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「いじめをしていた人が嫌な気持ちになるから書き直して」と言われた娘の卒業文

昨日小学校から帰宅した娘が言いました。
「卒業文集でいじめの事書いたら、
『いじめていた人が読んで嫌な気持ちになるから
書き直してください』って先生に言われたよ。
いじめをされた私はずっと嫌な気持ちが残っているのにね」


娘は小学3年生の時にいじめにあいました。
幼稚園の頃から我が家に
毎日のように遊びに来ていたお友達に。

いつもと同じように

我が家のリビングで三人が遊んでいました
「りぃちゃんは二階に行っていて」
娘が二階へ行くと
「これを隠して困っている姿を撮影しよう」

と笑っていました。


私はなんだか嫌な感じがしていたので
隣の部屋から見ていました。
子供同士のことだから
親が口出ししてはいけないと思っていたのです。

その子達は
娘の物を隠して、娘が困っているのを喜んでDSで撮影したり
「りぃちゃんはYouTube見てないし世の中を知らないし、話しついてこれないでしょ?」
と言われていました。

娘は本当におっとりした素直で優しい子なので心配になりました
「お友達に何か嫌な事されたらすぐに言ってね」
二人が帰ったあと、しっかりと伝えました。

数日後、娘が学校からしょんぼりして帰ってきました
「もうあの二人のこと嫌かも。
帰る途中に私が近寄ったら、笑いながら逃げていった。
戻って来たら、ランドセルを押されて転びそうになった」
泣き出すのをこらえながら娘が言いました。
「ちゃんと伝えてくれてありがとう」
娘をぎゅっと抱きしめました。
我慢していたんだな、学校でも色々あったんだろうな、と思いました。

私はそれぞれの家の母親に連絡をしました。
一人の子は母親と二人で来て謝っていました。
今まで仲良くしていたママさんだったので、何とも言えない気持ちになりました。
母親の横で、娘の友達は悲しそうにしていました。

もう一人の子は、その子からも母親からも、謝罪の言葉はありませんでした。
その子の母親に、LINEでことの次第を伝えました。
「娘はそんなことしていないというので娘を信じます。だから謝りません」
「私が家で見て聞いたのです」
と送ると「話し合いたい」と返事が来ました。

しかし、幼稚園のときのことがあったので、話すことは無理だと思いました。

「Aちゃんからゴミみたいに思っているって言われた。いやだった」

娘がそう言ったのは、まだ幼稚園のときでした。重苦しくならないようにと、幼稚園のお迎えの時、その子の母親に
「こんなことあったんだけど」
優しく聞きました。
すると、その子の母親は急に泣き出しました。周りにいたママさん達がきて、その場ではうやむやになりました。
「悪気はなくて、どこかで聞いた台詞を言ってしまったみたい」
「うちの子が、本当にそんなこと言ったの?」
しばらくしてから、そんな風に言っていました。
その時も、謝罪の言葉はありませんでした。

なので今回も
話し合いができるとは、思えませんでした。

私は、もし万が一、自分の子供がいけないことをしたら
親がしっかり子供を叱って、一緒に謝るのが親だと思っています。

謝ることを知らずに育つと、悪いことをしてもばれなければいいと、そんなずるい大人になってしまうのではないかと気の毒に思いました。
でも、私は話し合いを断りました。
(話し合いをしなかった、大人げない態度をしたことは後に謝りました)

その後、娘は学校へ行きましたが、
同じクラスだった二人から睨まれたり、無視されたり、嫌な噂をながされたりしました。
「学校へ行きたくない」
しばらくして娘がそう言ってきました。
「二人が自分を見て笑っていてつらい」
夫と相談し、学校を休んでいいよと伝えました。
学校にも連絡しました。先生と何度も、何度も話し合いました。

先生から「相手の親からも話しを聞いて、解決しました」と連絡が来ました。

娘が久しぶりに学校へ行き、帰ってきてから様子を娘に聞きました。
二人の子と形だけの握手をし、明日から仲良くね、と先生が言って終わったそうです。

「いじめた子達はそんなつもりはない。いじめたつもりはないと言っています」
再び学校に問い合わせた返事は、テレビでよく見るものと同じでした。
「いじめた子の気持ちばかり考えて、どうしていじめられた子の気持ちを考えないのですか?」
いつも温厚な夫が、怒りをあらわにしていました。

相手が遊びだと思っていても、その行為がつらくて嫌だ、いじめられてる、と思ったらいじめだと思います。
いじめる人は、ひとりではせずに、仲間を作っていじめます。

それからしばらくの間、娘は学校へ行く事ができませんでしたが、
「学校行くよ」
と、自分から学校へ行くようになりました。
その子たち以外にも友達ができ、遊んだり泊まりにきたりするようになりました。
「でも誰かとすごく仲良くなるのは怖いな」
娘が寂しそうに言っていました。

学年が上がるにつれ、娘はその二人と何事もなかったように話しをするようになりました。
「心をね、閉じて話しをしているよ」
娘が言いました。
「二人にとっては、もう忘れていてどうでもいいことかもしれないけど、
私はきっと忘れないよ」


幼稚園の頃からずっと、本当に仲良く遊んでいた子達だったので、娘の心が受けた傷も深かったと思います。
傷ついた心はもとに戻せません。
「小学2年生の担任の先生が言っていた言葉の意味が、すごくわかるんだよ」

『破けた袋はもとにはもどせません。テープで破けたところをはっても、
もとの袋には戻せないのです。人を傷つけるのはそういったことです』

娘が静かに言ったことをいまだに思い出します


娘は何も悪くないのに
嫌な事をうけ、可哀想と思われた経験をしても
私や夫にとって
宝物にはなにも変わりはありません。
どんなことがあっても、なにがあっても
娘は大切な宝物です。

娘は、困っている人はほっとけないし
公園にゴミが捨てられていたら
「ゴミは捨てちゃダメだよね」と拾ってきます。
(小さな頃お散歩中に私と一緒にお散歩ついでにゴミも拾おう!が習慣になってしまったのだと思います)
悪口も言わない穏やかでよく笑う子です。
病気の私に優しく
いつもお手伝いをしてくださいます。
可愛くて可愛くて仕方がない存在です。


YouTubeを見ないのは、いけないことなの?
もともとテレビもあまり見ません
テレビゲームも少ししかせず、
本を読んだり音楽を聴いて踊ったり、
絵を描いたり、映画を観たり
家族でワイワイ楽しい時間を過ごしているから
娘はいじめられたの?
人と同じことをしなくてはいけないの?
話しはあわせなきゃいけないの?
色んなことを考えました。


私もいじめとは違いますが
幼稚園の頃、本屋さんで若い男性4人に囲まれて
体を触られて怖かったこと
小学生のときは、近所のお兄さんに数時間監禁されたこと
高校生のとき、タクシーの運転手に山奥に連れていかれたこと
専門学校生のときは、知らない人に車につれこまれたこと
親にも話せなくて
今も記憶から消えないですし
怒りが残っています
どうして?何がいけなかったんだろう?
ずっと自分を責めていました。

でも私は何も悪くない!そう今は思ってます
娘も何も悪くないのです。

いじめる子は自分が同じことをされたら
嫌だと想像できないのかな?
いじめる子の親は自分の子供がいじめられたら
辛いと想像できないのかな?

いじめをした子はケロリとして、いい子として過ごしています。

学校もなかったことにしています。

この先も
いじめは世の中にあり
変わらないのかもしれません。


娘が持ち帰ってきた、卒業文集の書き直す前の文を読み、娘に聞きました。
「すごいね、辛いことにしっかり向き合って書いたんだね。
素敵な文章だよ!母ちゃんこの卒業文、いろんな人に見てもらいたいよ。書き直したらなくなっちゃうなんて、もったいないよ。みんなにいじめられたことわかっちゃうけどいい?」

「いいよ!母ちゃんに描いた病気の絵本と同じように、
いじめで苦しんでいる子は何も悪くないって
いろんな人に見てほしいよ。私は何も悪くないんだから、恥ずかしいことじゃない!」

「映画や本の主人公、ヒーローヒロインにはさ、苦労はつきものなんだよ!
私も主人公だから、辛いことがあっても乗り越えていけるんだよ」
笑顔で私に言ってくださいました。

娘が一生懸命書いた卒業文集
読んでとても素敵な文章だと思いました。
どんな思いで書いたんだろう、
書き直して、と言われてどんな気持ちだったんだろう。
自分が体験したことを読んでもらいたくて
卒業文集に書いた娘の心の強さを
誇らしく思いました。
「先生に書き直さなくていいって連絡しようか?」
と聞きましたら
「書き直すよ」
寂しそうに言っておりました。

書き直され、消されてしまう、娘の本当の卒業文を、
12歳の娘の思いを、残したいと思いました。

前置きが長くなりましたが
以下が、書き直すことになった、卒業文です

読んでいただけると嬉しいです。



『さなぎから蝶へ』
振り返ればこの六年間はあっという間だった。
この頃ふと思う。自分はこの六年間で成長できただろうか。
もしかしたら全然成長していないかも知れない。
でも少しは変われたと思う。
小学三年の時、私はいじめにあった。
ずっと仲良くしてきた友達からで正直悲しかった。
その頃から私は変わったと思う。人の顔色をうかがってどんなことにも
「はい」と言って過ごしていた。
それは外の世界を恐れ
さなぎから出てこない蝶と同じだろう。
戦う前から怖がってゲームオーバーしているのと同じ。
でもそれでよかった。もう嫌な事はされない。そう思っていた。
そんなある日私の事を悪く言う子がいた。
私は絶望した。
こんなにいい子にしていても無駄だった、と。
そんな時、母が前に言っていた
「どんなによくふるまっていても嫌われる人には嫌われる。
だから自分らしく生きるといい」
私はそんな母の言葉に救われた。
そうだ、自分らしく生きて行こう。
私はさなぎから蝶に変わる。
そしてこれからいろんなところに、いろんな人に
羽ばたいていくのだ。
この先つらいことがおきても
私は強く羽ばたいていける
そんな強さを学んだ小学校生活だった。

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