『神の囁き』2話
灯りを落としカンテラの炎が揺れる閉店後の薬屋に、薬草をすりつぶす低い音が響く。カウンターに向かい高椅子へ腰かける大きな背中は拒絶の意思に染まっている。
1話はこちら。
***
店の窓から季節が一周する様子を眺めた。僕は背が、幼馴染の彼女は髪が伸びた。三階建ての家は一階部分が店になっていて、建物から出ることは禁じられている。彼女が言いだした店の手伝いもまださせてくれない。
ある日おじさんは僕に聞いた。
「お前は俺のことを店主と呼べるか」
「そう呼んだ方がいいなら、呼びます」
次の日おじさんはフード付きのポンチョをふたつ買ってきた。親戚の子だということにするから、明日から店に立て。もうお前らを隠しきれん。そっぽを向いたまま呟くおじさん、いや店主はどこか嬉しそうだった。
彼女はあっという間に看板娘になった。この家に住むようになってから身につけた微笑みはお客さんたちを笑顔にした。もう薬なんかつくらん、みんな元気じゃないか、と店主が拗ねてしまったほどだ。
僕は薬学を学び、店主と一緒に商人の元へ仕入れに行くこともあった。耳と尾がばれないようポンチョとぶかぶかのズボンを着て、膝丈ブーツにズボンの裾を押し込む。僕の正体を知らない商人たちは親身に接してくれた。店主よりも話しやすいからだろうか。僕を通して商談を重ねるうちに、僕ひとりでも買い出しをさせてくれるようになった。それでも夜の薬草採取は禁じられたままだった。彼女は店で人々を癒しながら裏庭で薬草を育て、僕は街で商人と会話を重ね、それぞれ世界を広げていった。
店の窓から季節がもう一周する様子を眺めた。僕はさらに背が、幼馴染の彼女は尾の毛が伸びた。
ある日店主は僕に聞いた。
「お前は俺がいなくても店をやれるか」
「……そうした方がいいのですか」
月に一度さ。今まで休みなしに何年働いてきたと思ってる、そのせいで嫁さんにも逃げられちまったんだぞ。遠くを見て笑う店主はどこか寂しそうだった。
事前に注文された薬を受け渡すだけの日を設けて、その日店主は店を空けるようになった。どうやら隣街に行っているようだが、詳しく教えてくれないから探らないようにした。僕らの本当の姿がばれないように気遣う生活はさぞ大変だろう。たまには息抜きしてきてほしい。
店主不在の日に急な怪我人が駆けこんできたこともあった。叱られるだろうな、と思いつつ在庫の薬草を見繕って調合し、半分を自分の身体で試しつつ怪我人に渡した。店主にそのことを伝えて謝ると、薬効をまとめた分厚い本を貸してくれた。お前の身体は人より丈夫なんだ、今回の調合は間違っていなかったが今後はこっちを参考にしろ。低くぶっきらぼうな声が閉店後の店に響く。カンテラの炎が大きくなる。本の中身は全て手書きで、本文の上に追記、追記の上に今度は注、といったように何重にも書き加えられていた。
半年後、僕も書き加えていいか聞いてみると「出版したときは売上半分寄こせよ」とおどけてくれた。
店の窓から季節がもう一度だけ流れていく様子を眺めた。僕は身長だけじゃなく筋力もついてきて、彼女は微笑みだけじゃなく思いやりの表現もうまくなった。裏庭の薬草園は立派に育ち、陽の光に照らされながら水をやる彼女の微笑みは、ただ美しかった。
夜中の店でふたり、薬草を粉にしていると店主が言った。
「ここ一年、お前たちについて調べていたんだ。今後どうするのがいいのか考えるためにな」
「せっかくの休みにそんなことを……ありがとうございます」
「続きを聞きたくないなら言ってくれよ。俺はな、あの子の方が魔獣の道を辿るんじゃないかと思っていた」
二階の方をぼんやり見つめる店主。仕事中の厳しい眼差しからは想像もつかない柔らかさ。
「思っていた、ということは、何か有力な情報があったんですね」
「……人か魔獣か、どちらかへ姿が変わろうとするとき、半人半獣を保とうとして身体が逆の特徴を強めることがあるらしい」
目を閉じた。彼女の形よい耳と美しい尾。僕の髪に隠れる程度の小さな耳と細い尾。力を込めて目を閉じたのに隙間からカンテラの炎が忍び込んでくる。
「反転反応、なんて記述されていた。まぁ、表立って研究できない学問だ。その文献を書いたのもどこのぼんくら学者か分からん。文献一冊手にするのに二月はかかるような分野の学術書を信じるのも阿呆かもしれん」
「いえ、それでもないよりはずっといいです。僕はどうなっても……」
店主は被せるように話を続けた。
「そこでな、俺が心配なのは、あの子が人の道を、お前が獣の道を歩むときだ。あの子が人の社会をうまく渡り歩いていけるとは思えん。お前も獣の姿になればあの子を支えるにもやり方が限られる」
予想外の話に思わず力の抜けた声がでた。店主はひげ面をくしゃくしゃにして笑った。
「お前のことは最初から心配しとらんよ。お前はどうなってもやっていけるからな」
王城から薬師招集の手紙が来たのはその夜から一月後のことだった。
「当面の旅費だ。お前ならうまくやりくりできるだろう」
腕のたつ薬師として王城薬師の任を与えられた店主は僕たちとの別れを決意した。家族全員でくるように、と手紙に書いてあったらしく、何か裏があるに違いないからひとりで行くと言って聞かないのだ。微睡の民について調べていたことが国にばれたのかもしれない。家族はどうしたか問い詰められたらどうするんですか、僕たちも同行します、と少し怒ってみせても彼は全く揺らがなかった。
「いいか、西だ。とにかく西へ向かえば大きな街が見えてくる。その街を抜けた山の麓に俺の知り合いがいる。先に手紙を送っているし、さっき持たせた手紙にも俺にしか作れない薬を同封しているからきっと悪いようにはされないだろう。あのじじいは時間と金だけはあるからな。それにあいつは医者だから、お前たちの価値を分かってくれるだろう。まっすぐ西の街を目指すんだぞ」
「店主、おれ……がんばります」
「あぁ、お前はがんばれ。ここはがんばりどころだからな」
「わたしもがんばるよ、ふたりでがんばる」
フードから出た長い金髪を揺らして彼女が微笑む。店主、いやおじさんは一瞬ものすごく優しい表情をして、すぐに厳しい顔つきをして見せた。
「ああ、ふたりなら大丈夫だ。何があっても、助けあって暮らすんだ。達者でな」
「おじさん、おれ、あなたと暮らせてよかった。本当に本当にありがとう、あの日おれたちを受け入れてくれて」
「おじさん、わたしも、おじさんだいすき。ありがとう!」
おじさんの眉間から皺が消えた。
「全く、手のかかるガキどもだった」
そしておじさんは僕たちに聞いた。
「お前たちは最高の息子と娘だ。いつか親孝行してくれるか」
僕たちは三人で泣き笑った。
あの日約束した夜中の薬草採取には一度も行かないままだった。
***
こんばんは、幸村です。上下編の予定でしたが全5話になりそうです。
大好きなマイルドカフェオーレを飲みながらnoteを書こうと思います。