見出し画像

朝顔

学生の夏休みが終わり、宿題が続々と提出された。夏休み前の授業を忘れていないか確認するため、俺は生徒たちにテストをやってもらっていた。今年は、夏休みも二週間しかなかったから、出したのは観察日記の宿題だけだった。
テストの時間中に見ようと思っていた、朝出された夏休みの観察日記を眺めていた。
何を観察してもいいが、夏休みの間、毎日、日記をつけることを宿題にしていた。
小学三年生だから、みんな日記帳の半分くらいで夏休みが終わっていたにも関わらず、一人だけ聡(さとる)君は、全てのページが埋まっていた。単純に他の子の倍は書いていた。
早速、俺は頑張った聡君の日記を読み始めた。

一日目
今日は朝顔をうえた。いつになったら生えるかな。
(なるほど、聡君は家で朝顔を観察したのか)

二日目
朝、水をあげた。朝顔はまだ生えない。
(まあ、そんなすぐには生えないだろうな)

三日目
朝顔はまだ生えない。

四日目
今日も朝顔は生えない。あきた。
(まあ、飽きるよな。しょうがないな)

五日目
朝顔の葉っぱが少し見えてきた。毎日の僕の水やりがついに実を結んだ瞬間だった。夏休みの間、可愛いこの朝顔と俺は、共に過ごすのだろう。頑張れ朝顔。
(急に文章がレベルアップしたな。いや、でも字は一緒だからな。そんなに葉っぱが生えてきたのがうれしかったのかな)

六日目
朝顔の葉っぱがちゃんと見えた。うれしい。
(戻ったな。完全に戻ったな。やっぱ昨日だけ違うよな)

七日目
今日も朝顔は生えていた。だが、それだけではないことは明らかだった。ただ生えてきているだけではなく。朝顔は、少しずつ、少しずつ成長を遂げていた。
(いや、おかしくね。明らかに途中から字体が変わってる気がするんだけどな)

八日目
朝顔は、昨日の夜につけた支柱に少しだけ絡まり始めていた。ここまで、成長したのか。一週間を振り返ると、それは長かったように見えて、実はとても短かったんじゃないかと感じた。
あと、一週間で夏休みも終わってしまう。悔いの無いように俺はこいつを…。
がんばって育てます。
(いや、明らかに前半、大人が書いてるだろ。最後だけ、聡君じゃん。絶対そうだろ)

九日目
支柱に半分ほど巻き付いたあいつと、毎朝のコミュニケーションをとる。今日も、天気は快晴で痛いくらいの日差しが、俺とあいつを照らし始めていた。
「今日も、良い天気だね」
そう言って俺があいつに話かけると、あいつは何も答えてはくれなかった。
寡黙なあいつだが、俺はいつしかそんなあいつに、ただただ、上を目指し続けるあいつに、同じ男として惚れていたのかもしれないと思った。
(完全に、聡君じゃなくなったね。朝顔のこと、「あいつ」って呼び始めてるからね。今日は百パーセント大人じゃん。もうついに、聡君一文字も書いてないね)

十日目
今日彼は、元気がなかった。支柱の頂上に行きそうなくらい成長していたのに、誰のせいかは明らかだった。聡だ。奴が昨日、ボールで遊んでいた際に、植木鉢にボールをぶつけ、慌てて適当に直したのだ。
そのせいで、昨日まで元気だったのに、彼は輝きを失っていた。
私と彼は決めた、必ず聡に報復をすると誓った。
謝れば許されると思っているのだろうか。もうその時間は終わった。明日には、奴は消えていることだろう。
(怖すぎ!! 聡君気を付けて! てか、もう完全に聡君の宿題だってことは忘れてるな)

十一日目
彼に元気が戻り、いつの間にか彼はその美しい本来の姿を現す準備に入っていた。小さな蕾がいくつか付き、彼を彩り始めていた。
いつ、咲くのだろうか。早く咲かないかな。私はいつもより長く彼の事を眺めていた。
彼は、私にいつもより長く見られていて照れているのだろうか。小さな蕾は少し紅く染まっていた。
(いや、表現力が凄いな。もうやりたい放題じゃん。ここまで来ると残りの三日が気になって仕方ないな)

十二日目
今日は、待ちに待った夏祭りの日。別に、彼のことを嫌いになったわけじゃない。だけど、もう一人、私には大切な男がいる。
「べっ、別に浮気なんかじゃない。だって、彼は人間で君は植物だもの。」
私は、そう自分と彼に言い聞かせて、朝顔模様の浴衣を着て会場へ向かった。
きっと彼もあと数日で、この浴衣みたいに綺麗な花を咲かせるのかな。
私はその後、彼のことなんか忘れて、もう一人の男と楽しく夜を過ごした。彼には見せたことのない表情なんかもしていたのかもしれない。
(朝顔の観察日記のはずなのに、泥沼の不倫みたいになってんじゃん。どんな観察日記だよ)

十三日目
その日は、朝から雲行きが怪しかった。雲の流れは速く、大きな雲が朝から私たちの町に覆いかぶさっていた。
彼の健康を気遣った私は、今日は彼に水をあげないことにした。蕾も少しずつ育ってきていて、あと数日もすれば綺麗な花が咲くはずだ。
私は、もちろんのこと、きっと彼もそう信じていたはずだった。
「やめて! 離して!」
私は父にそう言ったが、父は私が外に出るのを力づくで抑えていた。
「いい加減にしろ! 外は危ないから家に居なさい!」
父が、声を荒げるのを私は初めて見た。それでも、私は外に行きたかった。彼を連れ戻して家の中に置いておきたかったのだ。
無情にも、記録的な台風が上陸していて、少しでも家の外に出れば危険なことは確かだった。
きっと、昨日彼を置いて自分だけが楽しんでいた私への罰なんだ。
無情にも、神の怒りは強く私はその日の夜、一度も彼を見ることが出来なかった。

十四日目
朝、目が覚めると昨日は何も無かったかのように、雲一つない空が私を目覚めさせた。
私の心もこの深い海のような空と同じブルーだった。
一歩、また一歩と玄関に向かって歩を進める。緊張からか、悲しみからかは分からない。体の震えは歩を進めるごとに強くなってきていた。
言われなくても分かってる。でも、それでも、私は彼が生きていると信じていたかった。
でも、やはりその願いは神様には通じていなかった。
ドアを開けると目の前には彼が、無残な姿で支柱と共に倒れていた。
土は、バラバラに吹き飛び、鉢は倒れ支柱は折れていた…。
鉢を起こし、バラバラになった土を手で集めて鉢に入れる。土を入れ終えると、折れた支柱をテープで付け、そこに絡んで千切れてしまっていた彼をの上半分を取り除いた。
彼は、まだまるで生きているかの様に青々と緑を輝かせながら私の手の中で眠っていた。
玄関の外で、地面に座り込む私を見た父が、静かに言った。
「まだ、下半分は生きているかもしれないぞ」
急いで、土を増やし元の鉢に戻した。彼は、きっとまだ死んでいない。この日記を書くことはなくなるが、高校一年の私の夏休みはまだ終わらない。
この夏をこれからも私は、彼と一緒に二人三脚で歩んでゆく。

パタン。俺が、観察日記を読み終えると、授業終了のチャイムが鳴った。
「はい、テストはそこまで~。休み時間にしていいよ」
「聡~。ちょっと来て」
「先生どうしたの?」
「お姉ちゃんに、先生が小説家になった方がいいって言ってたって、伝えといてな」
「うん。分かった!」
「あと、聡は観察日記書き直しな。もはや聡の観察日記じゃないから」
そう言って俺は聡に微笑み、観察日記を渡した。
聡は、衝撃を受けたと言わんばかりの驚いた顔で膝から崩れ落ちた。
俺は、次の授業の準備をするために職員室へと向かった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?