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『アルマゲドンの夢』備忘録1

藤倉大の新作オペラ『アルマゲドンの夢』の千秋楽を鑑賞。お仕事で観たゲネプロは1階正面でしたが、今度は3階のサイドのバルコニー。見切れもありますが、舞台に近いため新たな発見も多数ありました。

このオペラ(というか、正確には今回の演出)を理解する最大のポイントは、やはり「鏡」なのかなと。舞台美術の中心に位置する鏡ばりの壁だけでなく、音楽的にも写し鏡が重要な要素となっています。

【プレリュード】
まずアカペラの合唱による「アルマゲドンの歌」で始まるわけですが、ざっくりいうと「アーア(↑)ーーーール マ(↓)ゲ(↑)ドン(↓)」という動きを持つ、この旋律が「夢の世界」を象徴する主題として変容を繰り返していきます。有料パンフレットの「作曲家ノート」にも書かれていたように、「アルマゲドン」という単語が歌われる時には、必ずこの音形で歌われます。(サブリミナル効果を狙っているように思うので、明示的なライトモティーフとはちょっと性格が違うような。)

この合唱を歌う、主人公クーパー・ヒードンの夢に登場する「THE CIRCLE」という私設軍隊は、ナポレオンの国民軍的な志願兵の集まりのようでもありつつ、指導者に感化されてテロリズムへとはしったオウム真理教も思い起こさせる集団であることが、ストーリーが進んでいくと明らかになっていきます。とはいえ、全身白の装備で身を固めているので、どうしてもスターウォーズのストームトルーパーを思い出す(笑)。アーマーに骨のようなラインが入っているところは、まるで仮面ライダーのショッカーでもあったりと、これまで様々なサブカルで描かれてきた「ポップな悪役モブ」の系譜も継承しています。

執拗に繰り返される「アルマゲドンの歌」が、クーパー・ヒードンが見ている悪夢であることを映像で示すと、オーケストラがその心情を不協和音のトレモロで表現し、次の場面へと移っていきます。この合唱→オーケストラという関係性も鏡のようになっていて、その後も歌われた内容をオーケストラに反映していく……という形が頻出します。

【シーン1】
列車のシーンへ移行。作曲者自身はこの場面について、オーケストラで雨の描写をしていると「作曲家ノート」に書いていますが、それよりも大事だと思われるのが「アルマゲドン」の音形がそのままクラリネットなどに引き継がれ、シーン1冒頭の背景となっていくんですよ。そこに合唱も重なってくることで、先程までの「夢」と、「現実」が地続きであることを音楽的にスマートに表現しています。

そして、この場面で鳴る音楽は、間違いなく藤倉さんらしい音楽であると同時に、彼の音楽的ルーツのひとつである武満徹を(特にオーケストレーションに関して!)思い起こさずにはいられないんですよね。よく知られているように武満は英語台本のオペラを書こうとして、残念ながら本格的に着手することなく早世してしまったわけですが(後にその残された台本を使って、野平一郎がオペラ『La Madrugada』(2005年初演)を書いています)、このシーン1は、まさにこういうサウンドのオペラを武満に遺してほしかったんだよなあ……と思えて仕方ないものでした。

と同時に、合唱の反復するフレーズはスティーブ・ライヒを想起せずにはいられません。ライヒも『ザ・ケイヴ』や『スリー・テイルズ』といった合唱と映像を多用した(ただし、逆に普通のオペラ歌手を使わない)ディストピア的な内容を取り扱った舞台作品を残しているわけなので、その連関をも思い起こさせます。こうしてクラシック音楽・現代音楽の文脈にある様々な作曲家や作品も、どんどん写しとっていきます。

物語については、主人公クーパー・ヒードンが、見知らぬ男フォートナム・ロスコーと会話するシーンとなっているわけですが、そもそも原作ではフォートナム・ロスコーというのは、この男が読んでいる本『夢の状態』の作者名で、名もなきこの男の一人称で物語が進んでいきます。原作から明確に読み取れるのは、『夢の状態』を読んでいたから、クーパーに話しかけられたという理由付けのみ。それをオペラでは悪役ジョンソン・イーヴシャムとの一人二役という設定にすることで、クーパー・ヒードンは無意識のうちに夢のなかの自分と愛する女性を殺した黒幕と瓜二つな男性だったから話しかけてしまった……という新しい伏線に昇華しているんですよね。そしてその設定がシーン3の展開の伏線にもなっています(お見事!)。

【続く】

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