くと気づきもある。

          今日は天気に振り回された1日だった。 というか、天気には大抵振り回されている。 人間にとって心地良い温度帯は2〜3度しか幅がないというから、そういうものなのかもしれない。エアコンで一定の環境を保っていない限り、1日の中で大抵の気温は暑いか寒いのだ。 にしても今日は、振り回された。 少し肌寒く感じた朝。 今日は外作業から始まるので、上はトレーナーを着た。動かなければ適温に感じる。 しばらくは曇ったままだった、というよりは雲海の中だったので日差しはなく、動いても汗はそこまでか

          ただただ、日記。でも、日記を書くと気づきもある。

          「俺」と「僕」から「わたし」へと

          呼び方に困ることが、よくある。 特に初対面の方。「なんて呼ばれることが多いですか?」と質問して、ひとまずその呼び方で話を続けるけど、なんだかしっくりこなかったり。わたしの場合は、仕事なのかプライベートなのか、その線引きが曖昧な出会い方をすることが多いから、余計そうなのかもしれない。 でも、呼び方にしっくりこない原因のひとつに、わたしと出会っている場面と、その方がよく呼ばれている名前とが噛み合っていないことがあるはずで。いわゆる分人が場面と噛み合っていない、とも言える。

          「俺」と「僕」から「わたし」へと

          自己分析編05:いままでなら好きにならなかったであろうキャラを好きになった

          この2〜3年で、アニメによく触れるようになりました。 暮らしと仕事の関係から、1時間前後の移動がザラにあるので、その間に。 “見る“というよりは“聞く“が正しいですが。 昔から漫画は読む方で、最近になってそこにアニメも加わったので、今までに比べて触れる作品数は多くなり。ただ流行りに敏感なわけではないため、オンタイムで話題についていけるわけではなく。遅れて追いつくタイプです。 そんな最近、『呪術廻戦』を観ていて気づいたことが。 「あれ、なんでこのキャラに惹かれてるんだ?」

          自己分析編05:いままでなら好きにならなかったであろうキャラを好きになった

          素振り2週目:お勉強しなきゃ。

          気づいたら2週目。 またまたあっという間な日々。 そもそもがあっという間に過ぎていた日々だったので、そこにnote更新を加えてしまったものだから、当たり前と言えば当たり前なのだけど。 それでも、あえて文章を書く習慣を作ることで、思考の整理ができて調子が良いというメリットもあります。また、「note読んでますよ」という声が意外とあるので、それもまた嬉しかったり。わざわざ読んでいただいて、ありがとうございます。 ただ今回は、note毎日更新を自分に課したことで、じわじわ生じ

          素振り2週目:お勉強しなきゃ。

          ただ、暮らすだけでいいんだよ、と言えるまで。

          問題だ課題だと、一体何を騒いでいるんだろうと、時々冷めた気持ちになることがある。戦争や災害、貧困、などなど、心痛めるニュースが目に入ってくる日々。それらの情報に傷つきすぎないようにと、勝手に防衛本能が働いて、冷めた気持ちになっているのかもしれない。 けれど、そんな冷めた気持ちも、希望を見つけるきっかけとなることがある。 世間で取り上げられている問題たち。それが直接我が身に降りかかっているのなら、それは本当に問題だ。でも、そうでないのなら、その問題を自分ごとにすることはなか

          ただ、暮らすだけでいいんだよ、と言えるまで。

          主役であると自覚して、脇役なんだと襟を正す。

          演劇の話ではなく、リアルの話。 どっちだっていいよと、諦めることはすぐできる。 でもいつだって、僕もあなたも、主役で脇役。 「社会の歯車」という表現が、10代の頃は嫌いだった。その言葉を遣っている人たちが魅力的に映らなかったから。自分は自分を生きるんだと、ただ社会の一部になることを怖がっていた。でも、いまは違う。 必要ならば、歯車だろうとネジだろうと潤滑油だろうと、なれるなら何にだってなる。なりたいと望んでいる。いろんなパーツが噛み合って、協力して、ようやく世の中を動かすと

          主役であると自覚して、脇役なんだと襟を正す。