見出し画像

ズレてる私

 仕事が終わって悩んだ挙げ句にコンビニに寄りタバコを3個買って帰ってきた。支払いにスマホ開いた時に息子からの着歴に気がついた。徒歩3分。
電話せずに帰ってきてエレベータ内で再度着信があった。

 再び無視して家に帰ると、部屋の中は雨降りだった。上の階からの漏水による雨漏り、あらかたの荷物は息子が退かしていてくれたのだが、その時すでに手遅れで、手をこまねいていて私に電話してきたのだった。

 上の階の住人は認知症が進んでしばらく前から介護所に入り無人、前回の雨漏りは昨年の8/30だった...。後見人の甥御さんに電話して様子を見に来ていただく電話を息子に頼み、私は居住者名簿から下の階の住人に「家のフロアで受け止められなかった場合に雨漏りが起きる可能性がある」という不穏な連絡をした。

 小一時間ほどで上の階の水栓は閉じられて、その後1~2時間で雨漏りも止まった。今は2度目の洗濯をしながらコレを書いている。
甥御さんの「保険に入っているので写真を残していただければ弁償させていただきますので、またご連絡さしあげます」という申し出を有り難いとおもいつつ、〈どうしたもんだか…〉と戸惑っている。

どうしたもんだか

窓際の角に積み上げてあった段ボール箱と普段着がずぶ濡れになってしまったが、衣類は洗えば済むだろう。
 段ボール箱は昨年引っ越しいてきてから1年間使わなかった物が入っている。高価なものなどではない。

 亡くなった彼と暮らした日々の中でその場に存在していた物たちでしかない。思い出という観点で採点するのなら、私にとっては一緒に稼いだ日々の中で使った資材/原料が入っていた段ボール箱そのものが一番愛おしい。
 そして、その段ボールに詰め込まれた雑多なモノたちは〈幸せだった日々の思い〉とともに封印してあるようなもんで...、箱を開けるのが怖い。

 当然、ここまで濡れてしまっているのだから、開けたら開けたで〈捨てるべきもの〉を選ぶ必要が出てくるだろう。
彼が使った箱だから、こんな宝物たちを入れておけたのに、その箱が捨てるしか無いのだから、どんな箱に入れれば私の心は納得するのだろう。

スピリチュアル

 もし、私が見えない存在の声を聞くことができたなら〈モノになんて執着しなくていいんだよ。一緒にいるのだから〉とメッセージを受け取る事ができるのだろうか。

 なんで突然こんな事を思うのかと言うと、今朝出掛けにたまたま(仮)義母が送ってくれた手編みのセーターをずぶ濡れになった箱の一番上から移動していたので難を逃れているから。
 ついでに昨年、ハンガーと洗濯ばさみを買い足していたので、これだけの洗濯物にも対応できた。
 さらには昨年〈老犬介護のため〉粗相に対応できるように絨毯の上にクッションフロアを敷き詰めていたので被害は最小限度に収められている。なんか仕組まれているっぽいのか、先回りして守られているんだかわからないけれど、不思議。

 びっくりするのは、これだけの事が置きても私の心に怒りの感情が起きないことだ。「どうしよう!」という焦りは感じても怒りや憎しみは感じない。ベッドの足元の方が大分湿っているようだけれども、小柄な私なら寝られるだろうし...。
 怒りとは生きていく上で無用の物なのだろうか?平穏な世界で生きているのは、無自覚に何かから逃げているからなのか、そういえば昨日お風呂でこんな事を考えていた。

 この世の幸せを全て受け取ってしまったから、彼が亡くなってしまったのだろうか。そして、この世で体験する最大の不幸を味わってしまったから、もう私には不幸なんて無いのだろう。
 だったらコレからの私は何のために遺されたのだろう。
私がまだやっていないことはヒトに幸せを渡す役目かも知れない。

 ハードル高すぎ。無理ゲー杉…
そういえば、八白土星は今年はめっちゃ運気が良いんでは無かったのかい?
部屋が水浸しになって、賠償金=金運アップってことなの?
なんか、人生捨て身で受け身みたいだな。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?