見出し画像

ナイトライダー


   一
夜遅く、バイトが終わり休憩室に向かう。店内には、騒がしいカップルが一組いるだけで、後は自分と店長の二人だけだった。制服を脱ぎ、ハンガーに掛けてラックに吊るす。
はぁ。一つため息をつくと、その奥から出そうになった言葉を押し殺した。
休憩室から出ても、バカップルがまだ騒ぎながら店内をうろついていた。避けるように離れてレジの方へ向かった。
「お疲れ様です」
「お疲れ様―。明日も夜よろしくね」
「はい。ありがとうございました」
行き場のない体を引きずりながら、また夜の闇の中へと飲み込まれていく。道に立つ街頭だけが自分を上から照らし続ける。足元には真っ黒の影が、こちらを見上げていた。
家の灯りはほとんど消えていて、住宅街には僕の足音しか聞こえない。住宅街を抜けて、駅からだと十分ほど歩き大通りから一本入ったその場所に帰る。
家賃五万、四畳のロフト付きワンルーム。狭苦しい部屋に入りすぐに服を脱ぎ、洗濯機を回しシャワーを浴びる。
僕はまた、鏡に映る自分が嫌いになっていた。他人と違う体と心がバラバラな自分に…。
満たされない空虚な心は唯一、体を滴る水と、シャワーから出るノイズにだけ小さな安らぎを感じていた。
すべてが無くなってからもう一年が経とうとしていた。
それからきっと僕は、ずっと暗闇の中をひたすら彷徨っているだけなんだと思う。

   二
あれはまだ、冬が過ぎ去ってからすぐのことだった。まだ少し肌寒く、僕と彼は、彼のジャンパーのポケットの中で手を温めあっていた。
彼の歌声は、いつも僕に癒しをくれた。力強くそれでいて優しい彼と一緒に僕は、その彼の隣でギターを弾いていた。
バンドは、別に人気があるわけでもなかったけど、それなりに楽しくやっていた。いつか、必ず売れるようになると、メンバーは三人とも信じていた。
ギターの僕と、ベース兼ボーカルのアキト、それにドラムの寧々。寧々は僕とアキトの関係も知っているし、認めてくれていた。少しずつではあるけれど順調に進んでいるはずだった。

   三
ライブが大盛り上がりして、アンコールも終わり、ライブハウスが少しづつ静けさを取り戻していたとき、僕は寧々と控室にいた。鏡の前の椅子に座り、机にもたれていると、後ろの椅子でジュースを飲んでいる寧々が言った。
「マコト、ジュースいる?」
汗だくの僕は、疲れ切った声を出しながら言った。
「いる~。こっちに投げて」
寧々の手を離れて放物線を描く缶ジュースは、すっぽりと僕の両手に収まった。
寧々は、テーブルに頭を置き、こっちを見ながら言った。
「マコトが、アキトのこと好きじゃなかったら狙ってたかもなぁ~」
「なんだよそれ」
そう言って俺が笑っていると、寧々も笑いながら言った。
「だって、マコトはイケメンだし、別にオネエっぽい口調なわけでもないし。関わっても、カッコいい男としか思えないじゃん。それに、女の子のツボが分かってるし最強じゃん」
「はいはい、残念ですね」
こんな会話ができるのは、寧々とだけ。メンバー以外には誰にもこのことは話してない。女の子だったら、なんて前は思っていたけど今は、そんな風に思うことも少なくなってきた。
「ちょっと、外の空気吸ってくるね」
僕はそう寧々に言うと、控室から出て非常階段の方へと向かった。小さい会場だったがお客さんは満員で、すし詰め状態の会場を盛り上げるのは楽しかった。会場が、一体となっているあの感覚が、いつも好きだ。
緑の非常灯に向かって歩く、まだ熱を持っている体を早く冷まそうと、駆け足で階段を登った。
非常口を開けて非常階段に出ると、下の踊り場にいるアキトと目が合った。
別に目が合っただけなら、なんてことない。アキトがファンの子とキスしてる瞬間じゃなければ、きっとなんでもない事だったんだと思う。
いつもみたいに、腰に手を当ててキスしてた相手が自分じゃなかった。もしかしたら、たったそれだけの事なのかもしれない。
その後、いろんな人から、いろんな声をかけられた。もちろんアキトからも謝罪はあった。本当は、もう大人なんだからアキトを許すべきだったんだと思う。
二十三歳。冬の寒さが少し残る三月、僕たちは解散した。

   四
昼過ぎに起きて、適当なご飯を食べSNSと動画で時間を潰し、夕食を食べ終えるとバイトに行く。何にも起きない、毎日。刺激も何もない、死んだように生きる毎日が続いている。
解散してから一年が経とうとしていた。
夜中三時ごろ、家に帰ると玄関に白い小さな正方形の封筒が落ちていた。実家の住所に二重線が引かれていて、母の字で僕の住所宛ての手紙だった。
封筒を開くと、中には二つ折りの手紙が入っていた。
タイトルは、十年後の僕へ。
十年後の僕。君はきっとバンドをやっていると思います。今僕に一緒にやる仲間はいないけどギターの練習だけは、毎日欠かさずやってるよ。
お金持ちかどうかは分からないけど、きっと僕はバンドをやってるって信じています。大変なことは沢山あると思うけど頑張って続けて有名になってください。

手紙には、読む前にはなかった水玉模様が数個ついていた。
僕は、何か月も触っていなかったギターをケースから取り出し、ギターをかき鳴らした。
意味不明なコードを適当に鳴らしながら歌う。口からは適当な歌詞が飛び出てきて、憂さ晴らしをするように、気持ちが晴れるまで何度も何度も歌った。
むちゃくちゃに体を揺らしながら、歌った。
きっと、誰にも届かない愛とも絶望とも言えない何かを、僕は声が枯れるまで歌い続けた。

   五
歌い終わり完成したのは、君との終わりを告げる歌。
いつの間にか、窓には朝陽が少し差し込んでいた。薄い白い雲が、まだ少し暗い空の中に浮かんでいる。
久々に迎えた朝は、きっとこれからの僕の始まりを告げている。
ずっと、走り続けていたのは夜だった。
だから…。

ナイトライダー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?