初めてのバイト〜女の生き方
2学期の期末テストを何とか乗り越え、とりあえず殴られずに済む通知表を手に入れた。音楽以外、全てオール3、それでいい。
冬休みに入ると、マンションの隣にある比較的大きめのスーパーで生まれて初めてバイトをする事にした。
母には大学生活に必要なものを自分で買いたいから、と言ったらアッサリOKが出た。
高校はもちろんバイト禁止であったが、私の住む海側の地域と高校のある山側は地域は学区も何もかも違うのでバレないだろう。
今のようにバーコードでスキャンする時代ではない。全ての商品の値段を手入力する。
パート頭のおばちゃんから、レジの取り扱い方から返金の仕方、レジ閉めまでひと通り習い、まずはおばちゃんの横で見習いからスタートだ。
時給は700円、17時から閉店までは750円。当時、他のバイトに比べて地方にしては良いほうだった。
12/29〜31日までの超繁忙期は朝10時〜19時まで、時給も100円アップする。
昼休憩は1時間、マンションが隣だったので家に帰る。
何がいいって、通勤時間が徒歩1分もかからない事だった。スーパーの制服を着てマンションの下に降りたらすぐ現場だ、ロッカーも使わない。バイトだけは何があっても遅刻しなかった。というより、近すぎて遅刻の理由もない。
最初数日は午後の15時〜閉店の19時まで4時間勤務で入った。ピアノのレッスンがある日だけは休む。おばあちゃんも毎日買い物ついでに見に来て私のレジに並んでくれる、それが嬉しい。
年末年始の買い出しでスーパーには昼夜問わず多くの買い物客が訪れ、夕方の1番忙しい時間帯は10コもレジがあるのに1つのレジに20人待ちなんてザラだ。
業務にはすぐ慣れ、1人で1つのレジを任されるようなった。高校生は私1人で、あとは皆パートのおばちゃん、優しい人に恵まれた。
実はこのスーパー、小学校の頃に万引きをしたスーパーである。贖罪の気持ちもあった。
(過去記事:万引きとノイローゼ参照)
とにかく自分の力でお金を稼げる事が何より嬉しかった。
小遣いなら毎月余るくらいもらっていたが、早く働いて、その貯めたお金で大学生活に必要なものを母に“文句を言わせず″買いたかった。
母がずーっと働いている姿を見ていたので、女性でも働くことは当たり前と思っていた。母の思想はウーマンリブそのものであった。祖父の会社ではあるが、正社員で働いた後は週に2日ほど別の地区で英語の個人塾をしていた。
よく『女は家財道具ではない』『モノからの解放』と言っていたが、その意味を理解するには、私はまだ幼かった。
母の最も嫌う言葉は“良妻賢母″だった。良妻賢母が悪いわけではない。その言葉を使う男たちを、女性をその方向に持って行きたがる社会を憎んでいた。
男にとっての“賢い女″とは、男を上手く立てて都合よく立ち回ることができる、男にとって非常に都合の良い意味なんだとよく唱えていた。
友達のお母さんには専業主婦の人も多かったが、例え内職で月1万円でも自分でお金を稼いで好きなように分配して使う、女性も経済力をつけなけらば、クソみたいな旦那でも言いなりになければならないと教わった。
祖母は重度の障がいを持った佳子ちゃんがずっと家に居るので、働きに出ることができず、祖父もまたそれを許さなかった。
(奥さんを働かせる=養えていないのではないか?と世間体を気にするチンケな男が現在も多いようだ)
祖母は経済的には安定していたが、祖父に殴られようが大怪我をしようが、佳子ちゃんがいるので家から出れない、次生まれたら婦人警官になりたいとよく言った。そして二度と結婚なんかしないとも。
祖母と母も仲が悪かったが、当時社会党で活躍していた“土井たか子さん″がテレビに出ると、その時だけ祖母と母は仲良くなり、2人で応援していた。祖父はフンッとそっぽを向き、女性が社会で活躍しているさまを見ないフリをした。
祖父は徹底した男尊女卑の人だった。
しかし一方で、親友のみっきーや友美、みんなが持ってくる“お母さんの手づくり弁当″をいつも羨ましく思っていた。
私は週に半分は母から1000円もらうパンの日だ。たまーに気が向いたら弁当が出来上がって机の上に置いてある。
それ以外は、おかずを適当に詰めて行けと空の弁当箱の横にバラバラのおかず、ご飯がある。
みっきーたちに聞くと『いつもおかずが一緒!レンチンばかり』『節約のために弁当なんだよ』と文句を言っていたが、羨ましくて仕方がない。みっきー達は、私が現金を持ち歩き、好きなパンやジュースを買うのが羨ましかったらしい。
そして私は悪事を思いついた。
みっきー達と弁当を食べる時、毎日みんなから一個ずつおかずを分けてもらう、それも強引にだ。皆とられたくないおかずを私の前から隠すようになった。
みっきーは月に1回だけパンの日があった。そんな日は朝から嬉しそうで、どのパンを買おうか購買付近をウロウロして悩ましげな顔をしている。ランチタイムの時、購買で売っていたパンの中でも特に人気があり、値も張るチョコワッフルと菓子パン3個とコーヒー牛乳が机に置いてあった。
それを見て面白くない私はみっきーの居ない隙に、チョコワッフルパンを上からパーンと叩いた。チョコレートクリームがはみ出る。みっきーが怒り狂って押し問答になるが、私はゲラゲラ笑った。アンパンを消しゴムくらいの硬さまで指でご丁寧に押し潰したりもした。みっきーは『せっかくの月1回のパンの日なのにぃ〜!』と叫びながら、押し潰されてペチャンコになったパンを惜しそうに食べる。
それらを見ていた友美や他の友人は、パンを食べる直前まで机の中に隠すようになった。当たり前の反応だ。
文化祭の時、初めてみっきーのお母さんを見た。みっきーよりひとまわり大きく、メガネをかけた白いたぬきみたいな人だった。
私の思い描く“おかあさん″といった優しい雰囲気だった。例えるなら、絵本の中に出てくる森の木小屋で子どもたちにパンを切り分けていそうなおかあさん…とても柔和な人だった。
みっきーが羨ましくて仕方がなかった。悔しい。あんなに優しくて毎日お弁当を作ってくれるお母さんがいるのに…
私の最低な“パン押し潰しの刑″にみっきーの怒りが爆発し、ある日小柄なみっきーが私に全力でぶつかってきて、机や椅子と共にもの凄い音をたてて私は転倒した。
昼休みの教室がシーンとなり、気づいたら大好きなTのグループの前で私はパンツ丸出しで逆さまにひっくり返っていた。最悪だ。
諸悪の根源は私なのだが、好きな男の前でパンツ丸出しになった私は怒りで立ち上がり、みっきーを探したら“マズい″と思ったのか、教室から既に逃げ出していた。その後はまた2人で女相撲さながらのどつきあいだ。まぁ、そんな事をしている女子なんてモテるはずもない。
みんなのお母さんが羨ましい。
お金なんていらないから(そこそこは居るんだけど)それよりも毎日お弁当を作ってくれ、洗濯をしてくれるお母さんがほしい…。
でも母にはそんなこと、口が裂けても言えなかった。母は母で男社会の中でもまれ、毎日戦いながら働いているんだから。
『例え結婚して仕事を辞める事があったとしても、常に手に職をもっておけ。1つじゃダメだ、つぶしが効かない。何でもいいから2つ、いや3つくらいはすぐにできる仕事を持っておけ。じゃないと何かあった時に困るのは自分だ』
幼い頃から私が結婚しても尚、母から言い続けられた言葉だ。
ハナから男に頼るな、という意味もあったのだろう。
なら、ケタ違いの金持ちと結婚したら話は別なのか?と聞いたこともある。母は、ケタ違いの金持ちに果たして自分が選ばれるかどうか?そんな博打みたいな事を考えるなと一括された。
友達のお母さんを羨ましいと思う反面、母の言うとおりだと思うことも多々あった。
どちらが正解とかいう問題ではない。
男に経済的に依存せざるをえない女にだけはなるな、と言いたかったのだろう。
でもそういう生き方もある。世の中には器用に、とても上手に生きている女性もたくさんいる事も知った。
きっと私も母に似てあまり器用ではないから、男を立てて上手く立ち回れる性格でもない、自分の食いぶちくらい自分で稼げと言いたかったのかもしれない。