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いつか あえる

 2021年1月21日23時00分、スマホを眺めていても通知は来なかった。
 そっか、と思って、ようやく終わりが来たのだとわかった。知っていたのに、その瞬間までどうやら真にわかってはいなかったらしい。
 それでも、正しく理解してなお、手が震えるような衝撃も、喪失に打ちひしがれる感覚もなかった。ひどく現実的な、単なる理解だけがそこにあった。
 終わりで、別れだった。だけどぼんやり、私はこの人をずっと忘れないだろうと思った。今も、そう思い続けている。

  あの人を知ったきっかけは何だっただろうか。友人が話していたのを聞いた記憶がある。喧騒の中で、こっそり、最近気に入っているものの話をしていた時。私は舞城王太郎を端から読み倒している時期で、その話題があの人に繋がっていた。
 「古書屋敷さん、〜〜っていう人がいてね。いいんだよね、この人。自己紹介の仕方がいい」
 見てみると、Twitterの小さな細長い画面上で、挨拶をしている誰かの動画。緑の髪の女の子が、身じろぎをするように小さく、おそらく意図的ではない揺れ方をしている。確かに自己紹介の口上がなんだか印象的で、特別変わったことは何も言っていないのに、思い起こすと浮かんでくるのは挨拶ばかりだ。低い声。私は声のよしあしはあまりわからないのだけれど、気怠げで吐く息とともに沈んでいくような発声は、その人だけのもののような気がした。
 その場では、へえ、見てみようかな、なんて気のない返事をしたのだけれど、家に帰って布団に寄りかかりながら、そっと名前を検索した。それだけでは出てこなくて、友人のフォロー欄から探した。
 何度かスクロールすると、その日見たアイコンが現れて、ページに飛べば最新の動画が上がっていた。つい数分前のことだった。
 初めて観たこの人の動画は何だっただろうか、と思ったので、アーカイブを眺めてみる。どうやら227本目の動画だったらしい。随分長い間活動をされている方だった。本の話をしていて、たった2分ちょっとの短い動画だったけれど、語り方や感想がなんとなくいいなと思ったのを覚えている。こういうVtuberが居るんだ、と思った。

 その人は毎日23時に、Twitterに動画をupしていた。ほとんどがただ一人で話している動画。マシュマロに返事をしていたり、ちょっとした日常の話だったり、最近読んだ本や観た映画についてだったり、滔々と語っていた。凝った編集はしていなくて、字幕が付いているくらい。いつもダウナーな雰囲気で、感想もどこか不思議で面白かった。趣味も良かったし。あえて「Vtuberらしさ」でいえば、少し変わったスタイルの活動者だったと思う。
 毎日髪色も髪型も変わっていた。昨日は黄緑色のウルフカットだったのに、今日は紫のショート、翌日は薄桃色のボブカット……。そもそも時期によって、使っているアバターアプリが違う。初期はホロライブを使っていて、変わるのは髪色だけだった。ある時期から、髪型も変わって、三白眼みたいな目つきに「らしさ」が出て、その後また全く違う姿になる時期があって。最後の方は、ずっと同じ見た目だったなあ。そういえば、少し知り合いに似ている気がする。
 その人を思い出すとき、記憶の中は色々な色彩で埋め尽くされる。赤、緑、紫、黄色、茶色、黒。輪郭さえぼやけていて、ひどく不確かだ。何重にも像が重なって、本当に実在したのか不安になるくらい。
 そんな中、声だけが不自然なほどはっきりと思い出せる。変わらない、真っ直ぐに通った骨のような、あの人が挨拶をする声。緩慢だけど、信じられるあの声。
 推し、というほど熱烈な感情を持っていたかと問われれば、否、と返すほかないだろう。動画を楽しみに一日頑張ろうと思ったことはないし、もっと熱心に追っていたVtuberは他にいた。
 それでも、眠れない夜にはTwitterのメディア欄を遡って、古い動画をひとつずつ観返した。ゆっくり、その人を知っていった。ぼのぼのが好き。あえるのことが好き。超弦理論の話をしている時期もあった。ツヴィーバッハの動画が続いたときは、あまりにも専門外の分野すぎて身構えたなあ。そのせいで少し勉強したけれど、結局いまだによくわかっていない。作品考察をしていることもあれば、ゼルダで遊んでいることもあった。「この動画を作っている人間は」という一人称が好きだった。動画を観ていると、よくわからないけれど、なんだか安心できた。たった2分の楽しみだった。
 そもそもの活動スタンスとして、登録者一万人を目指していたり、ライブ配信をしたりといったことはなかったから、それこそ『推し、燃ゆ』の主人公みたいな推し方をする相手ではなかった。ただ、動画を観て、いいねをつけて、たまにRTして。マシュマロにそっと、いつも動画楽しみにしてます、とだけ書いてみたり。
 通知を入れるようになってから、毎夜23時になると、時報のように動画の通知が来た。ああ、もうこんな時間か。そう思いながら、動画を観る。忙しかったり、気が乗らない時は、観ずにそのまま寝ちゃうこともざらだった。一週間くらい観ない日も、20本くらいまとめて観返す日もあった。忙しくて、あの人の動画から離れていた時期も、毎日通知は変わらずに来た。

 Vtuberをやろうと思った発端は、いくつかの要因が複雑に絡み合った偶発的なものだから、丁寧に説明するのは難しい。けれどそのいくつかの要因のひとつが、あの人だった。私はあの人になりたかった。
 REALITYのアバターを借りて、短い動画を作る。毎日必ず23時に動画をあげて、それ以外のツイートはしない。毎日一冊本をおすすめして、もしくは少し話したり、マシュマロに返信したりする。配信よりも動画メインで、Twitterの隅っこに生息する幽霊みたいなインターネット生命体。たまたま出会った人がたまに思い出してくれればいい。いつかの私のような人の、眠る前の数分に寄り添えるような活動をしようと思っていた。細く長く。あの人みたいに。
 あの人の活動は作品で、やりたいことをやっていた。やると決めたことをやっていた。必要十分で、雑多なものはあの世界にはなかった。あの人の作るコンテンツが好きだった。


 終わりがある、と言われた。

 これからの活動について話をする動画が続いたとき、動画の時間は1分になっていて、このシステムでやれば動画の投稿は一生続けられることがわかったとその人は言った。だから、新しいことをやりたくなった。最後に、今までやっていなかったことをやる、と。
 最後。
 え。なんで?
 1001日目で、毎日動画を投稿するのはやめると言われた。「2021年1月20日で終わり」その言葉で終わる動画を観終えて、私は怖くなった。2020年の4月半ばのことだった。まだ、終わりまで何ヶ月もある。遠い未来だ。つまりそれは、カウントダウンの宣告だった。

 そして私は、20年夏、あなたの前に現れた。あの人の足跡を、違う世界の出来事のように感じながら、歩くと決めて、足を動かした。
 結局、私はあの人にはなれなかった。失望もしなかったから、最初からそんなことは知っていたのだと思う。
 私は私にしかなれないし、それは当たり前のことだ。今の自分を、やってきた活動を、肯定することに迷いは一切ない。
 だってあなたと会えたから。
 これで良かった。最初から、この道以外なかった。あっても選ばなかった。私はあの人ではないけれど、紛れもなく私だから、胸を張って、腹を決めて、覚悟を決めてここに立っている。
 私はあの人にはなれない。なれなかった。そうだよね。それってなんだか、知ってたはずなのに、面白いよね。嬉しいに似ている気がする。
 そう思えるのも、あなたがいるからなんだろう。

 終わりを告げられてから、動画を観るたびにえも言われぬ寂しさに襲われた。雑談が苦手とか、ネタ切れとか、言わないで欲しい。その後すぐどう森の話になって安心した。コラボにも関心があったらしい。この動画を観ている人が他のVtuberを観ているかは怪しい、なんて自分から言っていて笑っちゃった。うん。私はその時まだ舞台に立っていなかったけれど、きっと何があっても関わろうとはしなかっただろうなあ。活動に入り込んだりしたくない。いちばん大切な金色の懐中時計は、触らないで眺めておく。指紋が付いたら嫌だから。いつもと変わらずに動いてくれているのを見ていたい。

 最後の、やったことがなかった企画というのは思いもよらないものだったけれど、その人らしい、とても素敵なものだった。素敵?しっくりきて、ゆっくり頷きたくなるような。
 人は簡単に気持ちを忘れる。生きるのが上手な私は、容易く感情を一般的でライトに伝えられる形容詞へと置き直して、紹介してくれた友人に「悲しいよね」なんて眉を下げてみせた。友人はあの人のことをすっかり忘れている様子で、私が終わりの話をすると驚いていた。そういえば、友人は最後の企画を観たのかなあ。多分、観ているだろう。その話をすることは、きっとないけれど。

 1000本目の動画で、それは終わった。
 269本かけて、あの人は作品を作った。私はそれを、269日かけて観た。

 もう、23時になっても通知はならない。そのことにもすっかり慣れてしまった。
 疲れた夜に、眠れない夜に、新しい動画は届かない。
 今も、時折思い出すように、あの人の動画を取り出して、アルバムを眺めるように再生する。二年以上かけて作ってくれたものたちを、私はこれから何年もかけて慈しんでいくと思う。終わってしまったことが悲しい、そういう話じゃないんだと思う。ひとつの終わりがあった。ただ、あった。それだけ。
 そして、その前。確かに23時の通知はあった。私の人生に、生活に、あった。過去は変わらないから、無くなったりしない。ずっと、在ったままだ。

 冒頭で喪失はなかったと書いたけれど、このnoteを書いていて、動画観返したりしてたら、なんか泣けた。
 私は涙腺がダイヤモンドより硬いから、液体としての涙は出なかったけれど、「なんか泣ける」ってこういう気持ちなんだなと思った。切なさとも哀しさとも違う。思い出のカップのふちをなぞっているうちに、もうここに中身が注がれることはないんだなと気づいてしまったみたい。それでよくて、それが正しい。ちゃんとわかってる。
 ありがとうの気持ちも痛みを生むんだと思う。それが過去に向かっていくものならば。だから、ちょっと笑える。この痛みらしき笑いも、嬉しいに似てる。

 「これで終わりです。みなさんどうかお元気で。」

 あなたが終わってしまっても、私の人生は続いていく。
 ええ、元気でやっていきます。あなたもどうかお元気で。
 いつか、あえる、あなたに。わたしに。愛を込めて。

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