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年の暮れ

 ココ数日、心が揺れ動く。彼を感じられない。
もちろん霊的な意味ではなく、私なかの問題である。

死別後

 バツ1で子持ち同士がであって、心配事を片付けてから結婚するために私達は結婚する事を棚上げし、私は彼の家族や友人からも隠れて存在していた。私を知るのは地元の人と彼の親友だけ。
 気持ち的に不倫してるんじゃないんだから!とイラッとする気持ちになる日もあったけれど、お互いに旦那みたいなもんだし嫁みたいなもんだった。

 だがここにきて、お仏壇もない・位牌もない・お墓も遠いとまさに他人であるが故に当たり前だが語りかけるモノがない。見事に繋がりが無いことを改めて実感してしまって心が揺れる。
そこで、彼が知り合いと写した写真を申し訳ないと思いながら加工して、自分の写真を貼り付け、違和感を拭うべく画像処理。さらには背景を一緒に営んだ工場の玄関に差し替えて再加工。
本当にPhotoshopが使えて良かった。無料の加工サイトがあって良かった。
 かくしてとりあえず満足して、明日光沢紙でも買ってこよう。と思える程度には回復。

時間

 今の自分に必要なのが「動いていて考える時間もない時間」なのか「ゆっくり休む時間」なのかがわからない。もう3ヶ月も経ってしまっているのだから休んでいる場合じゃないのは現実問題なんだけれど。
 彼とアホな事を言い合って過ごしていた時間も、彼の用事が終わるのを待っていた時間も、うたた寝してて起きない彼を待っている時間。
そんな日常の些細な合間を持て余す。
かと言って、精神的に追い詰められているのかと言うとなんかそれも違う。

ちび爪と言うのだそうだ

 子どもの頃は爪を噛んでいた。今は親指の爪で他の爪をむしってしまうので、基本的に私の爪の先に白い部分は無い。画像の小指の状態が平時。どこかで読んだけれど自傷行為の一つらしい。事実、私自身がストレスに気付く前に爪がどんどん深爪になるのでバロメーター的な要素はある。
 にもかかわらず、自分的にこの長い爪はどうしたことだろう。ストレスを感じることがないのだろうか?自分で理解ができない。
 彼が亡くなって私は2つの物を手に入れた。
伸びた爪と標準体重。
体重は彼と二人でここ数年ダイエットを繰返して減らそうと頑張っても不動だったのに気づいたときは減っていた。元に戻らないわけが無いと思い、履けるスボンが無いのに買うに買えないでいる。しかしここ一ヶ月ほど横ばいのまま戻る気配もあまりない。
 白い部分が無い爪を彼が嫌がっていたので、しばらくこのままにしてみようかと思うのだが伸ばした経験がないので気になって仕方がない。ペンを持つと指に食い込むし痛い。

手紙寺

 今日教えて貰った手紙寺さんで手紙を書いた。オンラインで手紙を書くと便箋に印刷してお焚き上げしてくださるとのこと。
ずっと言えなかった、ご苦労さまとありがとうを伝えられた。
言いたいことはいっぱいあるのに、宛名に彼の名前を入力するだけでウルウルするし、本文3行目あたりでポロポロしてきたので短い手紙になってしまったけど気持ちを届けていただけるというだけで随分とラクになるものだとびっくりした。また前をちゃんと向けなくなったら手紙を書こう。

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