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失敗の当事者にならなければ本能レベルで失敗からは学ぶことはできない

歴史を学ぶことや、本を読むことで先人の経験や失敗から学び同じ過ちを犯さないようにしましょう。

これは当然のことなんだけど、歴史や本の失敗例を学ぶことだけで本当の意味で失敗から学ぶことってできないんじゃないかと思う。

失敗は自分で犯さなければ本当の学びにはならない。

そう思った。

「さっさと失敗しろ」「どうせうまくいかないよ」「どうせ失敗するのはわかってるから、失敗しなよ」

そんな言葉をかけてくる人がいる。

「いやあなたの立場なら普通応援するでしょw」と私は笑って返している。

会うたびにさっさと失敗しろと言ってくる。あと少し前にあった私の酸っぱい経験を何度も掘り返してくるw


「失敗しろ」の背景には、そこから学んで成長しろというメッセージも隠されているのはわかっている。そして、誰かの失敗や周りをみて反面教師的に学ぶのではなく自分でその失敗の当事者になれということだと私は捉えている。

当事者にならなければその瞬間の苦悩やストレスを直に感じることはできない。自分の不甲斐なさに打ちひしがれ、なんで‥なんで‥どうすれば…と悩み考えそのことが頭から離れないようなあの感覚。

そうならなければ本当の学びにはならない。

その経験をして、実体験から学ぶからこそ次に同じようなことが起こる瞬間に本能レベルで危機回避の働きが作動するんだと思う。生存本能に近いもの。

ただ本で誰かの失敗を学んで教訓を得ても、本能的に働くものがないし当事者として考え抜いた経験もないので失敗してしまうんだろう。(そこから学べばいい)

多分それをよくわかっている人だから会うたびに「失敗しろ」といってくるんだろうな。成長した姿を見せて、ギャフンと言わせたい。



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