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明日が来るまであと百時間

悲しみに沈む夜、それは永遠だった。

指の数までしか物事を数えられなかったあの頃、大きな数の代名詞は百だった。

百数えれば朝がくる。

優しくて暖かくて明るい光が照らしてくれる。

身体をできるだけ小さく丸めて、誰かに見つからないように布団の中で静かに泣いた。




***


家を出てからちょうど二十四時間が経った。

昨日の夜のことはあんまり思い出せない。

何がきっかけだったか、お母さんが泣いて喚いて、お父さんは酷く慌てていた。

お母さんがお皿を床に叩きつけたあたりで優しいお父さんの目つきが変わった。

それでもお母さんを気遣いながらわたしに家を出るよう言ったお父さんは、やっぱり優しい人だ。

血が繋がっていなくたってお父さんのことは大切に思ってる。

だけど。

お父さんはどうだろう。

小さな寝室は真新しい寝具の匂いで満たされていて、少し大きめのベッドに寝転ぶとファブリーズの草原か森林かの香りが強くなる。

部屋を暗くするとiPhoneの明かりが一気に眩しく感じられる。

少しずつ暗くなる画面を見つめながら、気分を引っ張られてため息が出た。

ラインでも、メールでも、お父さんからの連絡は来ていない。

頼むから荷物をまとめて少し家を出てくれ、と女子高生の娘を追い出して、心配じゃないんだろうか。

心配、すると思うんだけどな。それどころじゃないのかな。

お母さん大丈夫かな。お父さんはわたしを忘れていないかな。

寝返りを打つと頬に触れた髪から知らない匂い。家主の使っているこのリンスインシャンプーは髪がぎしぎしする。でも嫌いじゃない。

家主は若い男の人だった。

お父さんに身を寄せるよう言われた先は親戚のお兄さんが一人暮らししている家だった。

勝手におばさんだと思っていた。

いびられたり嫌がらせされたりするのかな、いい子にしなきゃな、お手伝いしたらいいかな、なんて考えながらインターホンを鳴らしたのに、出てきたのはスウェット姿の男の人だった。

びっくりするくらいに愛想が悪くて、過剰にわたしを気遣ってる。

わたしが昨晩この家に来てから、もういろんなところでわたしのために自分を曲げてくれている。

今日は、夜ご飯を食べてからお風呂を借りて、少し話をして早めに寝ることになった。

お互い笑ってしまうくらいくたびれてた。

わたしは泣いたから目元が腫れているし、彼も顔がげっそりしていた。元からかもしれないけど。

すごくくたびれているのに、彼はわたしにベッドを使わせてくれて、彼自身はリビングでクッションの上で眠るという。

クッションで眠れるのだろうか。

わたしはふかふかのベッドでも眠れないというのに。

知らない匂いだと眠りづらいだろ、と彼はわたしの家で使っていた柔軟剤の香りスプレーを買ってくれた。

嬉しいけど今は草原の匂いがいいな、とスプレーはまだ未使用のままミニテーブルにおいている。

自分の匂いに包まれたら弱くなってしまいそうだった。

でもそんなの関係なくて、今は何をしても寂しかった。悲しかった。

お母さんをサポートしきれていなかった自分の未熟さが。

お父さんがわたしを遠ざけた、わたしの知らない理由が。

彼に一方的に気を使わせて疲弊させていることが。

誰とも前向きに関われていない気がして、世界でたったひとり放り投げられた心地で。

ここまで彼にお世話になっておいてこんなことを考えるのは甘ったれているかもしれないけど、どうしても孤独感が拭いきれない。

iPhoneを枕元に放って、しろくまのぬいぐるみを抱き寄せる。

森林の香りが似合わないね、わたしたち。

ううー、と唸りながら額をしろくまくんの顎に埋めながら、明けない夜の気配を感じる。

大丈夫って、自分に嘘を言い聞かせるのはちがう気もするけど。

それでも耐えるしかないんだ。

彼は何が好きかな。

色だったら紺かな。果物だったら梨かな。

時間は山ほどあるし、ひとつでも多く考えてみよう。

そして、いつか朝がきたら答え合わせをしてもらおう。
















***

『君と僕との酸欠日記』第六話です。

長い二十四時間だったなぁと僕もしみじみしています。

第一話はこちら。

第二・第四土曜日十時更新です。



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僕の人生で、どのくらいの期間だったか覚えていませんが梨以外のものを食べられなくなったことがありました。

一日一個、病院のベッドの上で梨を食べる生活。

それから僕の中で梨はちょっぴり神聖化されています。

大好きなマイルドカフェオーレを飲みながらnoteを書こうと思います。