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叫ぶ秒針と沈黙の箱

全く食欲が湧かない。

彼女の胃袋がどのくらいの大きさなのかは知らないが、少なくともおれはここまで少食ではなかった。

普段と違う生活に疲労しているのだ。

薄々感じてはいたものの最低限の買い物を済ませなければならなかった。

「なにか食べたいとものはあるかな」

ニトリを出て車を家へ走らせてながら聞く。助手席で彼女は弱々しく笑った。

「あんまり、お腹が空かなくて」

「だよなぁ、おれもだよ」

とはいえ今日は朝昼両方抜いている。イオンを出たときも似たようなやりとりをしたが、もう夕方だ。夕飯を調達して帰りたい。

「なにか食べられそうなものは?」

彼女が風邪でも引いているみたいな言い方になってしまった。優しくする対象といえば病人、という安直な方程式に笑いそうになる。

「うーん。こうたくんはどうです?」

「おれは、そうだな、なんか麺類がいいな」

「なるほど」

信号に引っかかったのでちなみさんを見ると目元から力が抜けている。麺類の気分じゃなさそうだ。

「くたびれてるだろうから家で食べればいいし、コンビニとかで買えば別々のメニューでいいし。ただ丸一日抜くのはさすがに良くないから何か食べよう。ゼリーでもなんでもいい」

「そうだなぁ、うーん」

「スーパーでも寄る?それともいったん帰って少しゆっくりする?」

「あー、いったん帰りたい……」

「わかった」

彼女の申し出は当分の間は無条件で受け入れよう。そうしないと、きっと何も言ってくれなくなる。




リビングで荷物を分け、彼女は寝室に寝具やしろくまくんを持っていった。

彼女が自分のものを整理している間に新しく仲間入りした彼女用の大型クッションにカバーをかける。

ある程度の大きさがあるものなので四苦八苦しながらカバーをかける。

カバーを、かけおわる。

たったそれだけ。もうすることがない。寝室からはなにやらガサゴソと音がする。

「ちなみさん、おれすることがないから何か買ってくる。何がいい」

リビングで自分のクッションに腰掛けて声を張ると、彼女がひょこっと出てきた。

「わたしフルグラが食べたいかも」

「フルグラ?フルーチェの親戚か」

「違うよ、コーンフレークの友達だよ」

はにかむ彼女に面食らう。基本的に口が達者なところがある。

「シリアルか、わかった。牛乳で食べるの?」

「そう、ヨーグルトでもいいけど牛乳がいいです。赤いパッケージで700gくらいのやつが好きなの、明日の朝もそれ食べます」

もう一度わかった、と返して家を後にする。

明日の朝、という言葉が彼女から出た。

まだ一緒にいる時間は一日に満たない。

ふー、と吐いたため息よりも蝉の声の方が大きかった。



スーパーから帰ると彼女はリビングで自分のクッションに背中を預けてスマホを見ていた。

 「あ、おかえりなさい」

「お、ただいま」

家に帰って誰かがいる、この違和感は嫌いじゃない。好みと得意不得意は別物だ。

「片付けは終わりましたか」

「はい、終わりました」

「それはよかった。飯にしようか」

立ち上がろうとする彼女を制してキッチンでスーパーの袋を開く。

正方形の部屋の壁から生えたようなキッチンから、彼女がスマホをいじる背中が見える。

「どのくらい食べる?」

「かるーくでいいよ、足りなかったらおかわりします」

「おっけー」

自分のからあげ弁当をレンジで温めながら、食器棚から深さのある皿を探す。カレー皿と味噌汁碗しかない。まぁ構造としては液体と個体の組み合わせでカレーと似ているからカレー皿でいいだろう。

冷たいカレー皿と、495円のからあげ弁当を手にリビングへ戻る。

「いただきます」

「ありがとう、いただきます」

普段は適当だったのに、なんとなく手を合わせる。あまり好きではない千切りキャベツから箸をつける。

彼女はシャクシャクと音を立てながらカレー用の大きめスプーンでフルグラとやらを食べている。

千切りキャベツと、フルグラの音。

この部屋で初めて、咀嚼音が気になった。

テレビ台に置いてある小さなアナログ時計の秒針が大袈裟だ。

ふと冷蔵庫の稼働音がして驚く。

エアコンの送風角度が変わるたび軋んでいる。

スプーンと皿がぶつかる。

キャベツが喉を通る。

乾いた唇の離れる音。

外はセミの声であんなにも隙間なく満たされていたのに、この部屋はどうしてこんなにも煩い。

「......ちなみさんの家では食事中テレビを見ていたの?」

「ううん、家族でおしゃべりの時間だよ」

なるほど。あの物腰柔らかな父親が考えそうな優しい過ごし方だ。

「そうか。俺は喋るのが得意じゃない。なにかしたいことはないかな」

「うーん、テレビ見るか、音楽聴くか、とかかなぁ」

お喋りしようよ、と切り出さない賢さに救われる。

「なるほど、音楽はいいね」

「こうたくんいつもどうやって音楽聴いてるの?」

「Spotify使ってるよ」

「テレビに飛ばせないかな」

「したことないな」

とりあえずiPhoneから音楽を流す。Shape of Youは今じゃないな。

「洋楽好きなの?」

「これ聴きながら風呂に入るとお洒落な気分になれるんだよ」

なにそれ、後でしてみよっかな、と笑う彼女。

互いに別々の生活で聴いていた音楽と、これから聴く音楽。選択肢が単純に倍になるのか、それとも混ざり合って新しい選択肢が生まれるのか。

こういうのは苦手だ。苦手だからといって嫌いじゃない。

口に運んだ千切りキャベツは心なしか先ほどより楽しそうに音を立てていた。


















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『酸欠日記』シリーズ第五話です。

ようやく八月二日が終わる〜。

一話はこちらからどうぞ。


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フルーツがごろごろ入ってるらしいねん。

ほなコーンフレークちゃうな。

時系列が冬だったらこの会話させたのに。

大好きなマイルドカフェオーレを飲みながらnoteを書こうと思います。