空から落ちたチョコ


冷たい北風が頬に当たる。空には口から出た白い溜め息が浮かぶ。校庭ではサッカー部が練習を行っている。
寒いのに大変だな…。
二月に入って、サッカー部は試合に向けて練習が日に日に厳しくなってきている。教室から見る校庭は、スポットライトに当てられて眩しく輝いている。邦広はゴールに向かってひたすらシュートを打ち続けている。
先輩を知らない間に探している。けれども窓から見ただけでは、どこに居るのか分からなかった。
「真子ー!帰るよー、下にいるねー」
「待ってて、すぐ行くー」
机の上の開いたままのノートを閉じて、筆箱と一緒に鞄に入れる。窓のカーテンを全て端に寄せて、黒板消しをクリーナーで綺麗に掃除する。机をきっちりと揃えてバックを持って教室を出る。電気と暖房を消して廊下に飛び出した。廊下に出るともう美春は階段を下っていた。
「まってよー」
真子はそう言って階段を駆け下りた。三階から一階へと階段を下りていると、横から背の高い誰かが飛び出てきた。避けきれずぶつかってしまった。
「ごめんなさい」
ぶつかって直ぐに謝った。上から聞きなれた声が聞こえる。
「おー、真子ちゃんか大丈夫?」
先輩の声が聞こえた。先輩だと分かり顔が段々と熱くなるのがわかった。だって不可抗力とはいえ、先輩に抱きしめられてるんだから。
「本当にごめんなさい」
先輩が私を離すとお辞儀をしてそう言った。そう言った私に、先輩は優しく声をかけてくれた。
「大丈夫?怪我とかしてない?」
「全然大丈夫です」
「よかった」
そう言って笑う先輩はやっぱり、キラキラと輝いて見える。
「練習終わったんですか?」
「あっ、うん。一通り終わったよ」
「お疲れ様です!」
「そっちこそ、お疲れ」
制服姿の先輩は二年生の教室の方へ走って行った。2月なのに、夏みたいに暑くなってしまっていた。真子は玄関で待つ美春と二人で玄関を出た。グランドでは邦広がゴールに向かって、泥だらけになりながらシュートを打ち続けている。

美春との帰り道、さっき先輩とぶつかったことを話した。
「先輩かっこいいよねー」
「そうだけど、私はそんなに好きじゃないかな」
「そう?スポーツも勉強も出来て、まさに文武両道でかっこいいよ」
美春は呆れたような仕草をして、話を変えた。家に帰ると、ベッドの上に寝転んで今日の事を思い出した。この度に顔が熱くなってしまう。テスト二週間前なのに、勉強に全く手がつかなかった。もう後三日でバレンタインデーだ。
先輩はお菓子好きかな…。
次の日、朝家を出ると邦広が丁度、隣から出てきた所だった。
「おはよー」
「うん」
邦広は気だるそうにそう答えた。
「朝から元気ないね」
「お前が元気すぎるんだよ」
そう言って、邦広は先に歩いて行った。(丁度いいや)そう思って、邦広に言った。
「あのさ、先輩になんのお菓子が好きか、さりげなく聞いてくれない?」
邦広は少し不機嫌になった。きつい調子で真子に言った。
「知るか。自分で聞けよ」
「なに急に怒ってんの?どうせ、チョコ一杯貰えるんだから良いじゃん」
私がそう言うと、邦広はなにも言わず学校への方へ走って行ってしまった。
学校へ着くと、先輩の姿が昇降口に見えた。声をかけようと思ったが、他の男の人が来て先輩を連れて行ってしまった。
授業が始まってからも、先輩の事をずっと考えていた。チョコがいいのか、クッキーみたいな焼菓子がいいのか、それともマドレーヌのような物がいいのか。授業も全く聞かず悶々と悩んでいた。
うーん。
うーーん…。
「おい、西澤!聞いてるのか?」
「はっ、はい」
先生には怒られてしまうし、やたらと人にぶつかるし、しまいには学校に携帯を忘れてしまった。
一日中悩んだが先輩に、直接聞く訳にもいかないので、諦めて簡単な生チョコを作ることにした。
材料はチョコと生クリームとココアパウダー。
まずチョコを細かく刻んで、ボウルに移し変える。刻んでいると、上から弟が降りてきた。
「なに、誰かにあげんの?」
少しバカにしたように弟は笑いながら言った。弟を無視して、チョコを刻んでいく。その間に生クリームを暖めておく。暖め終わったらボウルに入れてチョコと混ぜる。とろとろになるまで混ぜ続ける。
「まだ出来ないの~?」
弟が、何度も言ってくる。うるさいと思いながら、無視して作り続ける。滑らかになったチョコをオーブンシートを敷いたバットに流し込む。それを冷蔵庫に入れて冷やしたら完成。
固まるまで一時間冷やす。チラチラとこちらを覗く弟に向かって言った。
「食べたらぶん殴るから」
冷たくそう言い放つと、弟は冷蔵庫にかけていた手を離して。自分の部屋へと帰って行った。
部屋に戻ると、ベッドに寝転んで美春にラインした。
『チョコ作り終わったよー』
『あっそう、おめでとー』
『冷たー』
『別にそんなことないけど』
『なら良いけど。そう言えばさー…』
その後、話が弾んでいつの間にか夜中の一時になってしまっていた。結局、最後には電話してしまい、話が長引いてしまった。電話を終えるとそのまま疲れて寝てしまった。


目が覚めると、朝の七時いつもなら家を出る時間に起きた。ベッドから飛び起きて制服に着替える。
ヤバい…。完全に遅刻だ。
そう思って鞄を持って急いで階段を下りた。冷蔵庫を開けて冷しておいたチョコを取り出す。袋にいくつか詰めて、リボンを付けて鞄に入れた。
「行ってきまーす」
玄関を飛び出してそのまま、学校まで走った。校門を潜ると、チャイムが鳴るまで後二分だった。昇降口で上履きに履き替えると、後ろから邦広が来た。
「おはよー」
「うん」
「邦広も遅刻?」
「そんな訳ないだろ。お前と違って朝練だよ」
「そうですかー」
「そうーでーす」
「今日は誰かにチョコあげんの?」
「高島先輩ー」
「先輩は…。いや何でもない。せいぜいがんばれ」
「うっさいなー」
そう言うと、邦広は教室へ走っていった。
(朝から元気だなー。)
そう思ってゆっくり歩いて教室に向かおうとすると、鐘が鳴った。
ゆっくりしてる場合じゃないじゃん。
そう思い、急いで真子は教室へ走った。
授業が終わりお昼休み、友達とお菓子を交換しながらお昼を食べた。
「食べ終わったら、誰か一緒に先輩の所に行かない?」
「えっ、さっき私たち行ってきたけど」
「えー、本当に?」
「ゴメン。さっき行ってきちゃった」
はぁー。
大きなため息がこぼれた。
(昼休みに一人で行くのは心細いし、どうしよう)
皆は楽しくご飯を食べている。
真子は諦めて、放課後に先輩の所へ行くことにした。
ホームルームが終わってグランドに向かうと、もうサッカー部の練習は始まっていた。試合も近いし練習の邪魔をするのは良くないと思い、練習が終わるのを待つことにした。
図書室で適当な本を持ってきて窓側の席に座った。本よりもグランドの練習をずっと見ていた。
練習が終わり、一部の部員以外はみんな部室へと去って行った。邦広は終わった後もグランドに残っている。
真子は本をすぐに戻して、グランドへ向かった。靴を履いて、グランドに出る。真っ直ぐサッカー部の部室に向かった。
近づくと中から大きな笑い声が聞こえた。いけないことだと思いながらもドアの前で聞き耳をたてた。
「マジかー、最悪だわー」
「ほら、賭けに勝ったんだから一人千円よこせ」
「あと、一人だけだったのになー。真子ちゃんだったっけ」
「そう、そう。真子ちゃん最悪だわー」
そう言って部室の中の人達は大声で笑った。
真冬の二月。ただでさえ寒いのに私の中を黒くて大きな何かが踏み荒らした。
その場にしゃがみこんで、うずくまる。目をつぶり耳を手で塞いで外の世界を切り離そうとした。ドアに力なく寄りかかっていると、突然後ろのドアが開いた。急いで立ち上がり、校舎に向かって走った。後ろに先輩の声がしたが振り返らなかった。
夕方六時、日は完全に沈んでいる。公園のブランコに座り小さく揺れていた。
(遊ばれてただけだったんだ)
そう気付かされた。涙が出るのを通り越して、吐き出される息と一緒に、幸せが空に溶けた。
ひたすら走って後ろは振り返らなかった。いつの間にか、近所の公園にたどり着いていた。
ブランコに漕がずに一人で座っていた。
ハート柄の袋に入れた直方体のチョコレートを見つめた。袋を摘まんで空に放り投げる。放物線を描いて、チョコは花壇の影に消えていった。そしてまた地面とにらみ合った。
しばらくして、前を見ると邦広がブランコを囲う柵の上に座っていた。
「空から降ってきたから食べよ」
さっき投げたチョコを袋から出して口に入れた。
「うまっ…。神様部活終わりにありがとう!」
空に向かって邦広は叫んだ。急にポロリと涙がこぼれた。何故かはわからないけど涙が溢れてきた。顔を隠すように俯く。邦広はそっと近づいてきて、目の前にしゃがみ込んだ。
「泣くなって。甘いの食えよ。はい。あーげた」
そう言って、チョコレートを上に持ち上げた。
「うざ。返せ私のチョコ」
「は?空から降ってきたから俺のですー」
二人はチョコを取り合いながら走って公園を出て行った。公園を出ると、息を切らした美春が膝に手をついて、肩で息をしていた。
「二人でなにしてんの。真子が走って行くの見えたから追いかけたのに」
真子は美春に走り寄って抱きついた。
冷たくも、優しい風が三人を包み込んだ。


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