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幼少期の記憶

 子供の頃は毎日泣いていたし、中学生位からは生きているということに悩んだりしていた〈グチャグチャな部分〉の記憶が、彼との死別でポッカリと抜け落ちてしまっている。

 記憶が抜けている事は、過去と向き合うにはマイナスだけれども、同時に今よりも悲しい事は何も起こらないという安心感ようなものもある。
 さらには、私の心が彼の死を受け入れていないのか自分でも定かでは無いという微妙な部分なのだが、一言で言えば〈もうこれ以上彼を失わない〉というような安心感がある。


インナーチャイルド

 これがスピリチュアルな話なのか心理学的なものか良くわからないけれど、思い出を突き詰めればキーワードがぶつかりそうなので掘り下げてみたいと思う。

幼稚園時代

 朝起きるとおばあちゃんを呼んだ。朝ごはんと着替えのためなのだが、何故か「おはよう」の挨拶の記憶はない。ただ「おばぁちゃん」と大きな声で呼んだ記憶しかない。
 母は離れで寝ていて起きてこなかった。だから幼稚園から帰って来るまで母とは顔を合わせていないのが日常だった。家業を手伝っていた母は、不在だったり来客とお茶を飲んで話していたりで私に構うことはなく、お腹が空いたときにはやはりおばあちゃんを呼んでいたし、夕飯も祖母が作っていた。家族揃って食事をしていたと思うのだが、おばあちゃんも含めて当時5人家族で食事をしていた記憶もない。

 思い出そうとしてみても思い出せたのは「食事中にTVを付けないという家もあるけど、ウチは付ける」と何度か宣言していた事と、TVを見ていて箸が止まっているのを良く怒られていたことだけだった。
 やはり思い出せいないのだが、どうしてTVを見ていて箸が止まっているの怒るのに小一時間の説教に毎度なったのだろうか?それでもTVを食事中に付けているのは母が観たかったのだろう。


 幼稚園の園庭にある遊具で遊ぶ皆を、少し離れた場所で見ながら「なんで皆と一緒に遊ばなきゃならないんだろう」と考えた事があった。細長く横に動くブランコ(遊動円木)に何人も乗って遊んでいる同級生を見ながら「どうして皆が同じ事を今したいんだろう」と思っていた。

お友達と遊べない事は先生を通して親や祖母も知っていたようで「寄せて」って言って仲間に入れてもらいなさいとも言われた。
 乗りたいと思っていないのに「寄せて」と言って仲間に入れてもらうのだろうか?という疑問に答えは無かった。あの〈仲間〉の中には乗りたくないのに仲間になるために乗っている子もいるのか知りたいと思ったことは覚えている。

一人でいるのがつまらない気持ち。寄せてと言えない引っ込み思案な自分。かと言って、皆がやっている事をやりたいと思ってもいない自分。この気持は中学に入ってもあったし、言いたいことを言わずにいる気持ちは今でも私にある。

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